千葉県浦安市の東京ディズニーシーは2020年9月4日、開園から19周年を迎えた。
東京ディズニーランドと並んで人気のテーマパークに成長した東京ディズニーシーだが、当初は全くの別の構想があり、“幻”になる可能性があったことをご存知だろうか。
開園19周年の節目にあたり、そのエピソードとパークの歩みを史実や資料に基づいて紹介する。
東京ディズニーシーが開園したのは、2001年9月4日。
そもそも、オリエンタルランドが東京ディズニーランドに続くテーマパークの建設を検討する「第2パーク構想」を発表したのは、1988年4月15日。東京ディズニーランド5周年の節目に開かれた記者会見の場だった。東京ディズニーシーの開園から実に13年も前に遡る。
東京ディズニーシーのキャッチフレーズは「冒険とイマジネーションの海」。文字通り、海をテーマにしたテーマパークだ。
しかし、オリエンタルランドが公表している沿革資料によると、第2のパークとして初期の段階で検討されていたのは、「ディズニー・ハリウッド・スタジオ・テーマパークat東京ディズニーランド」という、1989年にアメリカのフロリダ州にオープンした「ディズニーMGMスタジオ・ツアー」をモデルとしたテーマパークだった。
しかし、1991年にそのコンセプトが見直されることとなり、1992年に打ち出された新たなアイデアこそが、現在の東京ディズニーシーに繋がる「7つの海」という“海”をテーマにしたものだった。
もし仮に初期の計画が見直されることなく進んでいたとすれば、東京ディズニーシーは、存在さえしなかったかもしれないということになる。
ところで、東京ディズニーシーのシンボルをご存知だろうか。
東京ディズニーランドでいえば、シンボルは言わずもがなシンデレラ城だ。
一方、東京ディズニーシーのシンボルは、園内の中央にそびえ立つ「プロメテウス火山」だと思っている人がいるかもしれないが、パークに入ってすぐ目に入る「アクアスフィア」と呼ばれる地球のモニュメントがそれだ。
だがこれは、ファンやリピーターであればすでに多くの人が知るところだ。
しかし、意外にも知られていない事実がある。実は、当初のシンボルは地球ではなく、全く別のものにするという“構想”があったのだ。
シンボルの決定に到るまでには、オリエンタルランドとアメリカのディズニー社との間で繰り返しの議論があった。
資料によれば、ディズニー社はシンボルについて「アメリカ人にとって冒険の守り神であり祖国に戻ってきたシンボルとも言える温かなイメージを持つ『灯台』」を提案していたという。
しかし、オリエンタルランドは「日本人にとっての『灯台』は「哀愁を帯びた寂しいイメージ」があるとして、ディズニーのテーマパークのシンボルとして相応しくないと考えたため、議論は平行線になったという。
異なる文化を背景に持つ日米の両社はその後も検討を繰り返し、ようやくたどり着いた答えが、現在のシンボル・“水の惑星地球”を表現した『アクアスフィア』だった。
ちなみに、ディズニー社が提案していた灯台はシンボルにはならなかったが、パークのアメリカンウォーターフロント内にあるケープコッドの一角に設置されている。
もし、アメリカのディズニー社の案がそのまま採用され、灯台がシンボルとなっていたら、パークの風景や印象は大きく変わっていたかもしれない。
開園から19年─。
2001年に産声をあげた東京ディズニーシーは、「タワー・オブ・テラー」(2006年)や「トイ・ストーリー・マニア!」(2012年)、「ソアリン:ファンタスティック・フライト」(2019年)など、数々の人気アトラクションを続々とオープンさせ来園者の興味を惹きつけ、「リピーター」と呼ばれるファンを増やしてきた。
東京ディズニーシーは今、更なるパーク拡張計画の道半ばにある。
オリエンタルランドは、8番目のテーマポートとなる「ファンタジースプリングス」の開業時期を2023年度とすると発表している。
新しいエリアとなる「ファンタジースプリングス」は、ディズニー映画『アナと雪の女王』『塔の上のラプンツェル』『ピーター・パン』を題材とした3つのエリアによって構成されるという。
次々と進化を遂げる、東京ディズニーシー。もしかすると開園自体が“幻”に終わっていたかもしれないと思うと、驚きである。