英国の欧州連合(EU)離脱を巡る昨年後半の騒ぎから、今年に入っての「新型コロナウイルス問題」へと、欧州での関心が目まぐるしく変化する中で、以前しきりに叫ばれた「テロの脅威」を最近、あまり耳にしない。
シリアからイラクにかけて一時広大な支配地を確保した過激派組織「イスラム国」が昨年事実上崩壊し、彼らが支援するテロリストの動きも沈静化したことで、大規模テロの恐れは遠のいたと思われている。実際、散発的な出来事ならともかく、2015年にフランスで相次いだ風刺週刊紙『シャルリー・エブド』襲撃事件やパリ同時多発テロのようなスペクタクルを準備する余力は、彼らに残っているようには思えない。
ただ、欧州でのイスラム過激派のネットワークはこれまでも10年、20年の単位で伸縮を繰り返しており、細々と続く水脈が将来息を吹き返さないとも限らない。その点で気を緩めてならないのは、欧州各国から「イスラム国」に渡航した若者たちの動向である。多くは戦闘やテロですでに命を落としたが、その一部はシリアやイラクで拘束され、帰国する機会をうかがっている。
人道的な見地から、欧州各国では彼らを受け入れるよう求める声が根強い。実際、彼らの大部分は「イスラム国」の現実に幻滅し、欧州社会への復帰を望んでいると考えられる。
ただ、安易な受け入れは、将来の大規模テロにつながる素地を培うことになりかねない。帰国させるか否か、それが極めて深刻な問題となっているケースは、かつて本欄『「イスラム国崩壊」で仏政府が困惑する「元過激派」の帰還』(2018年1月17日)でフランスを例に紹介した。
同様の問題を、多くの戦闘員やテロリストを出した英国も抱えている。その議論を再燃させる出来事が最近あった。英国での生活を捨てて「イスラム国」に走った女性、いわゆる「ジハードの花嫁」であるシャミマ・ベグムに対し、英裁判所が帰国への道を開いたのである。
「イスラム国」崩壊後にシリア国内で拘束され、英国への帰還を望んでいたベグムに対し、英当局は彼女の国籍を剥奪することで帰国を阻もうとした。しかし、英控訴院は7月16日、
「自らの立場を主張する機会を与えられないままに彼女が国籍を奪われるのは不当」
との判断を下し、彼女に裁判の機会を与えるよう求めたのだった。
女性過激派に勧誘された3人組
シャミマ・ベグムは1999年8月生まれであり、まだ20歳に過ぎない。しかし、その動向は英語圏のメディアを通じて広く伝わり、各国で高い関心を集めてきた。
バングラデシュ系の両親のもと英国で生まれ、ロンドン東部のベスナル=グリーンで育った。バングラデシュ系の巨大なコミュニティが広がる地域であり、イスラム教徒の割合も多い。日本だと中高生にあたる生徒を受け入れる男女共学の大規模校「ベスナル=グリーン・アカデミー(現マルベリー・アカデミー・ショアディッチ)」に通っていた。
どこにでもいる女生徒に過ぎなかったベグムは、15歳になって突然、ニュースの中心に躍り出た。2015年2月17日、同じ学校の友人であるアミラ・アバーズ、カディザ・スルタナとともに、「イスラム国」に出奔したのである。普段着の3人がロンドン・ガトウィック空港のゲートをくぐる写真は世界に配信され、「わずか15歳の少女が……」と衝撃を呼んだ。3人は、通っていた学校名から「ベスナル=グリーン3人組」と呼ばれた。自宅から宝飾類を持ち出して、イスタンブールまでの飛行機代を捻出したという。
彼女らは、グラスゴー出身で2013年に「イスラム国」入りした女性過激派アクサ・マフムードと連絡を取り合っていたと考えられ、このルートを通じて勧誘された可能性が高い。
「ベスナル=グリーン・アカデミー」からは、3人組の友人だったシャーミーナ・ベグムもその直前の2014年12月、やはり「イスラム国」に渡航しており、示し合わせていた可能性がある。
なお、本稿の主人公であるシャミマ・ベグムとシャーミーナ・ベグムとは、姓が同じだが姻戚関係はうかがえない。本稿で「ベグム」という際はシャミマのことである。
英国から「イスラム国」への若い女性の渡航はこの後も相次ぎ、英紙『インディペンデント』によると、2015年の1年間で56人に達したという。
3人組は「イスラム国」の首都ラッカに入った。しかし、取り巻く環境はこの頃から急速に厳しくなった。この年11月、「イスラム国」は130人の犠牲を出したパリ同時多発テロを起こし、各国勢力による激しい攻撃を受けるようになっていた。
3人組のうちの1人スルタナはソマリア系米国人男性と結婚したが、間もなく夫を戦闘で失った。早くから渡航を後悔し、家族に連絡を取って英国への帰国を望んだものの、オーストリア人の女性が逃亡を試みて撲殺されるのを目にして諦めたという。スルタナは2016年5月、空爆に遭って死亡した。まだ17歳だった。
アバーズは豪州出身の男と2016年7月に結婚したが、夫は間もなく空爆で死亡した。英紙『デイリー・メール』によると、アバーズの母親は周囲に「娘も2017年に空爆で死亡した」と語っており、英捜査当局も彼女が死亡したと考えているという。ただ、「イスラム国」最後の拠点となって昨年3月に陥落したシリア東部バグズにアバーズがいた、との情報をシャミマ・ベグムがその後耳にしており、真相は定かでない。
15歳で割り当てられた夫
そのベグムは長らく消息が不明だったが、戦争を生き延びたようである。昨年2月、クルド人勢力が管理するシリア北東部のアルハウル難民キャンプで、英紙『タイムズ』のインタビューに応じた。
これによると、彼女はラッカ到着後、「ジハード戦士」との結婚を待つ女性たちの施設に入れられた。夫として彼女に割り当てられたのは、オランダ東部アルンヘム出身のイスラム教改宗者ヤゴ・レディックだった。結婚は、ラッカ到着から10日しか経っていなかった。もっとも、この時彼女はまだ15歳であり、当然ながら英国だと正式な結婚とは認められない。
夫は以前、シリア北部コバニでの戦闘で負傷していたが、結婚後間もなくスパイとしての嫌疑をかけられ、半年あまりにわたって刑務所に拘束されて拷問を受けたという。何とか出所した後、2017年1月に2人はラッカを離れ、東部マヤディーン近くに移った。ベグムはそこで空爆を受け、軽いけがを負った。
「イスラム国」は敗色濃く、夫婦はさらにユーフラテス川を下り、南東のイラク国境方向に逃れた。それまでに長女と長男が生まれたが、長男は生後8カ月で原因不明の病気にかかって亡くなった。地元の病院に連れていったものの、薬もない状態だったという。 追い詰められた一家は、「イスラム国」最後の拠点となるバグズに逃げ込んだ。一家はそこで、1歳9カ月になった長女も病気で失った。ベグム自身は3人目の子どもを身ごもっていた。
バグズの「イスラム国」社会は、最後まで戦おうとする人々と、投降しようとする人々との間で割れていたという。3人目の子を何とか産もうと考えたベグムは、夫と別れてまだ暗いうちにバグズを逃れ、アルハウルのキャンプに収容された。インタビューを受けたのは、それから2週間後のことである。夫レディックとは以後、会っていないという。
「ここに来たことを後悔はしていない。ただ、ここにいると、生まれてくる子どもも他の2人のように死んでしまう。今は英国に戻りたいだけ」
と彼女は話したという。また、「イスラム国」については、
「虐待や腐敗が多すぎて、うまくいくとは思えなかった」
もっとも、「イスラム国」と距離を置くこうした発言は、保身のためである可能性も捨てきれない。ベグム自身は被害者としての立場を強調しているものの、実は積極的に過激な行為に加担していたのでは、との疑いも持たれている。
英紙『サンデー・テレグラフ』は、ベグムが「ヒスバ」と呼ばれる「イスラム国」の道徳警察に所属し、シャリア(イスラム法)違反の女性を取り締まっていた、と報じた。また、『インディペンデント』は不確かな情報としながらも、戦闘員に自爆ベストを縫い付けて脱げないようにする役割を彼女が担っていた、との証言を伝えている。
なお、夫のレディックはバグズで投降し、別の難民キャンプに収容された後、英『BBC』のインタビューに応じて、
「妻と子とともにオランダに戻りたい。自分がしたことには責任を持ち、処罰を受ける」
と述べた。ベグムが15歳の時に結婚したことについては、
「彼女の年齢を考えると結婚したいと思わなかったが、その申し出を受け入れた。それ以外に選択肢はなかった」
オランダ政府はその時点で、帰国したい元戦闘員に対して支援をするつもりはないことを表明していた。
帰国後に大規模テロを準備した実例も
『タイムズ』にベグムのインタビューが掲載されて1週間後、当時の英内相サジド・ジャヴィドは彼女の英国籍を剥奪すると表明した。これは、ベグムの無事を知って帰国への望みをつないだ家族や支援者にとって、大きな衝撃だった。
ベグムは形式上、英国とバングラデシュ双方の国籍を持っている。バングラデシュの国籍法は基本的に血統主義を取り、自国民の母から生まれた子に対して自動的に国籍を与えるからである。これが、英国側の対応の根拠として使われた。
英国籍法は、国民の利益にかなうと内相が判断した場合に国籍を剥奪できると定めているが、その結果無国籍とならないことを条件として課しているのである。ベグムの場合、英国籍を奪っても、バングラデシュ国籍が残るではないか。この措置について、ジャヴィドは「国民の安全確保が最優先される」と説明した。
しかし、ベグムはバングラデシュに一度も行ったことがなく、その旅券も持っていない。人道上問題がある対応で、議論を巻き起こした。英野党議員の一部は「ベグムの英国入国を認めるべきだ」と主張した。
バングラデシュ政府も、ベグムの受け入れを当然ながら拒否した。外相のアブドゥル・モメンは英『ITVニュース』の取材に応じ、
「彼女は我が国と何の関係もない。(入国して)もしテロに関わったと判明すれば、答えは1つしかない。死刑だ」
と脅した。
英国の対応には、やっかいな人物を他国に押しつけようとする姿勢がありありだった。責任逃れと取られても仕方ない。一方で、治安への懸念を軽視するわけにもいかなかった。英国に戻ったベグムは、改悛したと装いつつ、大規模テロをひそかに準備するのではないか——。
そうした恐れは、欧州のイスラム過激派の間で伝説として語られる女性マリカ・エル=アルードの軌跡に凝縮されている。
彼女はモロッコ生まれだが、幼少の頃からベルギーで育って国籍を取得した。ブリュッセル近郊の過激派モスク「サントル・イスラミック・ベルジュ(ベルギー・イスラムセンター)」に出入りして過激思想に染まり、そこで紹介されたチュニジア人の夫とともに、アフガニスタンでアルカイダが運営する訓練キャンプに滞在した。夫が2001年、アフガン「北部同盟」の指導者アハマド・シャー・マスード暗殺というテロを成功させて死亡したことによって、彼女は「殉教者の妻」としての称賛をアルカイダ内で一手に受けた。その後、米軍の空爆にさらされたアフガニスタンを脱出し、支援者に支えられてベルギー帰還を果たした。
彼女は「戦乱の被害を逃れた可哀想な女性」としてのイメージを利用しつつ、イスラム過激派への勧誘を続け、活動を鼓舞する自伝『光の戦士たち』を2004年に刊行した。
この本は、『シャルリー・エブド』襲撃事件の実行犯らに大きな影響を与えることになった。
また、マリカの流れをくむ人物によってベルギーで過激派に勧誘されたのが、パリ同時多発テロの首謀者であるアブデルアミド・アバウドである。つまり、2015年にフランスで相次いだ大規模テロを、長年にわたって準備してきた1人が、このマリカ・エル=アルードなのだった。
マリカの努力がテロの形で実を結んだのは、彼女がベルギーに戻ってから10年以上経ってのことである。彼らは、欧米社会が警戒を緩めるまでなりを潜めつつ、時の到来をじっと待ち続ける。つまり、テロリストはそのような時間軸で行動しているのであり、それに対する備えも10年、20年の単位で臨む必要がある。
ベグムが「第2のマリカ」とならないか。将来の人々の安全な暮らしを守ろうとすると、警戒してもしすぎることはないだろう。
過激派やテロ組織への対応は、治安と人権、現実と理想のバランスが問われる面倒な営みである。どこに落としどころを設けるか、どの国も悩み、試行錯誤を繰り返している。ベグムのケースは、その最も困難な例となっていた。
正解を見つけにくい問題
国籍剥奪表明から間もない昨年3月、ベグムの次男が難民キャンプで死亡した。肺炎を患ったという。彼女は結局、子ども3人をすべて失ったことになる。英野党労働党の「影の内相」だったダイアン・アボットは、
「英国女性が国籍を奪われたがゆえに、赤ちゃんは死亡した。冷淡で非人道的だ」
とツイートし、政府の対応を批判した。
ベグムが望みをつないだのは、司法だった。彼女は昨年4月、訴訟が困難な人々を支援する制度の利用を認められ、英国籍を取り戻すための裁判を起こした。その結果が、今月出された控訴院の判断である。国籍剥奪に対する自らの立場を訴えるために帰国する権利を、法廷はベグムに対して認めたのだった。つまり、それまでは国籍を奪われない、ということである。
ただ、政府は上訴の方針を決めており、最終的な判断は最高裁に委ねられる。覆る可能性が高いわけではないが、かといって実際に彼女が早々に帰国できるわけでもない。英政府が彼女に対して旅券を発行するとは考えにくく、ましてや帰国を支援することなどあり得ないからである。
彼女はしばらく、このまま難民キャンプで暮らすしかないだろう。あるいは、何らかの形で逃げ出して、他の地域で活路を見いだすか。
いずれにせよ、そのような形で彼女を現地にとどめてますます追い込むか。それとも英国に帰国させるか。長期的に見てどちらが英国にとって安全なのかも、考える必要がある。「イスラム国」の残党の帰還は、かくも面倒で、正解を見つけにくい問題なのである。
国末憲人 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長を経て、現在は朝日新聞ヨーロッパ総局長。著書に『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)など多数。新著に『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)がある。
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(2020年7月30日フォーサイトより転載)