「男女の友情は成立する?」繰り返されるこの問いに、僕の“答え”を整理した

この問いの背景には、性別やセックスへの「強固な世界観」があるようです。それを分解してみると、この問いの前提がどうやら疑わしいことが見えてきます。

「男女の友情って成立すると思う?」

相手の人間関係についての考えを聞く、ありふれた問いです。多くの方が一度は聞かれたことがあるでしょう。あんまり何度も聞かれたので、嫌になったという方もいるでしょう。僕もつい最近、また聞かれました。

出たよ、出た出た。なんて答えよう。「成立する」と答えようかしら。実際に僕には異性の友人がいるし。世の中には性別を超えた友情なんていくらでもあるし。むしろ「成立しない」と答えること自体がほとんど無謀だろうしーーなどと思ったところで、僕は急に言葉に詰まりました。

というのも、この問いの背景には、いくつか「人間関係に関する前提」が含まれていると気が付き、うかつに答えられなくなってしまったのです。

つまり、「男女の友情って成立すると思う?」という問いは、実質的には「人間は男女に分けられて、男女はお互いに恋愛対象で、同性に比べたら恋愛感情や性欲が邪魔をするから友情を育みにくい。それでも友達になれる?」という問いではないかと思ったのです。

この何気ない問いは、いくつもの前提が合体した、強固な世界観を背景とする問いなのではないか。すると、問いに素直に答えることは、それらの前提と世界観を認めることになってしまうのではないか。

そう思うと、すぐに答えることはできません。僕は少しの間、この問いが持っているかもしれないいくつかの前提について考えました。

 

この問いが前提とするものを整理する

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fizkes via Getty Images

《「男女」に関するもの》

まず、「男女」という言葉の周辺について考えました。どうやら、「男女の友情は成立するか」という問いには、以下のような前提があるように思われます。

(1)人間は異性愛者である

(2)人間は他者について「誰が男で、誰が女か」を容易に決定できる

それぞれ考えてみましょう。

(1)について。

これは誤っていますね。恋愛におけるパートナーの組み合わせが、異性同士だとは限りませんし、性のあり方はグラデーション、かつ変動的です。

(2)について。

これも誤りであるように思います。前述の通り、性別はきっぱりと「男か/女か」ではなく、ある程度の幅を持ったグラデーションなのです。なので、人は他人の性別について、厳密には即決することができません。それどころか、自分の性別についてもそうなのです。

以上のように考えると、誰が同性で、誰が異性で、誰が誰の恋愛対象であるかは、いったん不透明なものとして保留されます。

一般的な政策やルールならいざ知らず、無条件に「男が」「女が」と、性別だけを主語にして、二者の閉じた関係性を考えることには、かなり無理があるように思います。

 

《「友情」と「恋愛感情」に関するもの》

次に、「友情」と「恋愛感情」の周辺について考えました。こちらについても、「男女の友情は成立するか」という問いには、以下のような前提があるように思われます。

(3)「友情」と「恋愛感情」を切り離し、区別できる

(4)異性愛者は異性とは友情を育みづらく、異性愛者は同性とは友情を育みやすい

(3)について。

実際の人間関係でも、映画や小説などのフィクションでも、仲のいいカップルは時に友人同士のようになります。恋人に対して、友情に近い、あるいは友情としか呼びようのない感情を抱くこともあるでしょう。すると、そもそも友情は恋愛に深く染み込んでいることになります。

逆に、友人に対して、恋愛でしかありえないような苛烈な嫉妬心や、愛憎や執着が表れてしまうこともあるでしょう。そう考えると、友情と恋愛感情は、どちらも親密さを表す形式としてそれなりに似ており、両立もするし、必ずしも区分できるものではないように思えます。

(4)について。

これは、必ずしもそうとは言えません。異性の方が話しやすいと考える人はそれなりにいます。性格や趣味など、個人の持つ具体的な条件によって交友関係は変化します。例えば僕は、キャラクターの「ぼのぼの」が大好きで、イベントにも行くほどです。自分の周りでは同じ趣味を持つ人は異性が多く、イベントに誰かを誘うなら異性になりがちです。

あるいは、同性同士の排他的・内輪的なノリが合わず、もう少し開放的で自由度の高いコミュニティの方が馴染みやすい、と考える人もいます。

以上のように考えるとき、「友情」と「恋愛感情」の区別は難しく、また相手の性別によって「友情の育みやすさ」が決まるわけでもありません。

「男女」についての問題と併せて考えるとき、もともとの問いが、「恋愛感情」を異性間に、「友情」を同性間に閉じ込める考えを前提としていたことが浮かび上がります。

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Tetiana Garkusha via Getty Images

《「セックス」について》

次に、「セックス」の周辺について考えました。「セックス」という言葉は、問いには単語として含まれていませんが、恐らく「セックス」はこの問いの重要な焦点であり、「男女」「友情」「恋愛感情」に関する価値観に関わっています。「男女の友情は成立するか」という問いは、セックスに関して以下の前提を持っているように思われます。

(5)セックスの有無が「友情」であるかどうかを決める際に重要であり、セックスがあったならばそれは「友情」ではない

もちろん、全くそうとは限りません。「セックスをしたことがある友達同士」というのは、世の中にごまんと存在します。過去にセックスをしたことがあるが友人である、というケースもあるでしょうし、現在進行形でセックスをしているものの友人としか呼びようのない関係である、というケースもあるでしょう。 

逆に、僕の知人に、全くセックスをしないまま交際し、結婚し、結婚後もセックスをしていないというカップルがいます。僕はそのカップルについて、「僕とは違うな」とは思いますが、だからといって「それは恋愛ではない」などとは思いません。

セックスの有無は、必ずしも人間関係の名前を書き換えてしまうわけではないのです。セックスは、人間関係を仕分けるための標識ではありません。セックスをしようがしまいが、友情は友情、恋愛は恋愛、“どちらでもないならどちらでもありません。

日本語では、「男女の仲」という言葉でセックスパートナーを示します。しかし、セックス以外の「男女の仲」も十分ありうるわけですし、セックスをしながらにして「男女」という枠組みとはあまり無関係な関係性もありうるわけです。

※補足

もちろん、たとえば交際相手が存在するとき、他の人間とセックスをすることが許されるのかという問題は、別問題として残ります。しかしそれは、当事者同士で決定すればいい「契約条項」の一種であって、一般的な観念として考えるとき、「その関係が友情か恋愛か」という問題と、「セックス」にはとりわけ関連がないように思うのです。

 

少しばかり沈黙を作ってしまった後で、僕はこう答えた。

ここまで述べてきた通り、「男女の友情は成立するか」という問いは、人間関係に関するいくつかの前提を持っており、しかもそれがどうやら疑わしいようです。すると、どう答えることもできないように思えます。

もう少し問題文を具体的に精査し、ポイントを絞った形に書き換え、「恋愛感情がなくてもセックスできる?」「セックスしても友達でいられる?」「友情だと思っていたものが恋愛になったりする?」などと聞いてくれたら考えやすいのですが。

以上のようにぐるぐると考え、少しばかり沈黙を作ってしまった後で、僕は口を開きました。

「男女の友情か。ええと、色々考えることがあったから、後でハフポストに書くね」

 

(編集・湊彬子