1万円のコンタクトレンズを買う余裕がない。非正規で生きるということ

生活保護の時よりお金はあるのだけれど、少しマシなだけ。働いても、働いても、絶望しか見えてこない。
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就職した会社は、月給が12万で社会保険もなし

今の日本を語るにおいて、非正規労働者のことは見過ごせないと思うのだが、その現実をどれくらいの人が知っているのだろうか。少し、私が非正規雇用になった理由を説明しようと思う。

私が短大を卒業した時は「就職氷河期」といわれる時代であった。1年生の終わり頃から就活を始めていたのだが、当時のスケジュール手帳を見ると、2年生の夏以降からグッと面接の数が減っていて、冬になると、バイトの予定を入れていた。バイトを入れていたのは、就職を諦めたからだと記憶している。私は仕事が決まらないまま、短大を卒業した。

その後は、実家で引きこもりをしていたが、しばらくして上京し、編集プロダクションに入社した。編集プロダクションは正社員で入社したが、月給が12万で社会保険もなく、残業代も出なかった。そんな金額で、東京での生活が送れるわけもなく、私は半年ほどで自殺未遂という形で退職した。

 

実家からの仕送りと障害年金で生活する日々からの脱出

その後、精神病院に入院した後、実家に戻った。社会の状況はどんどん悪くなり、リーマンショックが起き、雇用状況はどんどん悪化した。派遣切りという言葉が現れたのもこの頃だ。私は悪化していく社会情勢の中、実家で母と暮らしながら、じっとしていた。こんな厳しい社会に出て、働ける自信がなかった。時々、バイトの面接を受けたが、ほとんど受からず、病院と自宅を往復する日々を続けていたが、このままではいけないと思い、30歳の春、実家を出て一人暮らしを始めた。実家からの仕送りと障害年金で生活をしていたが、父が退職したことにより、仕送りができなくなり、私は生活保護を受けることになった。

生活保護の生活はとても厳しかった。友達と遊ぼうと思っても、電車賃や、喫茶店の代金を捻出するのが難しく、断ることが多かった。お金がないことで、人との縁が切れていくのを感じ、私はもう一度、社会に出て働いてお金を稼ぎたいと考え、行動を起こした。あるNPO法人に電話をかけて、雇って欲しいとお願いしたのだ。その時は断られたが、持っていた編集のスキルを認められ、ボランティアとして使ってもらえることになった。そこでの働きが評価され、その後、非常勤雇用として雇ってもらえることになった。

 

非正規だから、社会保険も雇用保険も入ってもらえない

私は久しぶりに仕事につけたこと、生活保護を切れたことが、本当に嬉しく、毎日張り切って働いた。しかし、長い期間働き続けるようになって、少しずつ、疑問や不安が増えてきた。朝から夕方まで、週5のペースで働き続けているのに、いまだに国民健康保険を使っているし、雇用保険にも入れてもらっていないのだ。職場の先輩と親しくなり、仕事が終わった後、居酒屋でその話をしたら、彼女はとても怒っていた。

「小林さんは長期間働いているのに、雇用保険にも入っていないなんておかしい!私も小林さんと同じパートだけど、社会保険に入っている。小林さんの方が長時間勤務しているんだから社会保険に入れる資格はあるわ」

そして、彼女の助力があり、私はなんとか雇用保険に入ることができた。しかし、社会保険に入れてもらえなかった。確認したところ、パートでも、労働時間が週20時間以上なので、法律的には社会保険に入ることができるのだが、社会保険というのは、会社側もお金を出さなければならないので、それを嫌がったのだ。

「うちにはお金がないから」

という理由で、社会保険の加入を断られた。

私はそれでも、真面目に働いていれば、労働条件が改善されるかもしれないと思い、自分のできる限りの能力を使って働いた。できる仕事も増えていき、外注していた仕事も私が請け負うようになったが、私の待遇は変わらなかった。

しばらくして、上司が変わった時、私はようやく社会保険に加入できた。とてもほっとしたが、給料から引かれる保険料の高さに驚いた。母に話したら「今はずいぶん取られるのね」と言われた。

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生活保護の時よりお金はあるのだけれど、少しマシなだけ

非正規で働いている時に、一番辛いのは、連休や年末年始の休みがあることだ。休みというのは、普通は嬉しいものだけれど、私が働いていた会社は非正規だと休んだ分の給料が出ない。そのため、休みが多かった月の給料はグンと減る。あまりにも金額の低い給料明細を見ると、これで1カ月どうやって生活したらいいのだろうと不安になり、生きた心地がしない。

一般の会社では、正社員の人には住居手当や家族手当、退職金など、様々な手当がある。正社員との給料の差があるのに、それらの手当ももらえないのでは、非正規雇用と正社員の格差はますます開くばかりだ。せめて、時給が上がってくれればと思うが、一度も上がったことはない。働いても、働いても、絶望しか見えてこないというのが本音だ。もちろん、自分の勤め先が、お金の余裕がないところであり、私を雇うのも精一杯であるし、他の職員も給料が上がらないという噂を聞くので、仕方ないとは思うのだが、十数万円の給料で生きていくのは本当に心許ない。

ある日、歩いている時に、強風が吹いて、目にゴミが入った。その時、目をこすったら、コンタクトがポロリと目から落ちた。私はコンタクトをなくしたことに気がついて、地面を探したが、なかなか見つからない。私は乱視がひどく、ハードコンタクトの方が目にいいと医者に言われているので、使い捨てのソフトコンタクトは使っていない。そのため、無くして買い換える時には、1万円近くかかってしまう。心臓がバクバクして、必死に地面にへばりつくがどこにもない。私の姿を見た通行人が心配して一緒に探してくれたが、やっぱりない。私は申し訳なくなって「買いなおすので大丈夫です」と伝えて帰ってもらった。買いなおせばいいだけだけれど、1万円をパッと出せる余裕がない。私は散々考えた結果、メガネに戻した。ちょっとした時に大きなお金が出せないなんて、生活保護を受けている時と大差がないように感じた。もちろん、生活保護の時より、お金はあるのだけれど、生活保護の時より、少しマシなだけ、というのが実感だ。

 

多くの人は、非正規雇用の仕事についているわけではない

私はデスクワークの非正規労働者だけれど、非正規労働者の多くを占めるのが、接客業や飲食業に従事する人々だ。そして、その多くを女性が占めている。コロナ禍において、一番、辛い思いをしているのは、女性の非正規労働者だろう。もちろん、その中には、男性の扶養家族になり、家計の補助として、パートに従事している人が多いのは想像がつくが、そうでない人も多いのが現実である。そしてシングルマザーは非正規雇用で働いている人が多いのだ。男性は結婚しても、職を追われないが、女性は結婚、出産で、一時的に職を離れ、再び働く時は、パートという人もいる。夫婦として一緒に暮らしている間はいいが、離婚した後に、パートだけの収入で子供を養うことは難しい。離婚した後、養育費を払っている男性は2割程度だという。海外では元夫の給料から養育費が天引きされたり、国が一時的に立て替えて支払っているが、日本では当事者任せというのが現状だ。

街のスーパーで買い物をしていると、レジを打っている人が、ほぼ全て女性だということに気が付く。そして、飲食店でも、料理を運んでくれるのは、女性がとても多い。不特定多数の人と接触する機会の多い仕事が、弱い立場の人たちに任されていることに憤りを感じる。今回の緊急事態宣言で、飲食店は雇用を守ることができず、さらなる解雇を決断せざるを得ない状況に追いやられている。

私は望んで非正規雇用の仕事についているわけではない。それは、私以外の非正規雇用で働く人たちも同じ気持ちだろう。それぞれに事情があり、止むを得ず、その状況で働いているのだ。

生まれてしまった不均衡を均衡に戻すのが、社会の役目であり、税金を収めることだと私は思っている。生まれてしまった場所や環境は変えることができない。けれど、社会という大きな受け皿が生まれた格差を少しでも和らげる存在になって欲しいと願う。私たちは原始社会に生きているのではない。頭脳と知恵を持った人間なのだ。     

(文:小林エリコ 編集:榊原すずみ/ハフポスト日本版)