高畑勲さんは訴えた。戦争で死ぬのは「心やさしい現代の若者」。終戦の日、心に刻みたい言葉たち

憲法9条を守ること、「世間様」の目を気にして「空気を読む」社会に抗うこと…。終戦の日に、スタジオジブリの故・高畑勲監督が遺した言葉の数々を振り返りたい。
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映画「かぐや姫の物語」についてインタビューに応じる高畑勲監督(2015年2月12日)
ASSOCIATED PRESS

「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」「かぐや姫の物語」など数々の名作を手掛け、2018年に82歳で亡くなったアニメーション映画監督の高畑勲さん。戦時中の子ども時代には空襲を体験。著作や講演で、戦争放棄を謳う憲法への思いを訴え、戦争の惨禍を肌で感じたことのない若い世代に願いを託していた。

戦後75年の終戦の日に、高畑さんが残した言葉をたどる。

高畑勲(たかはた・いさお) 

1935年生まれ、三重県出身。東京大学仏文科を卒業後、1959年に東映動画(現在の東映アニメーション)へ入社。1985年、宮崎駿監督らと共に「スタジオジブリ」を設立。「火垂るの墓」(1988年)、「おもひでぽろぽろ」(1991年)、「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999年)などの脚本・監督を担当。2018年4月5日、肺がんのため82歳で死去。

高畑さんが2015年、岡山市内の戦没者追悼式・平和講演会で「人生で最大の出来事」と語ったのは、戦争末期の1945年6月29日未明の岡山空襲だ。(「君が戦争を欲しないならば」岩波書店)。高畑さんは当時9歳、国民学校4年生だった。空から大量に落ちてくる焼夷弾の火の雨から裸足のまま逃げ回り、死体で埋め尽くされた自宅までの焼け跡の道を歩いた。

 

「反戦映画」ではない

高畑さんの代表作の一つとして語り継がれる、野坂昭如原作の「火垂るの墓」。太平洋戦争末期、神戸の空襲で母親を失った兄と妹が、過酷な暮らしの中で必死に生きようとするも、悲劇の死を迎えるまでを描いた物語だ。「火垂るの墓」を監督するに当たって、高畑さんは宣材パンフの中で次のようにつづっている。

「私たちはアニメーションで、困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いて来た。しかし、現実には決して切りひらくことの出来ない状況がある。それは戦場と化した街や村であり、修羅と化す人の心である。そこで死ななければならないのは心やさしい現代の若者であり、私たちの半分である」

公開後、「反戦映画」のジャンルに括られたこの作品を、高畑さんは繰り返し「反戦映画ではないし、なり得ない」と主張していた。

「そういった(悲惨な)体験をいくら語ってみても、将来の戦争を防ぐためには大して役に立たないだろう、というのが私の考えです」

「戦争末期の負け戦の果てに、自分たちが受けた悲惨な体験を語っても、これから突入していくかもしれない戦争を防止することにはならないだろう、と私は思います。やはり、もっと学ばなければならないのは、そうなる前のこと、どうして戦争を始めてしまったのか、であり、どうしたら始めないで済むのか、そしていったん始まってしまったあと、為政者は、国民は、いったいどう振る舞ったのか、なのではないでしょうか」

被害者の視点で戦争の悲惨さを伝えることは真の「反戦」とは言えず、戦争を食い止める力にはならないのではないかーー。悲惨さを語る以上に、戦争を起こした過ちを見つめ直すことの重要性を説いていた。

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フランスの国際映画祭で名誉クリスタル賞を受賞した高畑勲監督(2014年6月10日)
AFP=時事

「歯止め」の憲法

高畑さんは、「私の『戦後70年談話』」(岩波書店)の中で、戦争放棄を謳う憲法9条や、戦後も基地の負担を押し付けられ続ける沖縄への思いも書き残している。

憲法9条 戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「国民は9条を支持し続け、そのおかげで、戦後70年間、日本国民は戦場に赴くことはなく、戦争で一人も殺さなかったし殺されなかった。これは世界に誇るべき歴史的事実である。しかし絶対に忘れてはならないのは、これが、日本国が一貫して米国に軍事基地を提供し、特に沖縄をまるごと米軍に差し出し続けたことによる見返りではなかったか、という疑いだ」

世間の目や「空気」に流され、集団にとって「異質なもの」を排除する日本社会に対し、鋭い眼差しを向けていた高畑さん。再び日本が戦争という過ちを繰り返すことへの危機感を持ち続けていた。

「集団主義をとってきた私たちは、残念ながら、歯止めがかからなくて、ずるずる行きやすい性質をもっているのです。若い人たちは違うと思いたいのですが、どうも全然変わっていないとしか思えません」