政治=男という呪縛に「洗脳」されていた。野田聖子氏「総裁選は私の使命」

2025年までに衆参議員の女性候補者を35%に、という政府目標。来年には衆院選。女性の政治参画の重要性を訴え続ける野田聖子・自民党幹事長代行がハフポスト日本版のインタビューに応じた。
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菅義偉新政権の誕生から3カ月。政権内での存在感を高めているのが、菅内閣の重要ポストである幹事長代行に抜擢された野田聖子幹事長代行だ。

“日本初の女性総理” への意欲を公言している野田氏だが、その裏には『政治=男』という価値観の呪縛に悩んだ原体験がある。

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インタビューに応じる野田聖子幹事長代行
Kazuhiro Matsubara

 「男の世界の流儀」に染まった20、30代

「私は結婚するまで“男オンナ”みたいだった。政治は男の世界、その流儀に合わせろ、という時代だったのよ。髪なんか伸ばしちゃいけないし、ピアスもダメ、チャラチャラするな、と」

野田氏は岐阜県議などを経て1993年、32歳で初当選した。

当時、自民党には女性議員が1人もいなかったこともあり、野田氏は若さと新しさの象徴として注目を浴びた。

「女は男の7がけ(7割)の仕事しかできないんだから、それなのに男の仕事をしてるんだから、女を捨てろ、休みなく働け、結婚なんてとんでもない、というのが常識だった」

当時の朝日新聞に掲載された野田氏についての記事には、女性性と若さを強調した言葉が並んでいる。

総会決議文の朗読に初当選の野田聖子氏が指名されると、会場はどっと沸いた。三十二歳。ひざ小僧がはっきり見える短いスカート姿で登壇する。「細川に負けるなよ」。

(1993年07月31日付朝刊、社会面)

総選挙後、初めての国会が終わった。岐阜一区で初当選した野田聖子代議士(33)は、ミニスカートで赤いじゅうたんを歩き回っている。

(1993年09月03日付朝刊、東海総合面)

メディアからの取材申し込みが週20件を超えるほど、一挙手一投足が注目されていた。

そんな彼女に「男の世界の流儀」を説いたのは、支援者をはじめとする“味方”だったという。

野田氏は当時をこう振り返る。

「私は40歳まで洗脳されていたのよ」

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有識者会議で故・小渕恵三首相(当時)の隣に座る野田聖子郵政相。当時は唯一の女性閣僚だった=1999年4月、首相官邸
時事通信社

「男であれ、でも女らしくあれ」

野田氏は、順当に政治家としてのキャリアを積んでいく。98年には史上最年少(当時)の37歳10カ月で郵政相に初入閣。

この頃から、周囲のアドバイスが変わってきたという。

「『独身でいろ』と言ってた人たちが、急に『独身女に主婦の気持ちが分かるのか』『結婚しろ』と言い始めた。わたし自身は、結婚して子どもも産みたいとずっと思っていたので、やっと自分を取り戻せるのかなって」

40歳で事実婚をした野田氏は、次第に女性であるが故の困難に気づいていく。

パートナーも同じ政治家として活動しているのに、自分は「妻」としての役割も期待される。子供を考えれば、不妊治療などの負荷がかかるのは自分ーー。

「男であれと言われたり、女らしくと言われたり。ずっと従ってきた私がいて、『そんなことをさせないで』と言ってくれる先輩の女性議員はいなかった。ロールモデルはいない時代だった」

淡々と語っていた野田氏が、急に言葉に明るく力を込めた。

「けど、そんなことはもうナンセンスだから! 今は女性活躍が与野党問わず日本の宿題なんだから、女性が100倍も1000倍も声を出さないといけない時代なんだから。私が一気に背負うのかなって思ってる」

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第146回臨時国会の衆院本会議で、女性として初めて議事進行係を務める野田聖子氏=1999年10月
時事通信社

総裁選への飽くなき意欲。その理由は…

2015年、2018年、そして今回と3度の総裁選に意欲を示してきた野田氏。いずれも推薦人を揃えることができないなどの理由で断念してきた。

なぜ、総裁選にこだわるのか。そう質問すると、野田氏は即答した。

「私のレゾンデートル(存在意義)は、女性と政治の一体化だから。総裁選は最大のキャンペーン。いつかは出る」

女性政策は女性のためのものではなく、国のための政策なんだと言える舞台に立つ。そして、総理として自分の内閣のメンバーを男女半々にするーー。

野田氏はそう強調する。

麻生さん(麻生太郎元首相)だって4度目の正直。小泉さん(小泉純一郎元首相)だって3度目の正直で、総裁になった。七転び八起きくらいまでは頑張り続けたいな、と。そうすれば次の世代が育ってくるでしょう

女性自身の自己肯定感の低さ、社会の女性に対する無意識の過小評価。国のリーダーが女性になれば、こうした社会全体の価値観をひっくり返すことができると期待する野田氏は、トップを目指すことは「私の使命」と語る。

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過去、自民党総裁選に立候補した女性は小池百合子元都知事1人だけ。2008年9月、総裁選を前に健闘をたた立候補者5人。(左から石原伸晃氏、小池百合子氏、麻生太郎氏、石破茂氏、与謝野馨氏)=2008年9月
時事通信社

男性社会のしがらみから、真に自由か?

「今では自分の心の思うまま、私らしく自由に生きている」という野田氏。とはいえ、強固な男性社会を勝ち抜いてきた野田氏が、男性社会のしがらみから解き放たれていると言えないかもしれない。

例えば、菅政権の閣僚人事。女性閣僚が2人という結果について、党内の女性議員からは「残念」という声も上がったが、野田氏は「能力主義で非常にフェミニストな人事」と評価した

性暴力被害者への支援をめぐって杉田水脈議員が「女性はいくらでもウソをつける」と発言した問題でも、杉田議員に抗議するフラワーデモのオンライン署名を野田氏は受け取らなかった

こうした野田氏の姿勢には「保身」「男性的」という批判も少なくない。

政治のジェンダーギャップ について語られる時、必ずといっていいほどに出てくる「能力がない女性に下駄を履かせる必要はない」という論。野田氏は、客観的な能力の指標は当選回数だと主張する。衆院で最も当選回数が多い女性は、言うまでもなく野田氏自身だ。

だが、海外に目を向ければ若いリーダーや若い閣僚もたくさんいる。年齢と経験で序列や能力が決まれば、男女関係なく年齢が上の人ばかりで政治が決まってしまう。そうした世代には当然女性が少なく、男性偏重の政治の一因にもなる。

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自民党本部前で行われたフラワーデモ。杉田議員に抗議するオンライン署名は13万筆以上が集まったが、野田氏と自民党は受け取りを拒否した=2020年10月
Kasane Nakamura

変わるべきは有権者も同じ

1946年、日本で女性が初めて参政権を行使した衆院選挙からもうすぐ75年。女性が投票に行くことは当たり前になったが、女性議員は遅々として増えない。

野田氏は「長らくの選挙の積み重ねの中で、どうしても『政治は男がやるもの』というのが男女問わず有権者に刷り込まれているんじゃないか」と、有権者の意識の変化の必要性も訴える。

「あらゆる選挙で候補者はほとんど男性ばかり。私たちは、こういう状況を当たり前に見て育ち、有権者になるわけです。『政治=男』という、私たち有権者の思いこみ。それを変えていかなくてはいけない」

「人口減少やコロナで、世界は全く変わってゆく。女性はもとより、若い男性たちも敏感になってきていると思う。私の下の世代の国会議員たちは、パートナーが働いている人がどんどん増えています。(変わる必要があるのは)政党もだけど、有権者もなんですよ」

【ハフポスト日本版・中村かさね@Vie0530、井上未雪@MyuInoue

2020年に幕を閉じた安倍政権の看板の一つは「女性活躍」だった。しかし現在の菅義偉新内閣20人のうち女性はわずか2人。これは国会の男女比そのままだ。2021年には、菅政権下で初めての衆院選挙が行われる見通しだ。候補者の人数を男女均等にする努力を政党に義務付ける「候補者男女均等法」制定から初めての総選挙。政治の現場のジェンダーギャップは、どうすれば埋めることができるのだろうか。

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野田聖子
Miyuki Yamamoto