2018年に大ヒットした映画『ボヘミアン・ラプソディ』。
伝説的ロックバンド、クイーン(Queen)の結成から、今なお語り継がれる名ライブである1985年ライヴ・エイドまでを描いた本作で、主演を務めたのがラミ・マレックです。
ラミが演じたのは、1991年にAIDS(後天性免疫不全症候群)の合併症により死去したクイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリー。様々な役作りとメイクなどにより、ラミはフレディになりきりました。
その圧倒的存在感や人気、社会に与えた多大な影響などをふまえると、フレディを演じるというのは大きなプレッシャーがあり、そう容易いことではないはず。
写真で比較しながら、ラミの役作りを紹介します。
2人の共通点は「移民」であること
1981年5月12日に生まれ、現在40歳のラミ・マレック。両親はエジプトからの移民で、ラミはアメリカ・ロサンゼルスで育ちました。
これまで、映画『ナイト ミュージアム』シリーズやドラマ『MR. ROBOT/ミスター・ロボット』などに出演。『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディ役に抜擢され、初のアカデミー賞主演男優賞に輝きました。
移民というルーツは、フレディも同じ。フレディはインド出身の両親のもと、アフリカ東岸のザンジバル島(当時はイギリスの保護領。現タンザニア)で1946年に生まれました。
フレディがまだ少年だった頃、内情が不安定だったザンジバルで革命が起き、多数の死傷者が出たといいます。一家は故郷を追われ、イギリスへとやってきたのです。
ラミは、このようなフレディの出自を演じる際も意識しており、自分との共通点の一つは「移民」であることだと語っています。ラミ自身も、若い頃に「周りのみんなと文化が違うことで自信をなくしたことがあった」といいます。
役作りに1年。あの歌唱スタイル、どう「完コピ」?
ラミは、フレディの役をオーディションで勝ち取りました。
通常なら数週間でできるという役作りを、『ボヘミアン・ラプソディ』では1年かけたそう。
映画のプロデューサーを説得しロンドンにも赴きました。ニューヨーカーのインタビューでは、現地でコーチをつけ、イギリス英語やパフォーマンス、歌、ピアノなどのレッスンを受けたと語っています。あらゆる映像や写真をチェックし、1日4時間もフレディのインタビューやパフォーマンス映像を見たといいます。
目の動きや振り返り方、歯を隠す仕草、マイクの持ち方、そしてあの独特の歌唱スタイル…。フレディの細かな仕草や表情などを丹念に研究したラミの努力が、「フレディにそっくり」「完コピすごい」と、観客を大いに驚かせることにつながりました。
蘇る「伝説の21分」の興奮
中でも最大の見どころは、映画のクライマックスにあたるライヴ・エイドでのライブシーン。
ライヴ・エイドは「20世紀最大のチャリティー・コンサート」と言われ、クイーンは1985年7月13日、エチオピア飢餓救済のチャリティとして、ロンドンのウェンブリー・スタジアムのステージに立ちました。
テレビを通じて世界で約15億人が見たと言われており、 今でも「伝説の21分」と呼ばれています。
映画では、時間は多少短くはありましたが、このステージを可能な限り忠実に再現していました。
ラミ演じるフレディの動きや歌い方から、スタジアムの構造、ステージ上の楽器や機材、ステージドリンク、そして観客の様子まで、当時の熱狂が映画を通して蘇るようです。
「義歯」は今でも「人生で最高の贅沢」
ラミは、フレディの「歯」を真似るため、撮影の際は「義歯」をして歌もその状態で歌っていました。
この義歯を作ったのは、有名な歯科技工士で、ニューヨーク・タイムズのインタビューで制作の裏話を明かしています。最初はフレディの歯のサイズを復元したものを作りましたが、それはラミには大きすぎたそうです。それからサイズを小さく作り直し、ちょうどいい大きさになりました。
技工士によると、ラミは「フレディのように歯を唇で隠そうとする仕草をたくさん練習していた」そう。
ラミは撮影後も、「義歯」を大切にとっており、こんな裏話を明かしています。
「実は金メッキをしてもらったんだ。人生で最高の贅沢かもしれない。フレディみたいに風変わりなことをやるとしたら、なんだろう?と考えた時、全部金歯にするのが、一番フレディらしいのかなと思って」
世界中で大きな盛り上がりを見せた映画『ボヘミアン・ラプソディ』。その裏側には、主演ラミ・マレックのフレディ・マーキュリーやクイーンに対する愛情とリスペクト、そしてそれを映画で伝えるための、並々ならぬ努力と情熱があったようです。