私たちの日常を変えた三密を避ける生活様式は、人の死に際の光景を変えた。
大切な人の命にかかわるときも、入院先にお見舞いに行くことはできない。亡き後、葬儀で親戚や友人と集まり、その人を偲ぶことも難しい。
「こうした変化により、大切な存在を失った人の哀しみは癒えにくくなっている」と日本グリーフ専門士協会代表理事で公認心理師の井手敏郞さんは明かす。
コロナ禍、大切な人を亡くした哀しみが癒えにくいのはなぜか。その哀しみを癒やすにはどうしたらいいのか。コロナ禍のグリーフケアについて、『大切な人を亡くしたあなたに知っておいてほしい5つのこと』(自由国民社)の著者である井手さんに聞いた。
「仕方ないよね」としか言えない遺族たち
――コロナ禍になり、病院へのお見舞いや葬儀が、以前と同じようにはできなくなっています。井手さんのもとには、どんな話が寄せられていますか。
グリーフ専門士として、大切な存在を亡くした人や医療者、葬儀関係の人たちと関わるなかで、皆さんがこれまでにない痛みを抱え、また受け止め切れていないと感じています。
例えば、ある人が突然倒れて救急車で運ばれたとき、もし新型コロナの疑いがあれば、家族とは病院の入り口で別れなければいけません。入院中に付き添えないばかりか、会えないまま大切な人を亡くされる人もいます。
あるご遺族は、「救急車のストレッチャーから降ろされたお母さんの姿を見たのが最後だった」と話していました。
一方で、医療者は、ご家族に『ご時世的にお見舞いを控えてください』『新型コロナに罹患しているので会えません』などと伝えるのを忍びなく思っています。また患者が新型コロナで亡くなるとご遺体を袋に入れる必要があり、「いたたまれない気持ちになる」と明かす人もいます。
――葬儀もまた従来通りにはできなくなっています。新型コロナで亡くなった方のご遺体と対面できないケースもあると聞きます。
今、葬儀の現場では、至る所でご遺族の「仕方ないよね」という言葉を聞くそうです。
本来、「仕方ない」とは、避けられなかった困難を受け入れていくときに発する言葉です。しかし今、「仕方ない」と言いながらも、状況を受け入れられていない人が多い。
ご家族だけでなく、医療者も葬儀関係の人も、「もっと何かできたのでは」と後悔し、心を痛めているのを感じます。
コロナ禍は、喪失体験による哀しみが長引きやすい
―――そもそも「グリーフ」とは何ですか?
「グリーフ」とは、喪失体験にともなう反応のこと。死別、離婚や別居による離別、災害などで大事な存在を失ったとき、人の心身はショックでバランスを崩します。その反応を総じてグリーフと呼ぶのです。
ひとつが、感情面での反応です。悲しい、苦しい、つらいといった気持ち以外にも、腹が立ったり、ときには感情が出てこなくなったりすることもある。「なぜ自分は生きているのか」「自分には生きている価値があるのか」といった疑問がよぎったりもするでしょう。
身体にも影響は及びます。眠れなくなったり、食べられなくなったり、物事に集中できなくなったり塞ぎ込んだりするほか、アレルギーや持病がひどくなったりする人も。
大きな喪失体験を経て、社会的な関わりも変化しがちです。同じ苦しみを味わいたくないあまり人と関わるのを恐れたり、周囲に変に励まされて「私の気も知らないで」と人への不信感を募らせたり……。
こうした反応は、大事な人を失った直後だけでなく、命日など、その人の死を想起させる日の前後にも強く現れます。
――大切な人を亡くし、さらに心身にさまざまな反応が現れたら、どうすればいいのでしょうか。
感情や体調がころころと変化するので、「私はおかしくなってしまったのではないか」と考える人もいるほどです。しかし、グリーフは病気ではありません。
グリーフとは、抱えている哀しみ、つらさを誰にも打ち明けることができず、一人で抱え込んでいるために起こる反応。自分らしい人生を取り戻すためには、誰かとじっくりと哀しみを共有し、味わう時間が必要です。
その意味で、複数の人が集い、一緒に故人について語り、泣き、祈る場である葬式は重要な意味を持っていました。葬儀をしにくいコロナ禍は、グリーフを手放しにくい環境にあるのです。
過去のグリーフが十分に癒えていないと…
――人がグリーフを手放すには、どれぐらいの期間がかかるものなのでしょうか。
数年で自分らしさを取り戻す人がいる一方で、10年経っても15年経っても難しい人もいます。
グリーフが長引いてしまう人は、過去の喪失体験が十分に癒やされていないケースが多いですね。落としてヒビが入っていたスマホが、もう一度落としたら割れたり壊れたりしてしまうのと似ています。
特別に思い入れのある著名人が亡くなって、過去のグリーフが刺激されるケースもあります。
例えば、自分と似た過去を抱えていることを理由に著名人を応援している人にとって、その人は家族以上に近しい存在に感じるかもしれません。もしその著名人が自ら命を絶ってしまえば、グリーフを抱えるばかりか、「同じ気持ちになるのでは」と気持ちが揺らぐこともあるはずです。
グリーフを自覚していない人は多く、どんなきっかけで過去の痛みが刺激されるかはわかりません。死に関する情報に大きく気持ちが揺れる人は、報道も含めて自死の方法や場所などの個人的な情報からは適切な距離を取っておいた方がいいと思います。
グリーフを手放すためにできること
――今、グリーフを抱える人ができることは何でしょうか。
まず、自分の心の中にある痛み、哀しみに気づくことです。
ただ、自分一人でそれに向き合うのはとても難しい。誰かと一緒に向き合うために、穏やかに自分の気持ちを語れる場を探しましょう。相手は、身近な人でも、私たちのようなグリーフケアの専門サロンでも、心の声を聞く機関でもかまいません。
誰かに語ることができない状況でも、自分の気持ちを大事にしてほしいですね。ネガティブな感情にもポジティブ感情にも蓋をせず、文字にして書いたり、スポーツで発散したりしながら、うまく外に出していきましょう。
グリーフがどんな反応を呼ぶのか、知っておくことも大切です。ショックで心身のバランスを崩すのは誰にでも起こりうることです。あらかじめわかっていれば、「私はグリーフなんだな」と冷静に受け止められますから。
――グリーフを抱えた人の周囲にいる場合、どうケアすればよいのでしょうか。
その人がゆったりと語れる場を設け、黙って耳を傾けてあげてください。無理に励まそうとする必要はありません。そのうえで、グリーフについての知識を知らせることもその人の力になります。
対面で会えなければ、電話でもオンライン通話でも大丈夫。高齢者の方など、電話やオンラインが難しいならば、手紙のやりとりでもかまいません。相手に合わせたつながり方を提供してください。
次のグリーフを深めないための方法
――コロナ禍では、人とのつながりについてより意識的になる必要があるでしょうか。
グリーフサロンに集う遺族の人たちからも、従来より人とつながりにくいことで、閉塞感が強まっているのを感じます。
もともと私たちの元に来る人は、1人暮らしか、あるいは家族とは関係が悪かったり、家族に遠慮していたりと、自分の気持ちを語れる場のない人が多い。今、物理的に会うことが制限されている中で、そうした状況の人は増えているのでしょう。
医療者、葬儀関係者も、新たなつながり方を提供できないかと模索しているそうです。直接は会えないとき、入院している患者さんの写真や動画を撮って「最近、こんなご様子です」と見せた話や、葬儀に来られなかった人とオンラインでつなぎ、葬儀の様子を見てもらっているという話も聞きます。
――これから来るグリーフを深めないために、私たちができることはあるのでしょうか。
長引くグリーフは「亡くなった人を大事にできてなかった」という後悔からも起こるもの。その後悔を小さくするためにできるのは、日々、目の前の人を大事にすることです。
人生は、グリーフの連続。だれかと別れた哀しみに向き合うとき、その人と毎日きちんと向き合い、敬意をもって接してきたという過去の経験は、自分を支えてくれるはずです。
〈井手さんの著書、発売中〉
(取材・文:有馬ゆえ 編集:笹川かおり)