地方から京都大学へ。その時まで、僕は「教育の地域間格差」の本当の根深さを知らなかったのだ

僕にとって受験は、人生からの脱出ゲームだった。しかし、大学に入ってすぐに周囲との大きなギャップに気付いた。進学の意味づけ、ライフコースの解像度が、全然違う。自分にとって自由の始まりだった大学は、多くの人にとって整備された手順の一つだった。

たびたび、教育の地域間格差が話題になる。

僕も「教育の地域間格差」に関するギャップを感じたことがある。

大学受験〜大学入学の時期を振り返ってみる。いま28歳。鮮度のある記憶として受験の話をするのは段々難しくなってきたが、思い出してみる。

この話は以前noteにもまとめたのだが、今一度、少し頭の中を整理してみようと思う。

 

地方都市。「人生すごろく」が目の前に見えた

僕は青森県のありふれた地方都市で育った。小さい頃から、「この辺で就職するなら公務員・インフラ・地場産業しかないよ」と大人たち全員に言い聞かされていた。大人全員の口が揃うなんて珍しくて、嘘や脅しなんじゃないかと思っていた。

しかし高校生くらいで、その言葉が真実だったと気付く。完全に「人生すごろく」が目の前に立体化して見える。今まさにサイコロを振るところ。コースは一種類。

次のマスで地元の大学に進む。そのあと県庁か市役所か病院か学校か地銀かJRか農協か漁協か、友達の親がやっている会社か、そのあたりに勤務する。

そして結婚に出産に育児。やがて老後。死。

それが王道にして最強の人生プラン。正解とされるルートはデザインされ尽くしていて、全てがどこでもないどこかへの通過点になっている感じ。

 

受験とは、人生からの脱出ゲームだった。

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taka4332 via Getty Images/iStockphoto

マップに並ぶ人生には、たしかに一定の魅力があった。ただ、自分が実際に生きようと思える人生が見つからなかった。やりたいことがなかった。腰を据えたい椅子も、しっくり来るマスもなかった。どうしよう。マップから出たい。

そんなある日、親が言った。

「東北を出るなら東大か京大かな」
「東大か京大に行けたら、人生何やってもいいよ」

恐らくは、話半分の冗談だったのだろう。息子が東大なり京大なりに行けるとは思っていなかったはずだ。でも、僕にはあまりにも嬉しい言葉だった。東大か京大に行けば自由になれるんだ。行こう、行かなければいけない、と思った。

「自由の学風」というワードがドンピシャに思えたので、僕は京都大学を受けることにした。自由になることを夢見て、昼夜を問わず勉強するようになった。

僕にとって、勉強とは自由へのパスポートだった。

受験とは、人生からの脱出ゲームだった。

めでたく受験がどうにかなった。周囲はたいそう喜んだ。僕も喜んだ。喜んでいる理由は違ったのだろう。

間違いなく言えるのは、僕が好き勝手に学び、好き勝手に生きる権利を手に入れたということだ。そして僕は京都に降り立った。

 

僕のスタート地点は、誰かのシナリオの通過点だった

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京都大学の合格発表(京都市左京区、2011年撮影)
時事通信社

自由でキテレツな人生をスタートさせるんだ、ここからはシナリオのない宇宙旅行だ、全部ガチャガチャにしてやろう、と僕は意気込んだ。

しかし、大学に入って最初に感じたのは「人生が自由になった」という解放感ではなかった。周囲との大きなギャップだった。僕は気付いてしまったのだ。

自分にとってスタート地点だった大学が、多くの人にとってシナリオの通過点だったこと。

自分にとって自由の始まりだった大学は、多くの人にとって整備された手順の一つだったこと。

あらかじめ自由だった人が多いこと。あるいは、大学入学以降も不自由な人も多かったこと。

受験とは、人生からの脱出ゲームではなかったのだ。

みんな大学入学時点で、ライフコースがある程度頭の中で仕上がっていて、何らかのデザインされた模範があって、そこにいたのだ。僕が疎んだ、地元王道コースの最強強化版みたいなすごろくマップを、それぞれが持って来ていたのだ。

2年生で海外留学し、それを足掛かりに国連に就職したい。その場合、海外勤務が決定する前に結婚をしておく、とか。

司法試験を受験することが念頭にあるが、法科大学院に行くのではなく予備試験で突破したい、とか。

一度教員を経験してから大学院に戻って来て、教育政策学分野の研究者または文科省官僚になることを目指す、とか。

僕がガチャガチャ宇宙旅行したさにやって来た京都大学は、日本列島で出世するためのド王道コースだったのだ。

もちろん、考えてみればそんなのは当たり前のことだった。至極当然のことだった。しかし、僕はそれを全く想像していなかった。

 

ライフコースの解像度が違う。その「差」を知らなかった。

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Yaorusheng via Getty Images

進学の意味づけ、ライフコースの解像度が、自分だけ全然違う。「教育格差」を、最も強烈に肌感で捉えたのはあの時期だった。

「教育の地域間格差」とはなんだろう。

「中学受験してない」とか、「そろばん以外の塾がなかった」とか、「休み時間に勉強したら変な空気になる環境だった」とか、「模試を受けに行くのに4時間かかるので年一回しか受けられない」とか、『ベタな格差』は、羅列しようと思えばなんぼでも羅列できる。

ただそれらは、不便でこそあれ、絶望的なハンディではなかった。そこに格差が存在すると自覚できていたからだ。

どんな問題があるかさえ分かれば、解決のためにどんな努力をすればよいかも、ある程度は逆算できる。自分の場合、運よく学校や家庭からの協力や支援もあった。

受けられない模試の問題は、オークションサイトを探せば100円か200円くらいで買えた。「塾や予備校の代わりになるものを探しています」と高校に相談すると、大手予備校のビデオ講習を受講させて頂いたり、大手通信添削のモニター生に選んで頂いたりした。そういった努力と運によって、受験を取り巻く学習環境については、地方でもそれなりのものを構築できていたと思う。

 

問題の根はもっと深く、射程はもっと広い。

でも、根本的なライフコースの解像度みたいなもの、そこに関してはどうしようもなかった。そこに差があることすら自覚できていなかったからだ。

日々生きている環境から、人は「自分の選択肢の可能性」を受け取っていく。周りの大人たちが歩んでいるライフコースやライフスタイル、耳に入ってくる周りの人の雑談、街から受け取るインスピレーション…。例えば、小学校の友人の転校先だって「選択肢を示唆するもの」になる。日常に転がる瑣末な情報の集まりが、僕らの意識や解像度を構成していく。

そして、最も重要なこととして、「自分がどんな日常から作られているか」について、客観的に省みることはとても難しい。僕たちは意識するよりも前に僕たちになってしまっている。

教育について、機会や投資に格差があることは多くの人が知るところとなった。それはつまり、その種の問題が顕在化したということであり、解決するための手立てや道筋も次第に揃っていくことが期待されるということだ。しかしもっと根本的な意識や解像度については、そこにギャップがあると発見することすら難しい。

「教育の格差」について考えるとき、そこには機会と投資に関わる問題だけがあり、機会と投資を与えれば全てが解決するかのように思ってはいけない。問題の根はもっと深く、射程はもっと広い。

 

「京大を出て、なんで芸人になったの?」

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筆者
筆者提供

さて、僕は大学を卒業したあと修士課程を出て、いつのまにか芸人となって、コロナ禍で厳しい折に上京した。めでたく人生をガチャガチャにしている。行き当たりばったりにも程があって、とても楽しい。

初対面の人には、「京大を出て、なんで芸人になったの?」とよく尋ねられる。そしていつも答えに困る。

単純に僕の解像度では「京大を出たらこういうコースが王道」「〇〇になるために京大に行く」という前提がなかったのだ。より楽しそうな方へ、より自由な方へと歩いていたらこうなってしまった、というだけなのだ。

これはこれでいいと思う。これはこれで幸せなのだと思う。闇鍋のようになっていく自分の人生を、これはこれとして僕は肯定する。

ただ、たまに思う。もし僕が都市圏に生まれていたら、人生がまるっきり違っただろうと。

その場合、「芸人」と「京大」のどちらかが、あるいはどちらもが、プロフィールから消えていたのだろうと。

(編集・湊彬子 @minato_a1 /ハフポスト日本版)