「メイクは魔法」――。聞き慣れたそんな言葉の力が、少し弱まっているように感じるのは気のせいだろうか。コロナ禍で人と対面する機会が減った2020年、コスメ売り場には以前ほどの活気がない。
「もう、スッピンでよくなってきた」という呟きを、何人の友人から聞いたか分からない。しかし、そんな中でも「メイクすることはやはり素敵だ」と思わせてくれるのが、放送中のドラマ『だから私はメイクする』(テレビ東京、毎週水曜深夜0時58分放送)だ。人はなぜ、メイクに惹きつけられるのか。自らが筋金入りのコスメ好きでもある、脚本家の坪田文さんにインタビューした。
「好きなメイクを極め続けていたら、あだ名が『マリー・アントワネット』になった女性」「職場の男性たちから『見た目へのアドバイス』をされることにうんざりしている女性」……。ドラマは全6話、各回でさまざまな人物にスポットを当てていく形式だ。
原作はシバタヒカリ作のコミック『だから私はメイクする』(祥伝社)。オタク女性によるユニット「劇団雌猫」が、独自の調査や取材を基に、メイクに情熱を傾ける女性たちの生態を描いた同名のエッセイ集が原案となっている。
脚本を担当した坪田文さんは、「中毒」を自認するほどメイクが大好きだ。ドラマ放送発表時には自身のTwitterで「消せない好き」を込めて書いたと綴った。なぜメイクは、坪田さんにとっての「消せない好き」になったのか。そのきっかけを鮮明に覚えているという。
「左右の目の大きさが違っていることが幼少期からのコンプレックスだったんです。小学6年生で転校したとき、自己紹介の挨拶中に、クラスメイトの男子にからかわれたことがショックでした。ずっと気にして、どうにかして隠そうと前髪を長く伸ばしていた時期もありました」
だが高校時代、一本のマスカラと出合ったことが、坪田さんの世界を変えた。教室で、坪田さんから見ると少し華やかに映るグループの同級生から「試してみない?」と声をかけられたのだった。
そのマスカラとは、かつて爆発的なブームとなったメイベリンのダイアルマスカラ。容器に付いているダイヤルを回すことで、液の量を調節できる。小さいほうの目のまつ毛には多めに付けて、より長く、太く。もう片方のまつ毛には、少し軽めに、控えめに。数人ではしゃぎながらあれこれ工夫したあと、鏡で自分の顔を確認した瞬間、「これ、かわいいんじゃないの」と思えた。嫌いであるがゆえに直視したくなかった自分の一部と、向き合うことができるようになったのだという。
「マスカラやアイライナーで、コンプレックスが一瞬にして消え去るわけではない。急に自分のことを全肯定できるようになるわけでもない。でも、練習したり工夫したりすればするほど、メイクを施した箇所が『変わる』感覚があった。それが純粋に楽しかったんです。自分自身の嫌いなところからは目を背けたくなってしまうものですが、『メイクする』という行為を媒介すれば、向き合う時間をつくれた。楽しんであれこれ試しているうちに、気が付いたらコンプレックスも薄れていた。メイクが癒しとして働いたのだと思います」
ドラマ第1話で登場する会社員・錦織笑子(島崎遥香)がメイクの「沼」にハマっていく描写は、そんな坪田さんの経験とも重なり合う。笑子は自分の顔に対して強いコンプレックスを抱いているわけではなく、「好きでもない」という程度。だが、友人の誘いをきっかけに、「ほぼほぼ、魔法」だとメイクの魅力に覚醒する。自身がときめく「お人形のような顔」になることを、ひたすら目指すようになっていく。
メイクは魔法、なのだろうか。
目を輝かせて首を縦に振る人は、坪田さんや笑子のように「メイクで変われた」「変われる予感を得られた」という成功体験を、少なからず持っているのだと思う。
一方で、メイクが見た目に変化をもたらすとしても、「そこに魔法みたいな自由さなんてある?」と疑問を抱く人もいるだろう。自分の好きなメイクを貫いたところで、他人から「似合わないよ」と言われてしまうことはある。「これが私らしさだから」といくら胸を張っても、それが誰にも「素敵だね」と言ってもらえなかったら、自信を失うのは無理もない。
このドラマの面白さは、そんな「ブレ」も否定しないところだ。坪田さんはこう語る。
「(第1話の)笑子は、『なりたい自分』を明確に持っています。スッピンを目にした恋人に『妖怪』呼ばわりされて逃げられても、しょげるどころか『私(のメイク)ってすごい』と気持ちを高ぶらせるほど。でも、好きなメイクを周囲から否定され続けることで、思い悩む場面もあるんです。『私は私』と威勢よく言えたら物語としては分かりやすいけれど、自分の中から他者の存在を消し去ることって、実際にはできないと思うから」
自己と他者とのせめぎ合いの中で、心地よく生きられるバランスをどう見つけたらいいのか。しっくりとなじむ自分の輪郭を捉えるために、軸をどこに置くべきか。
メイクに情熱を注ぐ人たちの、単純な起承転結には収まらない物語の核にあるのは、そんな普遍的な問いだ。
迷ったり、傷ついたり。「自分らしさ」を見つける旅には、本来、時間がかかる。「それなら、なるべく楽しく、健やかに進んでいこう」。坪田さんは、このドラマにそんなエールを込めた。
「メイクに救われたと言いましたが、それはあくまで『振り返ってみれば』の話です。単純に、私はかわいいものが大好き。ちっちゃくて、キラキラしていて、眺めているだけでワクワクさせてくれるモノたちを、自分の顔に塗ることができるって、凄い。『そんなにアイシャドウをいっぱい持っていても、目は2つしかないのに』とか言われることもありますよ(笑)。でも、私にとってはちょっとした冒険を楽しむ感覚なんです。例えば、ラメが華やかなシャドウを瞼の上にギラつかせれば強そうな感じになるし、上品なツヤの出るベージュ系のシャドウで『キレイめ』な雰囲気を味わうのもいい」
「人によっては、愛でる対象がメイクでなくたっていいんです。『好きなもの』に夢中になることで、ポジティブになれる。どこからともなく力が湧いてきて、視界が開けそうな気がしてくる。万能の魔法ではないけれど、それで十分じゃないですか?」
ドラマでは、コスメショップのビューティーアドバイザー(BA)が、各回のさまざまな登場人物を結ぶ拠り所としての役割を果たしている。さまざまな悩みを受け止めたり、メイクの方法を教えたりする主人公のBA・熊谷すみれは、カリスマ的な人気を誇るプロの美容家、神崎恵さんが演じている。
「訪れる客にそっとケープをかけたり、肌の上に優しくブラシを滑らせたり。プロフェッショナルならではの所作がとても美しく、慈愛に満ちているんです」と坪田さん。確かに眺めているだけで、メイクには「癒し」の効用が備わっているのだということが、じんわりと伝わってくるようだ。
コロナ禍で環境は激変し、ちっぽけな自分が自分なりのペースで生きていくことのままならなさを改めて思い知らされたこの2020年。席巻した「不要不急」のスローガンにぴったりと当てはまってしまったコスメの売り場は、以前に比べて人もまばらだ。
でも、色とりどりのコスメを手に、鏡をのぞき込むさりげない瞬間に、私たちは自分の心の在りかを確認していたのかもしれない。「取るに足らない」「なくても困らない」……? そう言われがちなものの中にこそ、本当に大切なものがある。そんなことを、思い出させてくれるドラマだ。
(取材・文:加藤藍子@aikowork521 編集:泉谷由梨子@IzutaniYuriko)