現在、公開中の映画『ソワレ』。外山文治監督の長編2作目となるこの作品では、若い男女の逃避行が入念に描かれる。限界まで枝葉が削ぎ落とされたその過程は、ふたりが置かれている厳しい立場とその心象をストレートに観賞者に突きつける。
この映画を製作したのは、俳優の豊原功補、そして、俳優・歌手として長らく活躍してきた小泉今日子だ。小泉は2015年、自ら制作会社・明後日を設立。翌2016年以降に、『日の本一の大悪党』など舞台の演出・プロデュースを手掛けてきた。今回の『ソワレ』は、豊原らとともに新世界合同会社を設立したうえでのはじめての映画製作となる。
新たなステージに足を踏み出した小泉今日子は、いまなにを思い、どのような未来を見ているのか━━。
「あなたはどう思う?」と聞いてくれるひとの中で育った
━━この5年間、小泉さんは演劇のプロデュースなど仕事の幅を広げています。どのような心境の変化があったんでしょうか。
1982年に歌手デビューしてから、とてもおもしろいひとにたくさん出会ってきました。そのなかには、たとえば歌のプロモーションのとき、私に対して「あなたはどう思う?」と聞いてくれるひとたちが多くいたんです。そういうなかで育ったものですから、作品をプロデュースすることを自然と教えられてきた実感があります。
演劇にかんして言えば、コンサートなどが忙しくて舞台に出たのは30歳を過ぎてから。ただ、それまでもドラマや映画で共演する方のなかに、お芝居に対してとてもおもしろいアプローチをするひとと出会っていました。そのとき、その俳優さんや先輩が、ほぼ全員、小劇場の出身だったんです。それで、そこ(小劇場)にはなにか自分がまだ見えていないものがあるんだと思っていました。
30歳になった頃、歌手よりも俳優の比重を少し大きくしたときに見えてきたのが、舞台や映像作品で脇役を演じることだったんです。そこでまたたくさんの小劇場の方たちを知り、おもしろいひとたちがいっぱいいることを知りました。
ただ、そうした方の多くは無名で、アルバイトして演劇を続けていたりもする。だから、その純度の高いひとたちをもっとつなげられるような舞台をプロデュースしていきたいと思って、2015年に明後日という会社を立ち上げたんです。
プロデューサーとしては新米なので、成功している作品は少ないと思います。お客さんの入りとか収益を含めると、まだまだだなって思うんですけれど、創ってきた作品にはすごく自信があります。
━━映画は今回はじめて手掛けられますが、そのきっかけにはなにかあったのでしょうか?
豊原功補さんとの出会いは大きかったです。同じ年齢で、同じように役者を続けてきて、同じような考えを持っているひとだったんです。舞台で共演したときにいろいろ話す機会があって、「(私と同じ人間が)他にもいた!」という気がして。そこで、豊原さんも演出や執筆の才能がおありなので、一緒に舞台(2017年『名人長二』など)を創ってきました。
それもあって一緒に新世界合同会社を立ち上げたんです。われわれはどちらかというと映像で育ってきたので、もともと映画製作にも興味はありました。
脚本は12.5稿ぐらい?私たち、しつこいので(笑)
語弊を恐れずに言えば、『ソワレ』はきわめて雑味の少ない映画だ。物語はシンプルで、いまいる場所から逃げ続ける若いふたりの描写に注力されている。大手映画会社のエンタテインメント大作とはまったく異なるタイプだ。
そこで大きな役割を担うのは、主演のふたりだ。翔太を演じる村上虹郎と、タカラを演じる芋生悠である。映画のほとんどは、このふたりの出演シーンで占められる。
外山文治監督は、短編・長編含めてこれまで少なくない作品を発表してきているが、大きく注目されてきたわけでもない。しかし、アソシエイトプロデューサーとしての小泉はある作品に出合うことで外山監督に注目する。
━━外山監督の作品は、どれも無駄がない印象ですが、そういうところに惹かれたのですか?
以前映画祭で、外山監督の短編『此の岸のこと』(2010年)を観たときとても衝撃的で、こんな映画を撮れるひとが日本にいるんだ、と興味を持ちました。観終わった後に「あれ、この映画、セリフひとつもなくなかった?」って思って、すごくびっくりしたんです。老老介護を描きながら、ドラマチックに、ファンタジーも含めながら創られていることに感動しました。それで、監督とお会いしたんです。
それまで外山監督は、プロデュースからDVD販売まで、全部ご自分でやられていました。でも、そうした作業に費やす時間は、アーティスト的に考えるとすごくもったいない時間だと思ったんです。そこで、もし今後われわれにお手伝いできることがあったら喜んでしますよ、とお話させてもらったら、わりとすぐにこの映画のオファーが外山監督にあったんです。
そこで外山監督から「このあいだの話を真に受けてるんですけど、お手伝いしていただけませんか」と話があり、豊原さんがそれならばわれわれも本気でやろう、と。そこで、新世界合同会社を豊原さんとともに立ち上げたんです。
今回の『ソワレ』は、『此の岸のこと』と、『春なれや』(2017年)や『わさび』(2017年)などの、2つのテイストをひとつにしたらどうかということで進みました。わりと前半はドキュメンタリーに近いカメラワークにするなどですね。
脚本打ち合わせは何度もやりました。私たちもしつこいので(笑)、最終的に12.5稿ぐらいまでいきました。2018年から1年間ずっとやっていましたね。
俳優がかっこいい瞬間とは?
━━『ソワレ』は、キャストの若いお二人が背負うものがすごく多い作品です。この二人はどのような経緯でキャスティングされたのでしょうか?
村上虹郎さんは、外山監督の『春なれや』にも出演されていて、われわれも岩松了さんの『シブヤから遠く離れて』(2016年)という舞台で共演しているんです。なので、役者としての彼の魅力と技量をすごく信頼していて、満場一致で翔太は村上さんにオファーしようとすぐに決まりました。そして、村上さんにお話に行ったら、すぐに一緒にやりましょうと。これは心強かった(笑)。
ヒロインに関しては、外山監督からも何人も候補者のお名前をもらって、自分達もいろんなひとの資料を集めたんですけど、やっぱりちゃんと探した方がいいと考えました。村上さんに対して合う合わないではなく、そのひとの持っているエネルギーを信じて決めた方がいい、ということでオーディションをしました。各事務所さんにご案内して、最終的に100人以上の方からお返事いただいて、全員にお会いしました。結果、芋生悠さんになりました。
タカラについては、監督に強いこだわりがありました。オーディションが終わったときに絶対に芋生さんでいきたいと。われわれは舞台の仕事ですでに芋生さんと出会っていたから、もちろん彼女の絶対的な存在感や魅力を知っていたけれど、監督の目にもそう映ったのだと思ったんです。映画ができあがって翔太とタカラが手を取り走り出したとき、村上虹郎と芋生悠にしか出せない躍動感を感じて、二人の俳優のキャスティングは間違いではなかったと心から思いました。現場でも二人がこの映画を引っ張ってくれているようなたくましさがあって。
脚本上は、この映画はタカラの物語になっていると思います。でも、翔太は脚本上もあまり細かく描かれていなくて、村上さんからは翔太をどうやったらいいんだろうかと相談されました。
私からは、「男優さんがかっこいいと感じる瞬間は、人の演技を受け止められる技量が見えたときだよ」と話した記憶があります。豊原さんは、「バンドで言ったらベーシスト」という表現をしたと聞いています。
現場はとても民主主義という感じだった
━━監督との関係におけるプロデューサーは、お金を集めてくる立場なので、権限も強いと思います。そのなかで監督との距離感やコミュニケーションには気を使われましたか?
今回は豊原さんが代表で、私はアソシエイト。もともとこの企画を立ち上げてくれた前田和紀共同プロデューサーがいて、他にもアシスタントプロデューサーなどがプロデューサー部にいたので、みんなで役割を分担できたところがあります。もちろん豊原さんがすべてを背負ってグングンと道を決めて、私なんかはそれに対してフォローすることぐらいしかできなかったと思いますが。
現場はとても民主主義という感じだったかな。冷静に判断する人もいれば、内側から見てる人の意見もあれば。意見が割れることはもちろんあって、でも最終的にはすべての意見を豊原さんがまとめて民主主義的に解決するって感じですね。
私たちは外山監督の才能を信じているけど、つくってる本人がいちばんそれを信じられなくなる瞬間があったと思います。自信がなくなるっていうか。長編を撮る機会なので、万人受けするようなことが正しいというような。
最初に上がってきた台本からはそう感じて、「いや、そうじゃないでしょ。それは誰にでもできることで、あなたにしかできないことをやらないともったいないよ」と。それはプロデューサーとしてだけでなく、先輩としても言えるところもあったかなと思います。
(後編に続く)