少女マンガにブサイクなヒロインはいない!? “ブサイク女子”のヒロインは私たちの参考書。少女マンガにおけるルッキズムを考える

実は、たくさんある“ブサイク女子”をヒロインにしたマンガ。『少女マンガのブサイク女子考』を上梓した少女マンガ研究をしているトミヤマユキコさんに、少女マンガにおけるルッキズムについて聞いた。
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トミヤマユキコさん

これまで読んだ少女マンガを、思い出してみて欲しい。

その主人公は、いわゆる“かわいい女子”ではなかったか。

“ブサイク女子”がヒロインになったマンガなんてあるの? そう思う人も多いだろう。

 

ところが、“ブサイク女子”をヒロインにしたマンガは実は、たくさんある。『少女マンガのブサイク女子考』を上梓した、少女マンガ研究をしているライターのトミヤマユキコさんに、少女マンガにおけるルッキズムについて聞いた。

 トミヤマユキコさん

早稲田大学法学部、同大学大学院文学研究科を経て、2019年から東北芸術工科大学芸術学部講師。ライターとして日本の文学、マンガ、フードカルチャーについて書く一方、大学では少女マンガ研究を中心としたサブカルチャー関連講義を担当。

著書に『夫婦ってなんだ?』『40歳までにオシャレになりたい!』などがある。

 

――「少女マンガの主人公=かわいい」と思い込んでいた私は、今回の著作にとても驚きました。こんなに“ブサイク女子”が主人公のマンガがあったなんて。

私が講師をしている大学の学生さんも「少女マンガのヒロインはかわいい子ばっかりだ!」とかよく言うんですよ。

たしかに、ヒロインがかわいく描かれている少女マンガが多いのは事実です。でも、広い少女マンガの世界を見渡してみると、美しくない主人公は確実に存在しています。ブサイク設定だけど実際はかわいく描かれているヒロインだけじゃなく、作画上も不美人に見えるように描かれている作品が、探すとちゃんとあるんですよね。

 

――女性の生きる力強さが描かれている作品が多いようにかんじました。

それは、マンガ家の先生たちの工夫と努力の結果だと思います。ある程度共感できて、目が離せない感じがあって、ずっと読んでいたくなるようなブサイク女子を描く必要がありますから。

そういう意味では、ストーリー以上に作画が難しいと思います。単に「ブサイクに描けばいいんでしょう?」というのでは、当然ですが読者は離れていってしまいますし、読んでいて苦しくなってしまいます。“ブサイク女子”をヒロインに据えるということ自体が、ひとつのチャレンジであり、簡単ではないからこそ、やってみようとする先生に対しては尊敬の念をおぼえますね。

 

――では、かわいい女の子が主人公のマンガが多い理由の一つは、その方がマンガ家さんが描きやすいからということもいえるかもしれないですね。

そういうこともあるだろうと私は思っています。美しいものは描いていて楽しいとか、美しい方が作品世界に入り込みやすいとか、そういった心理的なものも、作品に影響をあたえていそうです。

 

――本書で紹介されているマンガは、作家先生たちの努力の結晶なんですね。それにしても、こんなにたくさんの“ブサイク女子”マンガがあるとは。

実は、最初の時点ではどれくらい作品があるかわかっていなくて、手元に5、6作しかストックがない状態で連載をはじめたんです(※編集部注 同書はマンバ通信で連載されたものを書籍化)。調べながら、探しながら、月に1回の連載を乗り切っていたんですよ。まさに自転車操業(笑)。

ところが、続けていくうちにTwitterのDMで「こんな作品もありますよ」と教えてくださる方が現れたりして、ストックがどんどん増えていきました。本の中では27冊しか紹介できていませんが、実際はもっとありますし、この先もまだまだ出てくると思います。

 

――少女マンガと男性マンガでは、“ブサイク女子”の描かれ方といいますか、扱われ方が違うように感じているのですが、その点、どう思われますか?

たしかに、扱われ方が違いますよね。女性向けマンガの場合は、ネタとして笑い飛ばされて終わり、というような、わかりやすい「道化タイプ」はあんまりいないんです。 

一方で、(従来の)男性向けマンガの“ブサイク女子”には、なんというか、ブサイクキャラには何をしてもいい、というような空気がありそうだなと……。男性と同じような扱われ語りしていねい、つまり人権があまりない感じがしてしまいますが、ただ、これも時代とともに変わっていくと思いますね。

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――“ブサイク女子”が主人公のマンガには、どんな意味が込められていると感じますか?

多くの作品を読む中で私が感じたのは、あらためて、いろんな人がすでにいるし、これからもいていいんだということです。

美しい人もいる、美しくない人もいる、いろんな人がいるけれど、それでいい。見た目で人をジャッジしたり、不当な扱いをしたりすることはよくないし、なくしていかなくちゃいけないけど、だからって「この世にブサイクなんていない」という極論に至らなくてもいいんじゃないか。みんなそれぞれのやり方でこの世界に居場所を見つける方法があるんじゃないか。そんなメッセージを受け取ることが多いです。

 

――本のタイトルに“ブサイク女子”という直接的な言葉が使われているのに、驚きました。

タイトルについては随分、議論しました。ブサイクというのは強い言葉なので、『少女マンガの美醜について」など、婉曲的な表現にするという方法もあったと思うんです。

ただ、あらゆる差別問題がそうであるように、差別的だから言わないし、見せない、というのはちょっと違うかなと。ルッキズムをめぐる地獄のような状況が存在するという事実から目を逸らさずしっかり考えるのも大事だと思っています。ですから、刺激の強い言葉だけれど、「美醜」や「見た目」という言葉で誤魔化すのではなく、“ブサイク”という言葉を使うことにしました。そうでないとマンガにでてくる“ブサイク女子”たちにも失礼だなという気がして。

著者である私に、ブサイクを揶揄する意図がないことや、ルッキズムと真剣に向き合う気持ちがあることは、読んでいただければわかってもらえるはずです。強い言葉を使ったタイトルなので、拒絶反応を示してしまう人もいるかもしれませんが、ちょっとでも読んでもらえれば、あえてこの言葉を選んだ理由はわかってもらえると考えています。

 

――美醜の問題だけではなく、いかに自分を客観視して、それを受け止め、生きていくべきか。少女マンガを通じて、その姿勢が綴られている著作だという印象を抱きました。

私はもともと「女子マンガ」と呼ばれる成人女性向けマンガが大好きで、「仕事」と「恋」のバランスをどうすべきか悩んでいる「労働系女子」を分析の対象にしています。

女子マンガをたくさん読んでいると、女子マンガは人生の参考書だなと思うことがあるんですね。女子マンガに描かれる女子の人生って本当にいろんなパターンがあって。自分と似ているものを探す楽しみもあるし、そこまで似ていなくても、解釈次第で今の自分によりフィットする読みができたりもする。生きる知恵というか、この世界を生き抜くヒントがあるなと思うんです。

“ブサイク女子”マンガについても、ブサイク女子の生き様がしっかり描かれていますから、見た目に注目するだけではなく、いろんな女子の生き方があるなと感じてもらえたらうれしいです。

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Ponomariova_Maria/Gerry Creative

――“ブサイク女子”のマンガは、見た目の問題だけではなく、さまざまなコンプレックスとの向き合い方、受け止め方が描かれているというのも感じました。

そうですね。見た目に限定しないで、コンプレックス全般に関わる物語として解釈することもできると思います。自信が持てない部分とか、人に言えない密かな弱点とかをどうやって乗り越えるのかを、ブサイク女子から教えてもらえるかもしれません。

 

――“ブサイク女子”が主人公のマンガは増えていくと思いますか?

いろいろ読んでいると、いつの時代も一定数の需要はあるんだなというのがわかります。あとは、「カワイイは作れる」というキャッチコピーが生まれて以降、見た目の問題が複雑化していると感じます。「作れる」となると、作らないのは怠慢なのか、ありのままではいけないのか、みたいな問題が出てくるじゃないですか。

また、コンプレックスを解消すればOKではなく、「整形でキレイになるのは、本当の幸せと言えるか?」みたいな問いが発生するパターンもあります。美醜というものに対する解像度が上がっていくでしょうし、それに合わせて作品もどんどん変化していくと思います。

――複雑化、多様化していくのはヒロインの女の子だけなのでしょうか?

いいえ、多くの少女マンガは恋愛を描いていますから、ヒロインが変わると王子様も変わります。たとえば、ブサイク女子とカップルになるとしても、「ありのままの君が好きだ」なんて雑な言い方をせず、なんでこの子が好きなのかとか、この子の見た目についてどう思っているのかをしっかり語れる男の子が出現しているんですよ。

美醜の問題を、女性キャラクターがひとりで背負うのではなくて、自分の言葉で語れる相手と一緒に考えていけるとしたら、素敵ですよね。 

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――それは、女子だけではなく、男性にも読んで欲しいですし、男性マンガもそうやって多様化していってほしいですね。

マンガで美醜を扱うと、当たり前ですけど、実写映画ほどリアルじゃなくなる。そうすると、とっつきやすくなるんですよね。コンプレックスは女性特有の問題じゃないですから、男性も少女マンガに描かれたブサイク女子を見て、いやされたり、救われたりする可能性は十分にあります。

私は女子マンガのなかで労働がどう描かれているかを研究していますが、その時代によって、描かれ方は違っています。

労働の描写ですら変わるんですから、美醜の描かれ方も変わっていくと思いますし、マンガに出てくる女子が変われば、男子も変わっていくでしょう。結婚観ひとつとっても、「自分が妻子を養わねば」と思っている王子様ばかりじゃなくて、「君も好きな仕事をするべき」「僕が主夫になる」と考える王子様もじわじわと増えています。だとすれば、美醜に対する王子様の見方も変わっていって当然です。

美醜をめぐる対話や議論は今後ますます深まっていくと思いますし、多様化、複雑化する作品を読みこなして育った世代は、柔軟な考え方のできない大人にはならないんじゃないでしょうか。必ずしも美人が得で、美人じゃないと損をするわけじゃないとか、コンプレックスがあっても、こういうふう付き合っていけばいいのかといったことを、幼い頃からマンガを通じて知る機会があるのは、悪いことじゃないはず。娯楽として読んでいるうちにいつの間にか何らかの価値観がインストールされるのがマンガのいいところであり、悪いところでもありますから、できることならルッキズムの呪いを解くような、いい方向に使っていきたいですよね。

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トミヤマユキコ『少女マンガのブサイク考』左右社刊
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(取材・文:榊原すずみ/ハフポスト日本版)