『スタンド・バイ・ミー』が生んだスター。伝説の俳優リバー・フェニックスの23年の生涯【写真集】

クリスを演じたリバー・フェニックス。人気絶頂の中、薬物過剰摂取が原因で23歳の若さで死去しました。ジョーカー役で知られるホアキン・フェニックスの実の兄でもあります。
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リバー・フェニックス。1993年に23歳の若さで亡くなった
Nancy R. Schiff via Getty Images

青春映画の金字塔として、公開から30年以上が経っても色あせない魅力を持つロブ・ライナー監督の『スタンド・バイ・ミー』(1986年)。

12歳の夏、4人の少年たちの冒険を描いた本作で、メインキャラクターの1人、クリス(クリストファー・チェンバーズ)を演じたのが当時15歳のリバー・フェニックス。クリスは、家庭環境のために周囲からは「不良」として扱われていましたが、友達思いで聡明な少年で、ファンの間でも愛されてきました。

リバー・フェニックスは、『スタンド・バイ・ミー』を経て、着々とスターの道を駆け上っていくかと思われていましたが、1993年、23歳の時に薬物の過剰摂取が原因で亡くなりました。

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リバー・フェニックス演じるクリスが、ウィル・ウィートン演じるゴーディを励ます『スタンド・バイ・ミー』のワンシーン
Archive Photos via Getty Images

リバーが倒れたのが、当時ジョニー・デップが経営に関わり、スターが集まる有名ナイトクラブだったこともあり、彼の死はハリウッドに大きな衝撃を与えることになりました。

人気絶頂期、23歳という若さで亡くなったリバー・フェニックス。その生涯を、写真とともに振り返ります。

 

子役として活躍。弟はホアキン・フェニックス

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兄リバーと弟ホアキン。1985年頃、ロサンゼルスのフェニックス家で撮影
Dianna Whitley via Getty Images

1970年8月23日にオレゴン州で生まれたリバー・フェニックス。当時、両親がカルト宗教団体に所属しており、幼い頃は一家で南アメリカを転々としていたそう。

その後団体を離れ、1977年にアメリカに帰国すると、フェニックス家の子どもたちは揃ってエンタメ界で活躍。リバーは10歳頃から俳優業を始めました。

リバーの4歳下の弟にあたるのが、『ジョーカー』役で知られるホアキン・フェニックスです。

ホアキンは2019年、Vanity Fairのインタビューで、俳優になる前の子どもの頃、リバーから「ホアキンは俳優になるよ。そして俺よりずっと有名になる」と言われたと明かしています。「その時はバカげてると思ったけど、もちろん今は『兄はどうやって知ったんだろう?』と思うよ」と、生前の兄の「予言」を振り返りました。

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1986年公開の『モスキート・コースト』出演時のリバー・フェニックス
picture alliance via Getty Images

俳優としての評価は?

15歳の時に『スタンド・バイ・ミー』でメインキャストの1人になり、その後は『モスキート・コースト』で、スター俳優ハリソン・フォードと親子役で共演し話題に。

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1986年公開の『スタンド・バイ・ミー』。左から2番目がリバー・フェニックス演じるクリス
Archive Photos via Getty Images

『インディ・ジョーンズ』などのメジャー大作などで頭角を現しながら、インディペンデント映画の出演にも意欲的だったようです。『旅立ちの時』では、アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされ、『マイ・プライベート・アイダホ』では、ベネチア国際映画祭の男優賞を受賞

どこか儚げな存在感と確かな演技力で、多くの監督、共演者、そして観客を魅了してきました。

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『旅立ちの時』のリバー・フェニックスと共演者のマーサ・プリンプトン。第61回アカデミー賞にて
Barry King via Getty Images

親友はキアヌ・リーブス。音楽も愛する2人

リバーの「親友」として知られているのがキアヌ・リーブスです。2人は『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』で共演し、その後『マイ・プライベート・アイダホ』では、ストリートで生きる男娼の主人公を演じました。 

 

リバーとキアヌはともに音楽好きでもあり、俳優だけではなく音楽活動にも熱心で、意気投合したといいます。音楽を題材にした映画『愛と呼ばれるもの』で、リバーは自らの歌声を披露しています。

2019年、リバーの妹が彼に捧げるアルバムをリリースした際には、キアヌは、「リバーと出会ったことは運命だった。1人の人間としても、表現者としても。(略)並外れて美しい魂で、光だった」とコメントしました。

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自身のバンドではギターを弾いていたリバー・フェニックス。ロックバンドを愛し、アーティストとの交流も深かった
Robin Platzer via Getty Images

23歳で死去。救急車を呼んだのはホアキンだった

1980〜90年代にかけてハリウッドで一時代を築く俳優やアーティストとも親交が深く、俳優としても人気絶頂期にあったリバー。

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1993年ロサンゼルスのスタジオで撮影したポートレート。亡くなる前「最後の撮影」と言われている
Donaldson Collection via Getty Images
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1993年ロサンゼルスのスタジオで撮影したポートレート。亡くなる前「最後の撮影」と言われている
Donaldson Collection via Getty Images

悲劇が起きたのは、1993年10月のことでした。当時、ジョニー・デップが経営に関わっていたロサンゼルスの有名ナイトクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」で薬物の過剰摂取により倒れてしまったのです。その場に一緒にいたという19歳のホアキンは、必死に救急車を呼んだと報じられました

リバーは病院に運び込まれましたが、1993年10月31日に息を引き取ることになりました。

人気スターの急逝に報道も過熱し、様々な憶測が飛び交っていたと言われています。彼の死は、世界中に大きな衝撃を与えることになりました。 

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花やろうそく、メッセージがたむけられたザ・ヴァイパー・ルームの外観。亡くなった翌日1993年11月1日の様子
Michael Ochs Archives via Getty Images

ホアキンに受け継がれた、俳優の道

ホアキンは、兄の死後、俳優業を休業していた時期がありました。もともとプライベートについてあまり明かさないホアキンは、リバーについて言及することも、ほとんどありませんでした。 

復活してからは、『グラディエーター』『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』『her/世界でひとつの彼女』など話題作に出演し、役者としての評価を高めていったホアキン。

2019年、主演作『ジョーカー』が世界の様々な映画賞を受賞し、アカデミー賞では主演男優賞に輝きました。

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第92回アカデミー賞で主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックス
Rachel Luna via Getty Images

リバーが亡くなってから25年以上が経ったこの時、ホアキンは公の場で何度も、俳優の道に誘ってくれた兄に感謝の言葉を伝えました。出演したインタビュー番組では、こう語っています

自分が作っているすべての映画で、リバーとどこかでつながっているように感じている

私たち家族は全員、人生の中で様々な形で彼の存在を感じ、そして彼が導いてくれていると感じています

また、2019年にはホアキンは『her』で共演したルーニー・マーラと婚約。翌年、子どもの名前は、兄からとった「リバー」であることが明らかになりました

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ホアキン・フェニックスとルーニー・マーラ
Kevork Djansezian via Getty Images

亡くなってからも、「伝説の俳優」としてその功績が語られ続けるリバー・フェニックス。事故の現場になったナイトクラブには、今でも命日などに、リバーをしのぶファンたちが、花やろうそく、手紙などをたむけに現われるといいます。 

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1988年、ポートレート撮影時のリバー・フェニックス
George Rose via Getty Images
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1988年、ポートレート撮影時のリバー・フェニックス
George Rose via Getty Images
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1989年撮影のリバー・フェニックス
David McGough via Getty Images
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1993年ロサンゼルスのスタジオで撮影したポートレート。亡くなる前「最後の撮影」と言われている
Donaldson Collection via Getty Images