日本のテレビドラマや映画で、LGBTQなど性的マイノリティの人たちはどのように描かれてきたか。同性同士の恋愛やトランスジェンダーを描いた作品の歴史を紐解く企画展が、早稲田大学で開催されている。
どんな企画展なのか?
企画展のタイトルは「Inside/Out─映像文化とLGBTQ+」。早稲田大学の坪内博士記念演劇博物館で、2021年1月15日(金)まで開催されている。入館は無料。
企画展では、性的マイノリティを描いた映像作品を戦後から2020年はじめまで6章に分けて紹介。劇場パンフレットやポスター、台本、宣材写真や映像など、貴重な資料が展示されている。
第1章 戦後日本映画を読み直す
第2章 日活ロマンポルノと薔薇族映画にみる性のカタチ
第3章 1980~1990年代 エイズ・パニックと「ゲイ・ブーム」以前以後
第4章 ニュー・クイア・シネマの到来と映画祭の隆盛
第5章 ゼロ年代以降の国内メディアとLGBTQ+
第6章 性的マイノリティの老いと若さを考える
企画したのは、助教を務めていた久保豊さん(現・金沢大学准教授)。異性愛を規範化する権力に抵抗し、多様な性をめぐる歴史や文化を研究するクィア・スタディーズを援用。視覚文化にみるジェンダーやセクシュアリティの表象を探究する映画研究者だ。
近年は「LGBTブーム」と言われるほど、性的マイノリティを題材とする作品が多く公開されている。しかし久保さんは、同性間の親密さや情愛を描いたもの、またはそれを「読み取る」ことができる作品は戦後すぐから存在した、と指摘する。
「企画展を通してその歴史を知ってもらいたいという思いもありましたし、性の多様性の視点から映像作品を読み解き、アーカイブをすることの必要性も感じていました。
また、早稲田大にはメディア関係の道に進む学生も多いので、教育機関として、日本の映像作品で性的マイノリティがどのように表象されてきたか学んでほしいという思いもあります」
日活ロマンポルノからゲイ・ブームまで。LGBTQを描いた作品たち
久保さんが指摘するように、展示を見ると、日本でも性的マイノリティや性の多様性を描いた作品が数多く作られてきたことがわかる。
たとえば映画批評家の石原郁子氏が詳述したように、戦後日本の代表的な映画監督の木下惠介氏は、作品の中で「男性の弱さ」を描いた。1959年公開の『惜春鳥』では、日本のメジャー映画において初めてゲイ男性が「<可視>のものとなった」と評価された。
成人映画として70年代後半から80年代後半まで製作された日活ロマンポルノにも、同性愛を描いた作品があったという。
「ロマンポルノは基本的に女性を性的に搾取するジャンルであり、この点への批判については異論の余地はありません。同時に、現代の視点で見ると問題を抱えている描写が多々ありますが、同時代の映画では積極的に描かれなかったレズビアンやゲイ男性、トランスジェンダーを登場させる側面があったということも事実でした」
久保さんはそう語る。
その後も、薔薇族映画や90年代の「ゲイ・ブーム」などを通して、性的マイノリティを題材とする作品が多く製作、公開された。
『渚のシンドバッド』(1995年)や『ハッシュ!』(2001年)などで知られる橋口亮輔監督は自身が当事者であることを公表し、性的・社会的マイノリティの生きづらさを描いた作品を生み出した。
「ゲイ男性の作品が多い」のはなぜか
企画展は、日本の映像業界やメディアが描いてきた「性的マイノリティ像」の特徴も浮き彫りにしている。
たとえば、映画やテレビドラマが描く性的マイノリティの多くは「ゲイ男性」だ。
近年話題になった『きのう何食べた?』(テレビ東京系)や『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)もゲイ男性や男性カップルを描いたドラマであり、企画展にあげられた他の作品を眺めてみても、レズビアンやトランスジェンダー女性・男性、あるいはノンバイナリーやアセクシャルの人々を描いたものは少ないことがわかる。
「男性優位の日本社会が反映されている可能性もありますが、BL(ボーイズラブ)や出演俳優の女性ファン層をターゲットにしているなど、商業的な背景からゲイ男性を題材とした作品が多くなっているのではないか」と久保さんは話す。
また、作品は作られているものの、カミングアウトをしている作家や役者は少ない。
久保さんはその背景について、日本の映画界やメディア業界では同性愛嫌悪やトランス嫌悪が根強く、当事者にとってカミングアウトすることがリスクになりかねないためだと指摘する。
「日本の映像界はまだまだ問題を抱えていて、現在の作品を見ても、当事者ではないと思われる人たちが当事者を描いていたり、あるいは同性愛的なものを『搾取』しつつ描いたりしている点もあります。
当事者しか性的マイノリティの作品を作るべきではないとは思いませんが、同性愛者やトランスジェンダーが『商品』として、あるいは『マーケットバリューを持ったもの』として表象され、消費されているという側面があることは否定できない。こういった点は今後改善されていくべきだと考えています」
マイノリティを描くことの『責任』
2020年現在も、性的マイノリティをテーマとした作品が数多く発表されている。
当事者の生き方にスポットがあてられることで、社会の不均衡や問題の認知が広がるという一面はあるが、一方で作品で描かれるシーンや、PRや宣伝内容が“問題視”されることもある。
ゲイ役を演じる俳優が蔑称と指摘される「オカマ」という言葉を使って宣伝コメントをする。プレスリリースで、レズビアンの女子高校生カップルのことを「LGBTQの女子高生カップル」と書く。作品を取り上げるメディアがトランスジェンダー女性を「男性」と表現するーー。
これらは、2020年に発表された作品に巻き起こった批判の一例だ。こうした誤った伝え方は、性的マイノリティへの誤解や偏見を助長しかねない。
「性的マイノリティを描く作品を作るのであれば、製作者側は過去の作品を見ることや、歴史や基礎知識を学ぶことは必須だと思います」。久保さんはそう指摘する。
「作品を見る人全員を満足させることや、誰も傷つけない作品にすることは難しいと思います。ただ、なぜ性的マイノリティを『今』この時代に描こうとするのか。そのことを突き詰めて考えると、マイノリティを題材として作品を作ろうとする製作者が向き合うべきは、マジョリティではなく、性的マイノリティをはじめとする社会的マイノリティの人たちではないでしょうか」
「その人たちの生活をこれ以上悪化させないような表象をすること。これは表象する側に課せられた一つの『責任』でもあると思います。そして、世に出た作品がしっかりとメディアや専門誌によって批評され、次の作品に活かされる。その繰り返しが行われることによって、表象される性的マイノリティの人たちにとっても、また製作者側にとっても、より良い作品が生まれるのではないかと思っています」
(取材、執筆:生田綾 / ハフポスト日本版)