結婚せず、経済的にも依存しない関係で、子どもを産みました。我が子を抱いて思うこと。

「結婚はもういいけど、子どもは産めるものなら産んでみたい」という思いを抱えていた私は、結婚せず、経済的にも依存せず、恋人同士という比較的ラフな関係を維持しながら、出産・子育てに臨む私の挑戦を始めました。
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筆者提供

■妊娠、でも結婚は一切考えず

20代前半で結婚・離婚を経験しました。直接の原因は夫の病でしたが、上手く支えられずに夫婦関係が破綻したのは、私の未熟さも原因だったと思っています。「いくら愛があろうと、誠実だろうと、身体も心も移り変わるのが人間。結婚という契約で誰かの人生を縛るのは無理があるんじゃないか」。そう考えた私は、以来あれこれ恋愛はするものの、家庭を作ることには消極的でした。

ひとまず自分の足でしっかり歩いて行けるようになろうと決めて、自分なりにがむしゃらにやってきました。2018年に個人事業主として独立し、2020年からは株式会社として活動しています。

 

仕事が楽しくて楽しくて、文字通り朝から晩まで働いてきました。「(恋人など)誰かと見る景色は美しいかもしれないけれど、一人でしか見れない高みもある」というのは、一番忙しかった頃に私がよく言っていた言葉です。

 

そんな私が妊娠に気づいたのは2019年の秋。過去の経験もあって結婚は一切考えませんでしたが、産むというのは1ミリも迷わず即決しました。「一人でできる限り高く飛ぼう」と思っていた自分が、「子どもを抱えて飛ぼう」と一瞬で方針転換できたのは、「結婚はもういいけど、子どもは産めるものなら産んでみたい」という思いがあったからです。結婚と出産は、私の中で別の話でした。かくして、結婚せず、経済的にも依存せず、恋人同士という比較的ラフな関係を維持しながら、出産・子育てに臨む私の挑戦が始まりました。

 

■出産前夜

2020年6月。予定日の5日前の日中から、なんともいえない腹部の痛みが始まりました。今は陣痛の間隔を記録する便利なアプリもあり、痛みの程度や間隔の記録をつけ始めました。翌早朝には一気に5分間隔になり、一旦自宅に戻っていた恋人もタクシーで飛んで帰って来ました。

その後、日中は再び痛みも和らぎ、自分で料理をできるまでに戻りましたが夜になると痛みの質が一気に変わって、「これはいよいよだな」と思いました。とはいえ、このときはまだ「大変!」というよりも「わくわく」という気分でした。

 

■想定外のトラブル、胎児の心拍異常。

私が通っていたのは「出産御三家」ともいわれる非常に整った病院で、それまでの経過も非常に順調だったこともあり、何のトラブルもなく出産できるつもりでいました。しかも無痛分娩を選択していたので、比較的楽なお産になると思っていました。しかし、本当に何が起こるかわからないのが出産です。

病院について処置を始めると、腹部の様子をモニタリングしていた助産師さんの様子がおかしいことに気付きました。病室に移ると担当医から「陣痛のたびに胎児の心拍が弱まっている。このままでは無痛分娩はおろか、自然分娩も出来ないかもしれない。帝王切開も視野に入れましょう」と説明がありました。「青天の霹靂」とはこのことです。胎児の心拍が弱まっている?

 

そこからはもう、本当に大変でした。陣痛はこれまで経験したどんな痛みよりも痛く、「鼻からスイカが出る」とか「腹を弾丸で撃ち抜かれる」とか色々聞いてきましたが、そう言いたくなる気持ちがよく分かる、筆舌尽くしがたい痛みでした。とにかく「無理!」という感じで、これを最後まで経験した人は全員表彰されてもいいんじゃないか思いました。しかも、機械から流れてくる我が子の心音は、陣痛のたびに素人でもわかるほどペースが落ちます。子どもを助けたいけれどどうしてよいかわからないし、自分の痛みで精一杯だし、「とにかく早く出てきて!」と思ってもその気配はありません。結局、陣痛開始から8時間後、子宮口が4センチ開いたところでこれ以上は危険と判断し、緊急帝王切開に切り替わりました。その頃には、痛みと不安で、私は半ば錯乱状態でした。

 

■腹を割かれている間、私は歌を歌っていた。怖すぎて。

医師と恋人にベッドを押されて、私は錯乱状態のまま手術室に運び込まれました。ずらっと揃った執刀医やスタッフの丁寧かつ簡潔な挨拶のあと、手術台に動かされ、局部麻酔を施され、頭の上にシートが掛けられ、暗闇の中、ひたすら医師の声と、カチャカチャという器具の音、そして私と胎児の心音が聞こえてきました。自分の身に何が起こるのかわからない恐怖と、赤ちゃんの命が心配なのとで、生まれてはじめて「歯の根が合わない」という経験をしました。恐怖で震えて歯が勝手にガチガチいうのです。怖すぎて叫びだしそうでした。涙が止まりません。気が狂いそうになった私は、手術台の上で、震えながら歌を口ずさみはじめました。Coldplayの「Viva la Vida」です。邦題は「美しき生命」。歌わないと、本当に発狂しそうだったのです。

そうしているうちに、自分の腹から何かが引っ張られる感触がありました。でも、声がしません。「赤ちゃんって、生まれたら泣くんじゃないの? 私の子は生きているの!?」と、いよいよ歌うことも出来なくなった私は、頭にかけられたシートの下で「私の赤ちゃんは! 赤ちゃんは!?」と泣き叫びました。

 

すると、横の方で、子供の鳴き声が聞こえてきました。思っていたよりも低くてどっしりとした声です。

頭のシートが少し開けられて、横から赤ちゃんが入ってきました。生まれたんです、赤ちゃんが。私の息子が……! 

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イメージ写真
jin chu ferrer via Getty Images

■1人のしあわせ、3人のしあわせ。

分娩時は心拍異常があった我が子ですが、産後は心拍も正常で、その後、これまでのところ、異常という異常は一切見つかっていません。私の経過も順調で産後2ヶ月で仕事を再開することができました。

 

結婚せずに恋人のまま出産・子育てをしよう。仮に二人の関係に何かあっても、結婚や子どもを理由に相手を縛らない関係でいよう。どこまでも自由に、お互いのその時の気持ちを大切にしよう。そう思った私たちは、三人で幸せな時間をすごしています。

 

この幸せを不動のものにするために、相手のことを戸籍の上でも縛ってしまいたい欲求が湧き上がるときもあります。特に子どもが生まれてからは、法的にもかっちりした関係のほうがいいのではないかと思うこともありました。でも今は、生活する上で結婚していても恋人のままでもあまり違いを感じていません。知らない人が街で私たちを見かけたら「ごく普通の家族」でしょうし、結婚しているカップルとしていないカップルで、子どもに対する愛情が変わるとも思えません。むしろ、法的拘束力がない中で共同生活を続けるということは、お互いの愛情を確かめ合ったり、生活が快適かどうかを確認し合ったり、密度の濃いコミュニケーションが必要です。

 

経済的には相変わらず独立しています。これは私の過去の経験によるものですが、結婚して経済的に依存してしまうと、万が一のことがあった時に立て直しが大変です。冒頭に書いたように、人間は移り変わるもの。何があっても自分と子どもが豊かに生きていけるだけはしっかり稼ごうと努力していますし、仮に自分の身に何かあっても子の成人までの暮らしが守れるように、専門家に依頼して今後のライフプランも立ててもらいました。

 

「誰かと見る景色は美しいかもしれないけれど、一人でしか見れない高みもある。」と冒頭に書きましたが、今もその気持は変わっていません。一人だから見える景色もあるし、二人だから、三人だから、それぞれの景色があります。どれも美しいし、どれを見たいと願うかも、人それぞれです。がむしゃらにやっていた頃の私は一人でちょうどよかったし、今は三人の暮らしが何よりも大切です。

 

価値観が多様化して、自分の人生を自由にデザインできる時代になっています。働き方が多様化するように、生き方や家族のあり方ももっと多様化しても良いと思うのです。しあわせのカタチは一人ひとり違うのですから。

(文:落合絵美 編集:榊原すずみ/ハフポスト日本版)