ロックバンド・クイーンのフロントマンだったフレディ・マーキュリーが1991年に死去して、11月24日で29年が経った。AIDS(後天性免疫不全症候群)の合併症によるもので、病気を公表した次の日のことだった。
彼の残した歌やライブパフォーマンスは今なお色褪せず、私たちの心を揺さぶり続ける。
2018年に大ヒットした伝記的映画『ボヘミアン・ラプソディ』が記憶に新しい人もいるだろう。
クイーンのナンバーを脳内再生しながら、16枚の写真と動画でフレディの軌跡を振り返ろう。来日した際、名古屋城前や移動中に撮られた写真も紹介する。
■クイーン結成前
クイーン結成前、「Ibex(アイベックス)」というバンドにいた頃。中央右寄りで腕を組む、白い長袖Tシャツに赤いベルト、黒いパンツ姿の男性がフレディだ。
■凄まじい個性、新しさで人気が爆発
クイーンの母体となったのは、ギタリストのブライアン・メイとドラマーのロジャー・テイラーが在籍した「スマイル」というバンド。HMV&BOOKS onlineによると、1970年にスマイルが自然消滅したことから仕事仲間だったフレディに声をかけ、1971年にベーシストのジョン・ディーコンが加入し、「クイーン」は形づくられていった。
フレディの魂こもった繊細で力強い歌声、パフォーマンス。写真からもその熱気が伝わる。ライブでの衣装が記憶に残る人も多いのではないだろうか。
斬新な音楽と個性で賛否両論も呼んだが、1975年に発売されたシングル「ボヘミアン・ラプソディ」などで人気が爆発した。
■映画のクライマックスでも描かれた伝説のパフォーマンス「ライブ・エイド」
映画「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスとしても描かれた「ライブ・エイド」での20分ほどのパフォーマンスは、「伝説」と評されることも多い。
ライブ・エイドは1985年7月13日に行われたエチオピア飢餓救済のチャリティで、クイーンはロンドンのウェンブリー・スタジアムで参加。1986年04月12日の朝日新聞によると、テレビを通じて世界で約15億人が見たと推定されるという。
「Bohemian Rhapsody」「Radio Ga Ga」「Hammer To Fall」などを披露し、観客を魅了。ライブ・エイドの公式YouTubeでクイーンのパフォーマンスが一部公開されている。この熱気を見てほしい。
フィナーレでは、U2のリードボーカル・ボノ、ポール・マッカートニーなど他の出演者とともに舞台に上がった。舞台裏で、映画にも登場したボーイフレンドのジム・ハットンとともに映る写真も残されている。
■名古屋城、樽酒、駅弁…日本とフレディ
日本の伝統や美術品を好んだというフレディ。
産経ニュースは日本人元ボディーガードの話として、大阪で公演がある際には休みがあると京都に出かけ、骨董品店を回るなどしていたと伝えている。
フレディ在籍時のクイーンは6度来日。フレディはプライベートでも1度来日している。
1975年の初来日では、名古屋城の前でジョン・ディーコン、マネージャーと写真に収まった。
1976年のツアーでは、着物でパフォーマンスしたことも。金屏風を背景に、樽酒の前で枡を掲げる写真も残っている。
1982年の来日では、なんと駅弁を食べる写真まで。大阪から名古屋に移動中の車内で、膝に駅弁を乗せて蓋を開け、スプーンかフォークのようなものをくわえておどけた表情を見せている。
よく見てみると、駅弁の蓋には新幹線のイラストが書いてあり、横の小さなテーブルにはビールが置かれているようだ。
1985年、ツアーで来日した際には、ファンと交流する様子も。はにかんだような柔らかい表情だ。
クイーンとしての来日は1985年が最後となったが、フレディは翌1986年、プライベートで来日。ロンドンの自宅にあるという日本庭園や和室のためのショッピングリストを見せる写真が残されている。「japanese chests(和だんす)」などの文字も。
■何年経っても色褪せない
亡くなって何年経っても、色褪せることのないパフォーマンス。2012年のロンドンオリンピック閉会式でも、クイーンの映像が流された。フレディは人々の心の中で生き続けている。