渡辺直美さん報道、報ステCM。テレビ局「中の人」が訴える危機感。わきまえてきた、でも…

渡辺直美さんへのテレビの論調はどう作られたかーー。決定権のない私が中から声を挙げるのには、残念ながらとても大きなハードルがある。大好きだったテレビを取り戻すため、匿名でブログを始めます。
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渡辺直美さん
時事通信社

あーあ。

放送を見てため息をついた。周りにバレないように。

 

渡辺直美さんを「オリンピッグ」にと提案したというあのニュース、ワイドショーでコメンテーターの男性が「内輪のLINEを流された。誰かが彼を貶めたいに違いない」「なんでもダメっていうのはどうなのか」……などともっともらしい口調で語っている。

 全く同じようなやりとりを打ち合わせでさっき聞いた所だ。しかもこの「意見」に、誰も異論を唱えなかった。愛想笑いなのか、心の底から笑っているのかわからないが、むしろ「わかります」などと同調する人が多い印象を持った。

その空気感に危機感を抱き、精一杯の反論をしようとしたが、その前に打ち合わせ自体が終わってしまった。いちスタッフの私が「それはおかしい」と言ったところで、スルーされるのも分かっている。結果的に冒頭の発言が放送で流れてしまい、私にはなんとも言えない罪悪感だけが残った。

 

チャンネルを変えるたび、こみ上げる罪悪感と諦めの気持ち

渡辺さん本人のコメントを待たずに、彼女への侮辱演出案を勝手に擁護していた番組は少なくない。チャンネルを変えるたび、複数の局や番組で同じような事が繰り返されていた。

芸人の”先輩”が「彼女はプロだから、こういう内輪の提案を叩くのは彼女の芸を狭める」だとか、「打ち合わせはギリギリの話を出して当たり前。そんな事も言えなくなるなんて窮屈な話で怖い」など、佐々木氏を擁護するような発言もあった。

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佐々木宏さん
時事通信社

また、「なぜ今このやりとりが出てきたのか、意図を感じる」など、問題そのものを矮小化するコメントも数多くあった。こうした発言の主は男性が目立ってはいたものの、女性もいた。

 

たくさんの小さな「わきまえ」を積み上げて、今のテレビがある。

テレビ番組の制作には、ものすごくたくさんの人が関わっている。

一見、自由な議論がされているように見えても、どのタイミングで、誰が、どれくらいの時間を話すかーーというのは、ある程度決められている。

この話は盛り上がりそうだな、面白そうだな、視聴率が取れそうだな、と制作側が考えれば、その分そのトピックに割く時間は長くなっていくし、「おもしろそうな」事を言いそうな人の発言機会は増える。

では、「誰が」おもしろそうだと決めるのか。

決定権を持つのは、チーフ級以上のスタッフ数名だ。番組によっては、プロデューサーやメインキャスターが大きな決定権を持つこともある。

現場には正社員も非正規のスタッフもたくさんいるが、こうしたスタッフ1人1人に発言力はほとんどない。どんな立場であれ、意思決定層に極端に嫌われれば、やりたい仕事から少しずつ外されたり、その番組にいられなくなったりする可能性がある。

さらに、こうした意思決定層には驚くほど女性や若い男性が少なく、異論を唱える女性や若者の意見には聞く耳を持たないボーイズクラブ的なノリが未だにまかり通っている。

コメンテーターやアナウンサーなど出演者の中には、そういう空気感を察して彼ら寄りのコメントをしてしまう、もしくは黙ってしまう人もいるのだろうと察する。

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会議のイメージ
via Getty Images

こういった構造上、テレビを作るスタッフの若い男性や数少ない女性には、残念ながら「わきまえて」いる人が多い。そもそも、若手の男性やわきまえていない女性に発言権や決定権などないから、生き残るためにはわきまえざるをえない。

わきまえないと排除され、放送に関われなくなるから……。

日々、こうした小さなわきまえが積み重なって、諦めていった人達、名誉”高齢”男性化していった人たちを、男女問わずたくさん知っている。

 

ボーイズクラブが作る「世論」は世論なのか?

「森発言」と今回の問題は地続きだ。ただ、これが地続きだと思っている人は、想像以上に少ない。

男女比が極端にいびつなテレビ局の現場では尚更だ。声の大きなマジョリティである男性達の意見に異議が唱えられないまま、今日もこうやって「世論」が作られていってしまう。

一方、渡辺直美さんは、公式YouTubeチャンネルでMIKIKOさんの元の演出案をカッコよかったと絶賛した上で、問題の演出について「絶対断ってますし、その演出を私は批判すると思う」「体型の事をどうこういう次元じゃないですよ」などと真正面から批判した。

活動の幅を海外にも広げ、人権意識や価値観のアップデートを果たしている彼女をただ称賛するのではなく、中からきちんと支持しなければと痛感させられる言葉だった。

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演出振付家のMIKIKOさん
時事通信社

ただ、問題は本当に根深い。

渡辺直美さんのYoutubeでの発信があり、その内容が紹介された後でも、週末のワイドショーでは「本当にブタがダメなのか」「完成形を見てみないとわからない」「中から引きずり下ろしたい人が今更話を蒸し返した」などと、相変わらずの主張を司会者やコメンテーターがこぞってしていたし、そういう主張を補強するVTRが作られていた。

「街の声」で使われていたのはこうした意図に沿ったもので、若い女性のコメントが目立った。つまり、「俺たちの主張」を代弁するのは「若い女性」というわけだ。

ある番組では、唯一トーク中に異議を唱えた女性に対して「ネコならいいのか」など、他の出演者が彼女を試すようなやりとりも行われた。

作り手の目線で言うと、制作側の意思決定層は間違いなく、異論を唱える女性と他の出演陣が対立し、異論を唱えた女性がやりこめられる構図を狙って作っている。

 

このままテレビは「森発言」を忘れるのか? 

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森喜朗氏
時事通信社

なぜ、こんな事が繰り返されるのか。

社会が急速に変化しているのに、不思議に思う人も多いだろう。このブログを書いている間にも、若い女性を見下したような報道ステーションのCMが批判されている。「だからテレビはダメなんだ」と批判されてしまうのも致し方ないと思う。自戒を込めて書くが、私自身、何度も何度もわきまえてきた経験を持つ。

その集団のマジョリティに日々意見し続けることは簡単ではないし、仕事を失う可能性もあるので現実的でもない。

だから、それぞれの番組で、「中の人」が怒っていても意見できなかった気持ちが痛いほどわかる。誰が仲間かすらわからず、孤立感を深めている人もたくさんいるはずだ。私自身、これまで秘かに怒っているだけで行動はできなかったので、何もできていないに等しい。

こうしたジレンマを抱えていたので、森発言をきっかけにさすがのテレビも大きく変わると期待していた。

ただ今回、渡辺直美さんや、世界レベルのコンテンツを発信しているMIKIKOさんへ向けられたネガティブな憶測がなんの悪気もなく放送されていくのを見て、大きな危機感を抱いた。黙っていては、このままテレビは森発言をキレイに忘れ去り、何もなかったことにしてしまうだろう。

 

大好きだったテレビを取り戻すため、匿名でブログを書いた 

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イメージ写真
mrs via Getty Images

私はテレビ局で働いてはいるが、大きな決定権は持っていない。残念ながら、そんな私が中から声を挙げるのには、とても大きなハードルがある。匿名でブログを始める目的は、テレビ業界への警鐘以外にない。

小さい頃からテレビが好きで好きで、ずっと影響を受けてきた。新しい事を教えてくれるのはいつもテレビ。テレビをつければ厳選されたコンテンツが流れてくるし、最新のニュースを知ることができる、ものすごく便利で楽しいツールだった。

ただ今は違う。まさか、こんなに化石みたいなコンテンツを流す状態になると思っていなかった。

テレビが「オワコン」と揶揄されるのは、コンテンツが終わっているからだ。死にものぐるいでアップデートすれば、またテレビにも可能性が広がるのかもしれない。もしかしたらもう手遅れかもしれないという諦念に苛まれる日々を送っていたが、こうして「中にいる人」として危機感を発することで、少しでも憧れのテレビを取り戻したいと心の底から願っている。

(文:ハル、 編集:中村かさね @Vie0530/ハフポスト日本版)