先日、とあるツイートが反響を呼んだ。
投稿したのはファッション専門学校に通う男子学生。カフェで編み物をしていたところ、高校生たちに「キモい」と言われたエピソードをもとに、自分の気持ちを綴ったツイートである。
男性が編み物をするのは「キモい」?
私は編み物を中心として、手芸全般に関わる仕事をしている。編む楽しさを多くの人に伝えるためのワークショップをしたり、手芸関連企業のアドバイザーをしたりするなど、様々な局面で活動を続けているのだ。
手芸に関わるジェンダーバイアスが存在することは冒頭のツイートを見れば明らかだが、私自身も過去に開催したイベントで、そうしたバイアスの解体を試みたことがある。
そんななか、「男子高校生が編み物する」漫画の連載が開始された。猫田ゆかりさんの『ニッターズハイ! 』(月刊誌「コンプティーク」/KADOKAWA)だ。
陸上部で才能を発揮していたが、怪我により走ることを諦めてしまった高校生の主人公・浜仲健斗が同学年の男子生徒に影響されて編み物をはじめるという内容の作品である。自分が夢中になっていたことを諦めなくてはいけなかった主人公の失意と、その過程でかけられた言葉がトラウマとなり、そこから回復していく様が心にぐっとくる物語だ。
第1話では「男が手芸なんて変だし」と発言する主人公が男子生徒や先輩の怒りを買った末に自らの内にあるジェンダーバイアスを自覚し、それが編み物をすることによって解体されていくシーンが描かれている。
「男子高校生が編み物をする」というテーマはどのようにして生まれたのだろう。『ニッターズハイ! 』作者・猫田ゆかりさんに話を聞いた。
自分にかかってしまった呪いを解いていく物語
「2年前くらいから編み物にはまったのですが、その時に『これは漫画にしたら面白いな』と思いました。
その頃、帯状疱疹になってしまって、痛くて何もできなかったんです。漫画も書けないし、本も読めないし、寝ることもできないんですけれど、なぜか編み物をしていると、痛みをあんまり感じなくなったんです」
手芸が心身の辛さや不具合を軽減するというのは、よく聞く事例である。
私の身近でも、一度寝たきりになってしまった方に、新しい道具と糸を渡したらたくさん編むようになって、また立ち上がることができるようになったという話もある。
また、編み物がうつ病の改善に効果があるということはよく言われていて、学術論文も存在する。
「その後、連載の構想について考えている時に『編み物漫画を描くんだ』という話を友人にしたら、『主人公は女の子なの? 』と聞かれて、『えっ? 』と思ったんです。友人はなんで女の子だと思っちゃったんだろう、って。
実は私自身も『男性が編み物をやっていると珍しいんじゃないか』『漫画として面白いんじゃないか』という発想があったのですが、その時に、それがジェンダーバイアスだってことに気づきました。このことをちゃんと書かないといけないんじゃないかと思い、1話がそうした話になったんです」
しかし、話はジェンダーバイアスにはとどまらなかった。
「私は『自分にかけられた呪い』みたいなものがあると思っていて。
たとえば、かつて私は『30歳までに結婚しなければならない』という呪いにかかっていました。20代後半になると周りから『結婚はしないのか? 』と聞かれたりして、だんだん自分でもそういう『思い込み』ができてしまって、それが『呪い』のようなものになってしまったのだと思っています。
『ニッターズハイ!』の主人公・健斗は陸上部のコーチに「遅いやつはいらないから」と言われて、『(もし前みたいに走れなかったら)自分はいらないんだ』という呪いにかかってしまう。そして、『自分の夢中になれること』を失ってしまう。
この作品は『自分にかけられた呪い』を解いていく物語なんだ、と第3話まで描いてみて、気づきました。一言で『呪い』といっても人によって様々な形があると思いますが、そういうことって、みんなにあるのではないでしょうか」
では、手芸はその「呪い」に対してどのような力を持つのだろうか。
「『呪いを解く』って、結局は『呪い』の存在に気づくことです。そのままだとかかっていることすら気づけない。
だから、私の場合も気づいた時にすごく楽になりましたね。『あっ、これ呪いだったんだ』って。敵の正体がわかった。苦しみの正体がわかった、っていう。
つまり呪いが解かれた状態っていうのは、『理解した状態』なんですね。呪いをかけた人についても、その人がなぜそういうことを言ったのかという背景や、その発言に至った事情が『理解』できることなのだと思います。
編み物していると『自分と向き合う時間』ができます。集中できて心の整理もついていく。私自身がそういう経験をしているから、漫画の中でもキャラクターに編み物をさせながら、彼らがだんだん笑顔になっていくということを自信を持って描けるし、おそらく編み物をしている人はそういう経験があると思うんですよね」
猫田さん曰く、呪いが解けていくことは、ある種の「自立」にもつながるという。
「主人公・健斗は『呪い』にかかってしまいますが、でもそれは『自分はこういう風に生きていくんだ』という気持ちがなかったからなんです。ふらふら気持ちが揺らいでいた。
逆に、自分の中に確固たるものが見つかった時には『呪い』は解ける。私の『自分は30歳までに結婚しなければいけない』という『呪い』もそうでした。その意味で『呪いが解ける』こととある種の『自立』とは同じものだと思っています」
主人公・健斗の編んでいるマフラーが不格好になってしまい、やり直すかどうか悩むシーンがある。その時、一緒に編んでいる友人に「自分で決める」ことをうながされ、陸上部時代のことについて「いらないと言った人のせいにして、走らなくなってしまった」ことに気づく。
自分で決断することの意味を見出した健斗は「自立」に一歩近づき、「自分がかかってしまった『呪い』」を解くことができたのだ。
呪いを解き、ありのままの自分を受け入れる
ジェンダーバイアスをはじめ、さまざまな偏見やそこから生まれてしまうトラウマは身の周りにあふれている。
しかし、私たちがいま向き合わなければならないのは、自らにかかってしまった「呪い」なのかもしれない。そしてその「呪い」を解くことこそが、これからの時代の明暗を分けるのではないだろうか。
猫田さんの言葉から分かるのは、編み物をして一つずつ「呪い」に気づいていくと、それが解けて「生きやすく」なるということだ。手を動かすことで「自分のことを考える時間」が自然に作られていくからだとも。
私自身、編んでいるとありのままの自分に出会い、それを認めざるをえない瞬間がある。編んでいて自分の思う通りにならずにほどいて、と失敗を繰り返したりしている時はまさにそのように感じる。「自分にかかってしまった呪い」にとどまらず「自分が他者にかけてしまった呪い」まで自覚し、理解する時もあるくらいだ。
そのような過程を経て、人は「ありのままの自分」を受け入れることができるようになるのかもしれないと思う。
もちろんそのような力を持つのは手芸だけではない。「自分と向き合う時間」をつくることのできる、さまざまな分野のことがそこでは助けになるはずである。それぞれの人にあったものならば何でも良いのだ。
願わくば、みんなで内なる「呪い」と向き合えることを。そして、冒頭のツイートのような悲しみが減り、それでもまた「呪い」がまた生まれてしまったとしても、それが解けますように。
そう祈りながら、編んでいこうと思う。
猫田ゆかり(ねこた・ゆかり)
第62回ちばてつや賞入選作、『黒い紋章』にてデビュー。
代表作に『SAKURA TABOO』、『天空の蜂』(原作:東野圭吾)。
現在、月刊『コンプティーク』にて、『ニッターズハイ!』を連載中。
愛知県在住、猫好き。