日曜劇場『半沢直樹』(TBS系、日曜夜9時〜)が熱く支持される理由のひとつに「やられたらやり返す、倍返しだ!」という“決めゼリフ”がある。
テレビドラマと決めゼリフは切っても切れない関係。古くは、『半沢直樹』がよく例えられる『水戸黄門』(TBS系)の「この紋所が目に入らぬか!」にはじまり、最近では『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』(テレビ朝日系)の「私、失敗しないので」。
気軽に使える。覚えやすい。なにより短い。
決めゼリフにはそれが大事で、『半沢直樹』の場合、何かと忍耐を強いられるストレス社会に「倍返し」は痛快そのものだった。ドラマがはじめて放送された2013年の「ユーキャン新語・流行語大賞」に、みごと選ばれた。
そのとき一緒に選ばれたのが、朝ドラ『あまちゃん』(NHK総合)の「じぇじぇじぇ」や滝川クリステルの「お・も・て・な・し」。2020年版『半沢直樹』では、国土交通大臣・白井(江口のりこ)が「い・ま・じゃ・な・い」と、「お・も・て・な・し」を真似たような言い回しを口にしていた。こちらは流行るかはちょっとわからないし、「じぇじぇじぇ」もいまではあまり使われない。
その中で「やられたらやり返す、倍返しだ!」が7年経過したいまも、待ってました!と迎えられたことは、様々なことが短期間で消費されていく現代において、注目に値する。
このセリフの原型は、池井戸潤の原作小説『半沢直樹』第1巻『俺たちバブル入行組』の第6章にある「やられたらやり返す、泣き寝入りはしない。十倍返しだ」であろう。
ドラマでは、原作にはない「倍返し」が加えられ、それが世紀の名セリフとして何十倍にも広がっていった。
だが、この「倍返し」も「じぇじぇじぇ」や「お・も・て・な・し」のようにいよいよ静かに時代の倉庫にしまわれそうな気配もある。
ドラマは毎回視聴率20%を越えて大人気なのになぜかーー。
それは、セリフに潜む「暴力性」にある。
「倍返し」に対して「恩返し」。しかしその使われ方は…
半沢の報復の気持ちに満ちた、叫びに近い怒声は暴力的に響く。それは不正をぬけぬけと行い、なお認めない相手に、怯まぬように自分を奮い立たせる、剣道の掛け声のようだとしても、半沢がまっすぐ向かっていけばいくほど、相手もまた激しく返してくる。「やられたらやり返す」は、人類が断ち切らなくてはいけないとされる「復讐の連鎖」である。それをこれほどカジュアルにしてしまってよかったのだろうか。
7年前の2013年当時はスルーされがちだった『半沢直樹』のこれらの表現は、2020年になった今、「パワハラ」という視点から見ると、違った印象が浮かび上がってくる。
ちょうど2020年6月にはパワハラ防止法が成立したところ。仕事上の地位などを利用して、感情的に怒鳴ったり、過度に叱責し続けたりするような行いを徹底的に防ごうという機運が高まっている。そう考えると、登場人物の怒声や、なにかにつけて行われる「土下座」強要はスルーしづらいものがある。
さらに、2020年版では「倍返し」や「土下座」の他に、「お・し・ま・い……DEATH」(2話より)、「銀行沈・没」「頭取も沈・没」(6話より)など大和田(香川照之)によるキャッチーなセリフが連発される。
半沢(堺雅人)もこれに対抗するかのように、
「なにかあれば人事、人事と小学生みたい」(1話より)
「ゴミ扱いしているのではありません。ゴミだと申し上げているのです」(4話より)
「あなたからは腐った肉の臭いがする、膿んでただれた肉の臭いです」(5話より)
と不正を行う相手を強い言葉で罵倒する。
飛沫が飛びまくりそうな勢いの罵詈雑言の応酬。2020年版では「倍返し」の発展型「恩返し」が登場した。2013年版で半沢によって窮地に陥った大和田を助けてくれた頭取(北大路欣也)への服従の意味で、大和田は「施されたら施し返す。恩返しです」(1話より)と語り、半沢も、合わせたかのように「大事なのは恩返し」と誠実さを部下に説いた(3話)。
これは、悪意への「倍返し」はやめて、善意の「恩返し」をという『半沢直樹』なりの迎合かと思ったら、のちに大和田は半沢に面倒な案件を押し付けて「恩返しだよ」とほくそ笑む(4話より)。
半沢の「倍返し」に対抗して「恩返し」という聞こえのいい言葉に逆の意味(報復)をもたせてしまう。言葉遊びとしては面白いのだが、『半沢直樹』は「やり返す(報復)」という念から逃れられずにいるのである。それがヒットの最大要因なのだから手放せないのも無理はないのだが……。
『半沢直樹』が2020年に放送された意味
こうした指摘には、「いやいや、なにを堅苦しいことを、これらは状況を戯画化して笑う、コメディなのだ」というような声もある。
本来の半沢は「正しいことを正しいと言えること」「組織の常識と世間の常識が一致していること」「一生懸命働いた人が報われること」(4話より)を信条にしていて、それを守るためにカラダを張って戦っているだけである。
だからといって、半沢にこういう滋味深いセリフだけをしんみりと語らせ、コツコツ誠実に生きる姿だけを描いても、地味な企業ドラマになるだけである。
相手を罵倒するような言動をあえて極端に描き、それを半沢が喝破していく爽快感がドラマの魅力とはいえ、社会状況と相反した表現が「フィクションの自由」としてどこまで許容されるものだろうか。『半沢直樹』は分水嶺といえるだろう。
そんなとき、「『半沢直樹』とは『水戸黄門』」だと言うのは最大の免罪符になる。チャンバラで人を斬り、主君の仇を討つ時代劇が、「人を斬ってはいけない」「復讐してはいけない」と咎められることはないだろう。土下座も怒声も「倍返し」も、さらに付け加えるなら、常に男性の影に控えた女性の描き方や黒崎(片岡愛之助)のような類型的な「オネエ」キャラも、「“時代劇”だから」でまるく収めたい。
日本航空の再建やIT企業の隆盛を思わせる、時代性を感じるシーンがあるとはいえ、ドラマにおける時代設定がそこまで明確にされていないのも、そういう事情を感じてしまうのである。
今、最も見られているドラマ『半沢直樹』は、パワハラやモラハラ、ジェンダーの問題から考えると、違った視点が取れる。
今、『半沢直樹』を見ることは、こういう時代もあったんだよね……、と“あの日たち”を葬る儀式でもあるのではないか。時代が急速に変化している2020年に放送されたことは運命的だったのかもしれない。
(編集:若田悠希)