甚大な被害を受けた福島県浜通り。日本の防災を担う最先端地区として歩みはじめています

福島県は原発の廃炉や汚染水の処理問題、未だ多くの方が避難生活を送っているという過酷な現状があります。ただ一方で、「復興のその先」を見据えた新しい姿を見せ始めています。
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東日本大震災から10年がたった福島県浜通り。立ち入り禁止解除に時間がかかった場所も多く、他県の被災地に比べて復興状況に遅れが出ているために、今も多くの重機が稼働しています。

BS11『報道ライブ インサイド OUT』の取材で訪れた南相馬市では、かつて美しかった砂浜が堤防に隠れ、住宅や学校、緑豊かな田畑が広がっていた海沿いのエリアには、おびただしい数の太陽光パネルが敷き詰められていました。 

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海沿いにびっしりと設置された太陽光パネル
筆者提供

「このエリアは津波の浸水地域なので、残念ながらもう2度と人が住むことはできません。人が夜間宿泊することも禁止なので、ホテル建設もできなくなったんです」

そう話すのは、南相馬市「福島ロボットテストフィールド」の石川仁さん。

実は今、浸水地域として住宅を建てられなくなった海沿いの広大な敷地が、テクノロジーの最先端エリアに姿を変えつつあるのです。

 

自動制御飛行100kmを実現する無人航空機

「ここは災害現場やインフラなどで、最新テクノロジーやロボットをどのように使うことができるか実験できる施設です」(石川さん)

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福島ロボットテストフィールドの「インフラ点検・災害対応エリア」
筆者提供

南相馬市の沿岸に作られた福島ロボットテストフィールドは東西およそ1000m、南北およそ500mという敷地内に、「無人航空機エリア」「インフラ点検・災害対応エリア」「水中・水上ロボットエリア」「開発基盤エリア」など大規模な実験設備が完備されています。あらゆる自然災害や、インフラの老朽化による事故から人間を守るための最先端技術がここで実験・開発され、同時に警察・消防の訓練にも使われているのです。

その中のひとつ、「無人航空機エリア」では、大規模災害対応に期待される「長距離無人航空機」の研究開発が行われていました。

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テラ・ラボの無人航空機
筆者提供

翼の長さは4m。すでに自動制御飛行100kmを実現しているこの無人航空機。実用化されると、自然災害が起きたとき、すぐに飛ばすことによって、被災地で何が起きているか、津波状況はもちろん、土砂災害の場所や被害、孤立している集落などあらゆる情報を迅速に収集して搭載しているカメラで撮影。その映像が瞬時に地上に送られるので、避難誘導はもちろん、人命救助やその後の復旧作業も大幅にスピードアップされることになるそうです。

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無人航空機からの画像は、そのまま地上にある中継車に送られます
筆者提供

土砂災害の場所もすぐに特定できます。10年前は情報を必要とする人に、必要な情報が伝わらなかったことで個人の判断でしか避難行動をとることしかできず、被害が拡大しました。無人飛行機による映像や情報が、被災者やメディアに迅速にシェアされるようになれば、多くの命を助けられる可能性がありますね。

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無人飛行機から送られてきた映像。驚くべき解像度です
筆者提供

無人航空機を開発するテラ・ラボの松浦孝英さんによれば、「全国の被災地域に対応できるように、巡航距離2000㎞、巡航高度20000mを目指しています。この無人航空機を実験、開発するためにこれだけ長い滑走路を使用できるのは、全国でもこの南相馬のテストフィールドしかありません。まさに被災地だった南相馬市が、日本の防災技術をリードする場所になっているのです」とのこと。

世界に類を見ない規模という福島ロボットテストフィールドは、すでに海外からも注目されていて、今年のワールド・ロボット・サミット(WRS)の開催地にも選ばれました。10年前、壊滅的な被害をうけた福島県浜通りが、今、日本の防災をになう最新テクノロジー開発地区として歩みはじめていることにとても驚きました。

 

子どもたちが福島の名産と胸をはれるバナナを

今回の取材では、福島ロボットテストフィールドのほかにも、子どもたちが胸をはって「福島が故郷だ」と言えるように新しい挑戦をしている方たちに会うことができました。 

原発から20キロの地域で避難を余儀なくされ、一度は人も産業も姿を消した広野町で、バナナ栽培に挑戦する「トロピカルフルーツミュージアム」の中津弘文さんもその一人です。 

「暖かい地域でしか育てられないバナナですが、岡山県のファームが開発した『凍結解凍覚醒法』を知ったときこれだと思いました。マイナス60度まで冷却された苗の中で、その過酷な環境を乗り越えたものだけ、寒さに強くて成長が早く、とても甘いバナナになるんです。これこそ福島そのものだと、辛い経験をした広野町と重なりました」

しかし、もちろんそれは簡単なことではありません。寒冷地である広野町で、ビニールハウスとはいえバナナに適した温度管理を持続するのは至難の業で最初は失敗続き。中津さんも何度も心が折れそうになったといいます。

「1年以上試行錯誤を繰り返して、ようやくバナナに花がついた瞬間は信じられない思いで涙が出ました。子どもたちが地元の名産と胸をはれる自慢のバナナとして伝えていきたい」

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公募で決まった正式名称は「朝陽に輝く水平線がとても綺麗なみかんの丘にある町のバナナ」。通称「綺麗」
筆者提供

被災地には10年たって変わった風景、そして10年たっても変わらない人々の思いや課題があります。福島県においては原発の廃炉や汚染水の処理問題、そして未だ被災地全体で4万人を超える方が故郷に戻ることのできないまま避難生活を送っているという過酷な現状もあります。

一方で今回、福島県をなんとか未来につなげてゆくために、この10年間でこれまでにない新しい試みを始めた人たちの、凄まじいまでの努力と情熱には本当に頭が下がる思いでした。そして彼らが積み重ねてきた挑戦は、今、確実にかたちになりつつあります。

「復興」という言葉を「震災前の日常を取り戻し栄えること」という意味でとらえるならば、震災から10年を迎えた福島県浜通りは、復興というにはまだまだの部分を多く残す一方で、すでに「復興のその先」を見据えた新しい姿を見せ始めているのです。 

(文:長野智子 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)