大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手が日本時間の7月1日、敵地で行われているニューヨーク・ヤンキース戦に「1番・投手」で先発出場した。
試合前から野球ファンに注目された聖地・ヤンキースタジアムでの初登板。5つの四死球を与えるなど7点を失い1回途中でマウンドを降りたが、MLBの歴史にまた1つ名を刻んだ。
最近の大谷選手の活躍は、かつてヤンキースなどで活躍した“投打二刀流”の元祖ベーブ・ルースとよく比較される。その偉大な功績を見ると、大谷選手の凄さが改めてわかる。ルースの偉大な足跡をたどってみよう。
“野球の神様” ベーブ・ルースとは
実は広く知られているベーブ・ルースは愛称で、本名はジョージ・ハーマン・ルース。
ルースはボストン・レッドソックスでメジャーデビューを果たし、その後ニューヨーク・ヤンキースに移籍して一時代を築くと、キャリアの最終年はボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)でプレーした。
最初に「アメリカ野球殿堂入り」を果たした5人の中の1人でもある。
MLBの公式スタッツを調べると、まず打者としての功績が顕著だ。シーズン本塁打50本以上の記録を初めて達成したプレイヤー(1920年)で、1927年に記録したシーズン60本塁打は、1961年にロジャー・マリス選手によって塗り替えられるまで34年間にわたりMLBの最多記録であった。
生涯で放った本塁打の数は通算714本。これは、1974年にハンク・アーロン選手に破られるまで39年間にわたり最多記録だった。
偉大な成績を残したことから、“ベースボール(野球)の神様”として、彼の死後も多くの野球ファンから愛されている。活躍したニューヨーク・ヤンキースでは彼が付けていた背番号「3」は永久欠番となっている。
打者としての生涯成績の一覧は、こちらを見て欲しい。
元祖“投打二刀流”としてのルース。そこから分かる大谷選手の凄さ
ルースはヤンキース移籍後に著しく本塁打数を伸ばしたこともあり、その印象は強いが、今シーズンの大谷選手のような“投打二刀流”の元祖だ。
MLBの公式スタッツを見ると、ルースが実際に“投打二刀流”でプレーしたのは1914年から21年、30年、33年の計10シーズン。投手としては通算94勝を誇る。(投手としての生涯成績の一覧は、こちらを見て欲しい)
投手としても目を見張る成績を残していたのは、主にレッドソックス在籍時で、最多勝利は1917年の24勝。
ちなみにこの年は、打者としては52試合に出場し123打数で40本のヒットで打率は3割2分5厘。そのうちホームランは2本だった。
翌1918年は投手として13勝、打者として11本の本塁打を記録。
投手として2桁勝利を記録しながら2桁のホームランを打った選手は、ルース以来いない。
大谷選手はすでに今シーズン20本以上の本塁打を記録し、投手としては3勝している。つまり、投手としてあと7勝すれば、ルースの偉大な記録を塗り替えることになるのだ。
現在、アメリカン・リーグの本塁打数ランキングでトップを走る大谷選手。最近の目覚ましい活躍でファンの注目はさらに高まっている。
大谷選手のヤンキースタジアム初登板は、投球内容こそほろ苦いものとなった。
だが、「先発投手」がこの球場で1~5番の打順に入ったのは、1933年10月1日にルースが「3番・投手」で出場して以来、88年ぶりのことだったという。
大谷選手の二刀流の挑戦が、時代を超えてMLBの歴史とルースの偉大な記録を塗り替える日をファンは待ち望んでいる。