「ジェンダーって数字(視聴率)取れないから」「もうよくない? そういうの」
テレビ局で働きながらも、ジェンダー問題を取り上げなければと苦心している人なら誰でもこうした言葉を冷たい目線とともに投げかけられた経験があると思う。
批判を浴びたテレビ朝日・報道ステーションのWEB用CMにある「どっかの政治家がジェンダー平等とかってスローガン的に掲げてる時点で、何それ時代遅れって感じ」というセリフを聞いた時、自分が企画を出した時に投げかけられた言葉がフラッシュバックしてきた。
「ジェンダージェンダーうるさいな、そういうのもうよくない?」という内部で渦巻く本音が溢れたセリフなんだろうな、というのがテレビ業界に身を置く者としての率直な感想だ。
その本音を若い女性の役者さんに代弁させた演出には、意図的であれ無意識であれ強い嫌悪感を覚えた。
たった30秒のCMに詰め込まれた”わかってない感”
報ステがCMを取り下げた際の謝罪コメントには、「ジェンダーの問題については、世界的に見ても立ち遅れが指摘される中、議論を超えて実践していく時代にあるという考えをお伝えしようとしたもの」だった、と説明がある。
でも、これを読んでもCMで女性に言わせたセリフの意図はよく分からない。むしろ混乱する。
CMの中で「実践」らしき所は「先輩が赤ちゃんを産休明けに連れてきた」というセリフ部分しか見当たらない。そもそも「育休」でなく「産休」明けなのであれば、その赤ちゃんは生後8週間ほどということになる。CMに登場する女性がリモートで仕事をするのが当たり前の環境なのに、その「先輩」はなぜわざわざ赤ちゃんを職場に連れてきたのだろう。それがなぜジェンダー平等の「実践」になるのだろうか。
未来設定ではないかという擁護反論も見かけたが、未来を示唆する演出は見当たらない。「リモートに慣れちゃってたから…」というセリフが冒頭にあるので、これはコロナ禍なのだと推察する。もし未来を描いたのだとすれば、映像作品としてあまりに未熟である。
映像作品を作り上げる時には、一つ一つのショットやセリフ、映像の構図が練られる。CMという限られた時間でメッセージを伝えなければいけない作品はなおさらだ。
複数の人の話を総合すると、このCMには裏の設定があって、この女性は彼氏に向かって語りかけているらしい。つまり、女性が1つのカメラに向かって話し続けているのは、視聴者が彼氏目線の疑似体験をするための演出だと受け止められる。
他にも言及したい点は山程あるが、とにかくたった30秒のCMに作り手のジェンダー問題に対する姿勢や、“わかってない感” が嫌というほど詰め込まれてしまっているのだ。
CM制作も、意図も説明されていないスタッフたち
テレビ局の番組は社員に加え、制作会社のスタッフが実務の多くを担っている。一つの番組が終了したりするたびに、スタッフが局をまたいで異動することも日常茶飯事だ。筆者にも報道ステーションで働く複数の友人がいる。
現場は今どうなっているのか彼らに話を聞いてみた。
そもそもあのCMが作られていることを知っているスタッフはほとんどいなかったそうだ。ウェブCMの公開後、複数のスタッフが異論を唱えたということもあったようだが、男女問わず「疑問に思わなかった」スタッフもいたという。
CMはそのまま公開され続け、炎上へとつながった。
だが、私が気になったのはその後の展開だ。
あれだけ炎上したのだから、反省やどこが問題だったのかなど議論がされているのかもと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
CM作成に関わっていないスタッフにはその後も「誰が・なんのために・どういうターゲットを狙って」作られたのかという説明はされず、上層部がスタッフに対して「申し訳ない、反省している」などと謝罪したのみだという。
公開前にCMをチェックしていた人の中には炎上後もなお、「意図が間違って伝わっている」と騒動への不満を口にする人もいると聞いた。
筆者の友人で、報ステに関わる人の中にも炎上騒動後でもなお、「何が悪いのかわからないし、若者に向けたCMだから間違っていないと思う」という人もいたし、”偏った人たち”が批判して炎上させたという主旨の話をしている人もいた。
もちろん、CMに対して怒っているスタッフも存在するが、逆に今も炎上について納得できず、純粋に悔しく思っている人がいるようで、その数も1人や2人といった少人数ではなさそうだ。
「信じられない」と思われる方も少なくないと思うが、私の肌感覚としては「やっぱり」である。
前回のブログで森会長の件とテレビで起きるジェンダー問題は地続きだと指摘したが、今回も例外ではない。森会長の件になぞらえるなら、今の状態は、森会長が不服そうに謝罪し、辞任の際にも相変わらず恨み節をつぶやいていたあれと同じだ。
「再発防止を徹底」=ジェンダーはもうやるな?
ちなみに、この空気感があるのは報ステだけではない。
ウェブ媒体や新聞などで批判や検証がされる一方、テレビのワイドショーでは”CMに賛否両論”という見出しが多く使われていた。
「私は気にならなかった」「反感を持つほうが差別的」などの街の声を伝え、スタジオトークなどでは「”偏った人たち” が批判して、炎上させ、CMを取り下げる事態となった」という論調が目立った。こうした主張をすべて若い女性の声で構成したVTRを流す番組もあった。
朝日新聞によると、テレビ朝日の早河会長はこのCMをめぐって報道担当常務と報道局長に厳重注意し「深く反省して再発防止を徹底する」と語ったという。
そのうえで、「(CMという)短い時間の中で、ああいう(ジェンダー平等という)テーマをメッセージにするのは難しい。僕が厳重注意したのは、もうそういうことはやるなと(いうこと)。PRの方法論として」と話したと伝えている。
まるでジェンダー問題は扱うなと言っているようなものだ。
再発防止には検証とその周知が不可欠だが、テレビ朝日の報道に関わる人によると、今のところ報道局全体に対しても、CMが作られた経緯の説明や、再発防止についての具体的な案を提示するような動きはないようだ。
テレビというのは、前回も指摘した通りボーイズクラブのノリがまかり通っている世界だ。意思決定層の多くは男性で、若い男性や数少ない女性達も生き残るためにわきまえるうち、次第に黙るか彼ら寄りの意見を持つようになる。
この風土への反省ができないのであれば、同じような問題は報道ステーションに限らずテレビ局のどこかでまた繰り返されるに違いない。
視聴者と同じ目線の高さに立つために、ニュース現場の多様性が必要だ
最後に、冒頭で書いた「ジェンダーって数字取れないから」とテレビ業界でよく飛び交う言葉に反論しておきたい。
テレ東「きのう何食べた?」、TBS「逃げるは恥だが役に立つ」、フジテレビ「問題のあるレストラン」、日テレ「アンナチュラル」などなど、日本社会にジェンダー問題があることを認め、真正面から取り組んだ質の高いドラマがある。
いずれも高い視聴率を取り、年月を経ても支持を得ている。ジェンダー平等をかかげることが時代遅れなのではなく、そこに問題があることを認め、少なくとも表面化させることがテレビが担うべき役割だ。報道や情報番組もこのスタンスをとるべきだと思う。
女性や、若い男性に「教えてあげる」立場ではなく、若い人や女性が日々直面している問題を認識し、同じ目線でニュースを考えていく必要がある。
同じ目線の高さに立つためには、ニュースを選ぶ人を多様化させなければ始まらない。スタッフ、特に意思決定層に女性を増やす努力をしなければいけないし、必死になって女性コメンテーターも探すべきだし、若者や女性が名誉男性的な発言をせずに住む環境を作る必要がある。
こうした努力をきちんとしてみれば、どれだけ「ジェンダー平等」が困難な道のりかを実感するだろうし、「何それ時代遅れ」なんていうセリフで若者にウケようなんて発想にはならないはずだ。
バージョンアップした報ステの姿が見たい
その上で、報道ステーションには今回のCMを反省し、きちんとアップデートしてほしい。報ステは、時に「そんな事までする?」というくらい、大掛かりな 演出などで視聴者を驚かせてくれる数少ない番組の一つだ。
3月29日からは、同じ時間帯にテレビ東京がリニューアルしたWBS(ワールドビジネスサテライト)をぶつけてきている。CM問題をこのまま放置する事はどう考えでも得策ではないし、視聴者に誠実でもない。番組内で疑問を持つ人達の意見をきちんと吸い上げ、作品に昇華させる事ができればバージョンアップした報ステの姿を見せる事ができるだろう。
若い人の中にも子供の頃から「なんだか先を行く斬新な番組だな」と思いながらニュースステーションを見ていた人は少ないはずで、私もその1人だ。テレビっ子として育ち、葛藤は抱えながらも今もテレビに希望を抱く者としてお願いしたい。
ぜひ、今回の件にきちんと向き合い、報道ステーションらしい演出できちんと検証してほしい。これができれば、新しい視聴者を惹きつける魅力になるはずだ。
【文:ハル、 編集:中村かさね @Vie0530】