権力に踏みにじられる沖縄の日常。上間陽子さんがエッセイ集『海をあげる』で描いた痛み

暮らしの一つひとつ、言葉の一つひとつが、まがまがしい権力に踏みにじられ、おびやかされる感覚。「沖縄の青い海が好き」という本土の人たちは、なぜこの暴力に対して声を上げないのか。
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上間陽子さん
Yuriko Izutani / HuffPost Japan

沖縄県出身の教育学者で、琉球大学教授の上間陽子さんが2020年10月、初めてのエッセイ集『海をあげる』(筑摩書房)を上梓した。

風俗業界で働く沖縄の少女たちの記録をまとめたベストセラー『裸足で逃げる』(太田出版)から約3年。2018年末には米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先である名護市辺野古沿岸部への土砂投入が始まった。

一時は「何も書けなくなった」と振り返る上間さん。新著で描かれるのはその間、「食事をつくったり、娘にたくさんの絵本の読み聞かせをしたりしながら懸命に刻んだ日々のこと」だ。


「美味しいごはん」「ふたりの花泥棒」「アリエルの王国」「海をあげる」――。本を開くとその目次には、美しい語感のタイトルが並んでいる。

もし、著者名も、帯に書かれたコピーも伏せられた状態でこの本に出合ったとしたら。

多くの人は、優しさや癒しに溢れた物語を期待して、ページをめくり始めるだろう。だが、これはそういう本ではない。むしろ「そうあってほしい」と思う沖縄が、理不尽な暴力に傷つけられている現実を直視させられることになる。

上間さんは2012年から、沖縄の風俗業界で働く女性の調査を続けている。きっかけになったのは、2010年に沖縄県内で起きた女子中学生への暴行事件だ。その少女は、一緒に酒を飲んだ少年3人から、公園の公衆トイレ内で性的暴行を受けた。そして、自ら命を絶った。

壮絶な暴力。それにもかかわらず、当時はインターネット上を中心に、被害者の少女やその家族へのバッシングが巻き起こったという。

「『中学生が酒を飲むとはどういうことだ』とか、『夜中に子どもが外へ出ているのに、親は放っておいたのか』とか。こうした事件が後を絶たない背景には沖縄の貧困問題があるのに、誰もそのことを語らない。被害者側にも落ち度はある、というような言葉で問題をすり替えて、本質を見えなくしてしまう。なぜ暴力が繰り返され、承認され続けるのか。社会調査という形で、私が彼女たちの声を聞き取るしかないと思いました」

沖縄の内部には、社会や経済のひずみが構造化している。そしてそのひずみは、性的搾取や家庭内暴力といった形で、女性や子どもたちに降り注ぐ。上間さんは、調査を通じて出会った女性たちの生活史をまとめた著書『裸足で逃げる』を2017年に出版。拠り所のない状況で必死に生きる姿を、克明に描いた。

その後も週一度ほどのペースで調査を続けながら、行き場のない女の子たちの支援へ駆けずり回る日々。それでも、沖縄を取り巻く状況は変わらないどころか、むしろ悪くなっていった。政府は2018年末、県の反発を押し切り、普天間飛行場移設のため、辺野古沖への土砂投入を開始。上間さんは「もう何も書けない」という心境に追い込まれたという。

「大切な海に土砂が注ぎ込まれて、毎日、毎日、生き物たちが死んでいく。暮らしの一つひとつ、言葉の一つひとつが、まがまがしい権力に踏みにじられ、おびやかされる感覚。『沖縄の青い海が好き』という本土の人たちは、なぜこの暴力に対して声を上げないのか。『裸足で逃げる』で届けようとしたような言葉に、意味はあったのか」

再び筆を執ることができたのは、担当編集者、柴山浩紀さんの言葉がきっかけだった。

「SNSで友だちに打ち明けるように、ただ日々のことを書いてみないか。そう声をかけてもらいました。言われるままにそういう気持ちで書いてみたら、書けたんです。本当はまだ、誰かに伝えたい思いがあったのだと、自分の奥底に残った声を聞き取るようでした」

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「海をあげる」
Yuriko Izutani / HuffPost Japan

新著『海をあげる』には、その土砂投入開始の前後から2020年にかけて、上間さんがウェブや雑誌に寄稿した文章など数篇がまとめられている。描かれるのは、家族との暮らしや、上間さんが日常的に実施し続ける社会調査を通して出会った人たちとのこと。沖縄を取り囲み、その奥深くまで入り込んだ「暴力」は、ある章では不穏な影を落とすように、別の章ではグロテスクなまでに露骨に、迫ってくる。

「友だち」に打ち明けるように書くからこそ、描けたものもあるのだろう。『裸足で逃げる』ではただ暴力を振るう加害者にしか映らなかった少年がいる。恋人の少女に援助交際をさせて数千万円以上を稼ぎ、今は沖縄から上京し、ホストをして暮らしている和樹。上間さんは今回、逡巡しながらも彼の語ることを記録に残した。

「彼が彼女に対して加害行為をしたことは、間違いない。一方で、彼は幼少期から父親の暴力にさらされ、その状況に対して周囲の大人が手を差し伸べてくれることもなかった。『使えるものは何でも使って生き延びるしかない』という境地に置かれていた事実がある」

「もちろんその事実によって、彼の加害が許されることはあり得ません。ただ、『加害者』が時を巻き戻してみれば『被害者』だったということは、社会調査に携わっていれば当たり前に出くわす現実です。今回の記録が読者にどう受けとめられるかは気になる部分もありますが、加害の問題を突き詰めていけば、その修復についても語る必要が出てくる。私は教育学を専門にしているので、人は変わり得る、と信じているようなところがあります。これは『和樹の問題だ』と切り離して済まされることでしょうか。暴力を生み出す『磁場』のようなものがどうして生まれるのか、『みんなの問題』として考え、語っていくことはできないか」

本書で上間さんは、和樹のことを「女の子のような男の子」と表現した。傷つきながらもその声は黙殺され、与えられた境遇を引き受けて生きる「女の子」。彼女たちに徹底して寄り添ってきた上間さんが、和樹のことを一方で突き放しながらも、その「声が聞かれない」さまを「女の子のようだ」と描いた意味は大きい。そして「声が聞かれない」構図はそのまま、本土と沖縄の関係とも重なり合う。

「菅首相は官房長官時代から、折に触れて『粛々と』っていう言葉を使いますよね。人の話を聞こうとする気がないときの典型的な話法だと私は思います。その言葉をメディアはまさに『粛々と』報じ、人々は見たい沖縄だけを見ようとする」

上間さんは、「傷つけられているさまを黙って見ている感覚が分からない」と言う。だからこの本では、沖縄の人々にとっての海のこと、そこに託されたさまざまな歴史や出来事、思いを、つぶさに丁寧に描いた。「長い自己紹介のつもりで書いた」と語る。

一つひとつのエピソードから、読者に何を受け取ってほしかったのか。この本が多くの人へ届いた先に、どんな希望を見据えているのか。

インタビュー中、そういう類の質問をぶつけると、上間さんから返ってきたのは「答え」というより「問いかけ」であることが多かった。

「どういう気持ちを持ちますか?」「どう感じるでしょうか?」――。半分は目の前で取材する私に、半分は遠いどこかにいる読者へ向けるようなその「問いかけ」の後ろ側には、「自己紹介は十分にしたのだから、いい加減に返事をしてほしい」という切実な訴えが滲んでいるようにも映った。

「とにかく声を届け続けるために、色々なことをやっていかなければならない時期なのだと思っています。調査の仕事を続ける。厳しい境遇に置かれた子どもたちの話を聞き、ご飯をつくり、適切な支援につなぐ。家庭の事情で成人を祝えなかったと悔やむ女性たちに、ただ『楽しい思い出』を残してあげたくて、振袖を調達して成人式をしたりもしています。そして政治に対しても、デモや座り込みなどさまざまな方法で意志を伝えていく。本を書くことは私にとって、その『色々やっていく』うちの一つです。届く人はきっといるはずだ、と信じています」

(取材・文:加藤藍子@aikowork521 編集:泉谷由梨子@IzutaniYuriko

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上間陽子さん『海をあげる』
筑摩書房