乗降客が世界一多い東京中心部の「新宿駅」。中でも東口といえば車や人通りが多く、ビルの圧迫感が強い。色で例えるなら、コンクリートやビジネスパーソンが着るスーツの暗いグレー。
2020年7月19日、新宿駅東口駅前広場が大胆にリニューアルされた。巨大なモニュメントとカラフルなランドアートに彩られ、イメージは刷新された。
手掛けたのはニューヨーク在住のアーティスト、松山智一。
駅前という公共空間だけに関係者も多く、松山は地元の人や企業経営者に対するロビー活動(根回し)も行った。
「根回し」なんていうと、日本語のイメージは良いものとはいえず、裏で何か企んでいるネガティブなイメージがあるけれど、本当は違う。
プロジェクトを成功させるため、プロのビジネスパーソンなら当たり前にやっていること。それは誰かをねじ伏せるためにあるのではなく、異なる立場の人と「出会う」ことでもある。
そこであえて松山さんに聞いてみます――自由で、孤高だというイメージのある「芸術家」が根回し? まずは新宿駅の変化から見てみたい。(文章・石川香苗子)
ゴールデン街のような昭和的カルチャーも生かす
松山は新宿駅前を、緑、赤、青の色鮮やかな床に、真っ白な花を描いて景色を変えた。
中央には「花束を持っている人物」をイメージした7mのステンレス製モニュメントが新宿の街を見守る。
その周りを、白いカウンターテーブルと60席近くのハイスツールが取り囲み、買い物や仕事に訪れた人が、新宿の空とモニュメントを見上げながらひと息つけるスペースが生まれた。
このプロジェクトは、新宿駅の東西をつなぐ自由通路の開通に伴って計画された歩行者道路拡大と美化整備の一貫。駅正面を横切っていた道路を撤去し、ルミネエスト新宿前の広場に、アートを主役としたパブリックスペースが誕生した。
松山は、プロジェクトのコンセプトについてこう語る。
「Metro(都会)、Wild(自然)、Bewilder(ビウィルダー:当惑)という3つのことばを組み合わせた『Metro-Bewilder(メトロビウィルダー)』がテーマです」
地面のグラフィックアートは、日本の自然や四季文化への賛美に現代アートの解釈を加えたもの。中央に設置された『花尾』というタイトルのモニュメントは、仏教彫刻に用いられる文様、西洋の古典的な壁紙柄、現代のテキスタイル柄からなど異なる文化や時代の装飾柄を取り入れ、多様な価値観を具現化している。
日本の伝統的なものから、ゴールデン街のような昭和的カルチャー、LGBTカルチャー、百貨店群やオフィスビルまで、新宿の見せる表情はどれも東京を代表するカルチャーだ。
喧騒感や人工物にあふれた“新宿らしさ”をすべてないまぜにした。
「映し出したかったのは、街の人たちの戸惑う姿です」
鏡面仕上げがされた中央のモニュメントは、夜になると飲食店のネオンや駅の灯りを猥雑に反射させる。
「映し出したかったのは、街の人たちの戸惑う姿です。ニューヨークから日本を見ていると、時代の変化を前に、みんなの価値観がゆらいでいるように見えました。いろんな国から多様な人たちが入ってきて、バーチャルな世界と現実が交錯する。これからコロナによってもっと価値観は変わる。その様子がそのまま映ればいいと思いました」
「パブリックとは公共じゃない、“僕ら”だ」
今回のプロジェクトは「日本初のパブリック・アート」と謳っている。パブリック・アートは「公共芸術」と訳され、公園や市街地、駅などに置かれる芸術のことを指す。
「初めて」というなら、日本にはこれまでパブリック・アートはなかったのだろうか。いや、そんなことはないはずだが…。
「もちろん、一切なかったとは言いません。ただ、海外からアーティストを招聘して目立つものをつくるだけでは、世界へ向けて日本のカルチャーを発信する役割は担えないと思いました」
松山にパブリック・アートが果たす役割について聞いてみると、「日常に溶け込み、使ってもらえて、機能することだ」と強調した。
今回のプロジェクトでは、広場に椅子を置いて人がとどまるコミュニティスペースをつくり、ロータリーのカーブで東口から南口へ抜ける新たな動線をつくった。人の流れが変われば、これまでにない経済効果も生まれる。
ただ愛でるだけではない、街を豊かにする機能を持たせたのだ。
松山にとって、「パブリック」とは何か−−。
「公共ではありません。“僕ら”です。駅にアートを置くということは、道行く人にアートを半強制的に見せてしまうこと。ならば、ここに置くものには“僕ら”を投影させたいし、みんなでシェアできるスペースであるべきだと思った。他人ごとの場所ではなく“僕ら”の場所にしたいと思いました」
「根回しをするアーティスト」
松山は地元の4つの自治会と丁寧にコミュニケーションを重ねた。ルミネ等の関係者を通じてモニュメントの模型を届け、コンセプトを伝える労力を惜しまなかったという。竣工後は直接対話を行うこともいとわなかった。
「新宿は地元の方たちによって文化がつくられ、育ってきた街です。都市空間にアートをつくるということは、その街に新しいカルチャーをつくってしまうことになります。コミュニティに受け入れられるためには、地元のみなさんの了承が不可欠だと思いました」
その結果、今回の「新宿というキャラクターをより際立たせる」というコンセプトが地元への理解へとつながった。
アメリカのアーティストは「meをweに変える」
松山は地元へ向けてロビイング活動もすれば、企業の経営陣を前にプレゼンテーションもする。その話はロジカルでわかりやすく、ビジネスのプランナーやプロデューサーのようにも見える。松山にそう水を向けると、驚いてこう言った。
「ニューヨークでは普通のことです。アメリカのアーティストは、みんな自分が見ている“me”の世界を、どう伝えたら世の中の人々に “we”として自分ごとにしてもらえるだろうって、いつも考えて動いていますよ」
アーティストである松山がプレゼンテーション能力を高めようと考えたのは、少しスタートの遅い自身のキャリアにも関係している。
松山は国内の大学の経済学部に在学中から独学で絵を描きはじめ、卒業の翌年に渡米。日々の暮らしにも困りながら、ニューヨークの美術大学院を4年かけて首席で卒業した。
25歳でデビューした松山は、ギャラリーや美術館で作品を発表する機会になかなか恵まれず、どうすればうまい絵が描けるのか思い悩んだ時期があったという。
「うまい絵を描くスキルがなかったから、数少ない選択肢の中でできることから始めた。それがパブリック・アートだったり、やりたいことを臆せず伝えることだったりした。いつしかそれが長所になっていました」
今回の新宿東口駅前広場のリニューアルプロジェクトでも、松山は何度も東京へ足を運び、JR東日本の深澤社長とルミネの森本社長に直接プレゼンテーションを行った。
ルミネの新井会長(現相談役)と森本社長をニューヨークのスタジオに招き、パブリック・アートがいかに人の動きを変え、経済効果をもたらすかについてくりかえし伝えたという。
昨今、ビジネスシーンでも「アート思考」「BTC型人材※」などの文脈でアートに注目が集まっている。しかしこれまでは多くの人にとってアートは「わかる人だけのもの」というイメージが強く、中には美術館の中だけで閉じこもっているという意見すらあった。
※BTC型人材=ビジネス、テクノロジー、クリエイティブの2つ以上について造詣の深い人材。異なる領域を結びつけてイノベーションを起こす。
それには松山も同意だという。
「僕自身、キャリアを重ねて美術館で作品を発表できるようになると、実社会が遠くなってしまったような気持ちになりました。多くの人にとって、お金を払って美術館で何かを見ることってすごく労力のいることなんですよね」
アートの持つべき大衆性、持ってはならない大衆性
アートを閉じたものにせず、松山が言うような“僕ら”のもの、パブリックなものにするには、どうしたらいいのだろう。その問いに松山はまっすぐ答えてくれた。
「アートには2種類の側面があります。大衆性を持つべきケースと、大衆性を持ってはならないケースです。これまで日本のアートにはあまりにも大衆性がなさすぎた。だからこのプロジェクトでは大衆性を突きつめて、都市機能の一部としての役割をもたせながら、カルチャーにも経済にも貢献しようと思いました」
松山はアートシーンとパブリックシーン、そしてビジネスシーンを越境して橋渡しをしていく人のように感じる。こうしたあり方は、アートだけでなく、これからのまちづくりにもビジネスにも生かせるだろう。
機能を持ったアートである「パブリック・アート」が増えれば、日本の景色はもっと豊かに、もっと楽しくなるのではないだろうか。
プロフィール
アーティスト
松山智一
1976 年岐阜県出身、ニューヨーク在住。NY Pratt Institute を首席で卒業。ペインティングを中心に、彫刻やインスタレーションも手がける。世界各地のギャラリー、美術館、大学施設等にて個展・展覧会を多数開催。また、LACMA や Microsoft コレクション等に、作品が多数収蔵されている。