女性たちが「美しさ」で評価されるミスコンは必要なのか。疑問視する声が近年、相次いでいる。2020年は、学生たちから変化も起きた。
上智大学がその一つだ。従来の「ミスコン」を廃止し、2020年に新しいコンテスト「ソフィアンズコンテスト」を開催した。男女の区別をなくし、候補者が容姿だけで評価されることをできる限り避けるため、審査基準も工夫をこらした。
「新たな試みは大きな一歩だった。でも、100点の形ができたとは思っていない」。コンテストを終えた今、開催に奮闘した実行委員会の学生はそう振り返る。
なぜ上智大学はミスコンを廃止したのか
上智大学は、1980年代から続いたミスコン『ミスソフィア』を2020年に廃止した。
「ソフィア祭実行委員会コンテスト局」局長の荒尾奈那さんによると、学内外でミスコン開催への批判が寄せられたことを受け、「ミスコンを変えよう」とする動きが出てきたという。
人を見た目や身体的特徴だけで評価したり、差別したりする「ルッキズム(外見至上主義)」の助長につながる。女性を容姿で品定めする、性差別的な要素がある。
ミスコンに向けられるのはこのような指摘だ。
実行委員会は大学側との話し合いを重ね、『ソフィアンズコンテスト』と称した新たなコンテストを設立することにした。「ミス=女性」、「ミスター=男性」という区別をなくし、性別やジェンダーを問わず候補者を募集。
さらに、候補者が見た目だけで評価されることをできる限り避けるため、3つの部門――①社会的な影響力をアピールするSDGs部門、②スピーチ部門、③自己PR部門――ごとに候補者を審査する仕組みにした。
従来のコンテストでは、本選でファイナリストの女性はウエディングドレス、男性はタキシードを着ることが伝統的だったが、性差を強調するとしてルールを変更。
2020年11月初旬に開催された本選では、候補者は廃棄されるはずだった素材をリメイクした衣装などを着用し、海洋汚染やネット上の誹謗中傷など、それぞれが関心を持つ社会問題についてスピーチした。
「ファイナリストが成長し、ステップアップできる場所。また、上智生として発信する場を作り続けたいという思いで、上智大のキャンパスコンテストが持っていた良さを、時代にあった形に変えていく試みをしました。伝統的に続いていたミスミスターから、『発信者』インフルエンサーへとグランプリ像を変えたこと、部門を設け評価基準を明確にしたことは大きな一歩だったのではないかと考えています」
荒尾さんはそう振り返る。
「コンテストそのものをなくすべき」指摘も
結局、見た目を重視するこれまでのコンテストと変わらないのではないか――。
「ソフィアンズコンテスト」の詳しい内容がメディアに取り上げられ、本選に進んだファイナリスト6人が発表されると、賛否両論が飛び交った。新たな取り組みを賞賛する声もあったが、コンテストという表の舞台で顔を出してイベントを開催する限り、ルッキズムは回避できないと疑問も上がった。
「コンテストが持つ問題点を本当に回避できているとは思えません」。「ミスコン&ミスターコンを考える会」に所属する都内の大学生は、そう指摘する。
「ミスコン&ミスターコンを考える会」は、大学で行われるコンテストそのものの開催に反対する団体だ。複数の大学生からなる。2019年に東京大学の学園祭で行われた「ミス&ミスター東大コンテスト」への抗議をきっかけに設立され、立て看板やビラ配布、声明の発表などを通して、コンテストへの疑問を世間に投げかけている。
「コンテストは大学の『代表』を決めるという形で開催されています。これは、大学内で最も望ましい人間像を決めるという意味を持つことにもなります。どのような人が優れているのかを投票で決めるという過程に、暴力的な規範の押しつけが含まれており、従来のコンテストと同じ問題をはらんでいると思います」
また、「投票」によってグランプリや準グランプリを決めるという性質上、「外見が評価されることは回避できない」とも指摘する。
「『外見だけを考慮しない、他の要素も取り入れたコンテスト』とは、『従来のジェンダー規範に加え、別の規範や判断基準を取り入れたコンテスト』と同じ意味です。こうあるべき像というものが存在し続ける限り、それに苦しませられる人々はいなくなりません。そもそも、『こうあるべき』を生み出すコンテスト自体を撤廃するべきだと思います」
個性を尊重する時代に、“順位づけ”をする矛盾
「正直、100点の形ができたとは思っていないです」。ソフィアンズコンテスト実行委員会の荒尾さんはそう語る。
「一番葛藤したのが、個性を尊重する、多様性を認めるという時代の流れと、グランプリを決め順位付けをするというコンテストの仕組みの根底にある矛盾でした。個性を尊重すればするほど、グランプリを決めるという行為への意味が薄れてしまいます」
一方で、コンテストに出場することを選んだ学生たちが成長していく姿に共感し、応援したいという思いも強い。
「コンテストという場だからこそ、ファイナリストは自身を成長させるほどの努力を積むことができるのだと思います。今年、本選の舞台でファイナリストの個性や想い、成長の姿から見ている方に感動を届けることはできたのではないかと感じています。個性の尊重とグランプリ決定にどう折り合いをつけていくのか、考えていかなければいけないと思っています」
コンテストに参加した学生たちは、一連の活動を通してどう感じたのか。
ファイナルに進んだ6人の多くは、新しいコンテストの理念に共感し、応募を決意したという。コメントを求めると、「SDGsに関する発信をすることで、社会課題に対する自分自身の意識が変わった」という声や、SNSなどで自由に、自分らしい発信ができたなどの声が上がった。
一方で、「内側も外側もミスコンから完全に脱却できたとは言えない」とする指摘もあった。
グランプリを受賞した法学部2年生の吉開優姫さんは、多様性を重視するというコンセプトを掲げながらコンテストを出場することで、「勝ちにこだわっている自分が時に恥ずかしくなることもありました。ですが、コンテストとして順位付けをし、競うことが自分の活動の指針になって、自身を成長させてくれていたことも否めません」と振り返る。
一方で、「結果だけを見て、私の雰囲気によって結局従来のミスコンと変わらないと言われること、これが少し悲しいです」とも語る。
「ありのままの自分でいることが、時に仇となることがありました。ソフィアンズコンテストに出てから、自分にはミスコンぽいと揶揄される雰囲気があることを知りました。ミスコンぽいって、何でしょうか?ふんわりとした雰囲気、女の子らしい雰囲気=ミスコンであるというのは固定概念だと思います。人はそれぞれ違った個性を持っているはずです。何を言われようと気にせず自分を貫き、100%の自分を毎日発信し続けました。それが皆さんに届いたことを嬉しく思います」
▼ファイナリストのコメント
・今年からコンテストがガラッと変わったという点が無ければ出場を決めておりませんでした。新しく始まったコンテストの素敵なコンセプトに共感し、大学生活最後に最高の思い出を作りたいなと思い、応募を決意しました。(国際教養学部4年・髙橋彩里さん)
・SDGsに関する発信をすることで、社会課題に対する自分自身の意識が変わりました。6人は個性をもっているからこそ、それぞれが違うベクトルで努力していました。そうした努力や成長をどのように審査、評価するかが課題だと感じます。(文学部4年・三好百花さん)
・この経験をキッカケに改めて『自分らしさ』の大切さを知ることができました。コンテストを通じて自分らしく発信することや強い思いは多くの人に伝わるということを実感できました。(理工学部3年・田中哲哉さん)
・学生が行動を起こし変化をもたらしたこのコンテスト、仕組みが成り立った次のステップとして、この新しい理念や概念がどのように社会に良い影響や変化をもたらすことができるのかに繋げられる第1回目であればいいなと思います。(国際教養学部4年・北脇里紗さん)
・見る側の目線も正直「ああ、まだこれミスコンだと思ってみてるんだろうなあ」というものが多く見受けられました。このあたりをしっかりと適切な時間と労力をかけて目指すべき方向を向かせることが、第一回ソフィアンズコンテストに関わったすべての人間の使命だと考えています。(文学部3年・山本大葵さん)
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試行錯誤する学生たちからは、迷いながらも、今の時代に合ったコンテストにしたいという切実な思いが感じられた。
学生たちだけの問題ではない
変化を求められているのは、学生だけではない。大学のミスコンやミスターコンには、協賛企業やテレビ局の存在が不可欠となっているのが実態だ。
ミスコンが「女性アナウンサーの登竜門」とされてきたように、大学コンテストはアナウンサーのキャリアにつながる場所でもある。そのため、アナウンサー志望の学生の多くはミスコンに“出場せざるをえない”。さらにいえば、学生側がミスコンを“開催せざるをえない”という一面もある。
ミスコンを主催する学生や、それを認める大学側だけではなく、ミスコン出身者を採用するテレビ局など企業側にも、意識の変化が求められている。
(生田綾 @ayikuta / ハフポスト日本版ニュースエディター)