“普通”の家族とは
“普通”の家族をやっていくはずだった。
父と母、私の下に3人の兄弟がいる6人家族は、人数こそ少し多いものの、模範的な家族だったと思っていた。今思えば、何を参照して「模範的」だと思ったのかもわからないけれど、自分の家庭こそが“普通”で、私も“普通”の家族をつくっていくものだと思っていた。
高校を卒業するまで同じ学校に友達らしい友達ができずにいじめられていた私に、母は、「たくさん勉強して、いい学校に入って、いい職場に入って、あの子たちを見返してやろう」と発破をかけてくれた。そのおかげで、私は腐りながらも引きこもることなく学校に通えて、希望の学校に進学して、安定した会社に就職できた。努力は決して裏切らないという自信が私の背骨になった。
しかし、入社してから半年で体調を崩し、休職してしまった。当時交際していて結婚したいと思っていた人ともお別れすることになり、復職の目途も立たず、会社を辞めることにした。
たくさん勉強して、いい学校に入って、いい職場に入っても報われないこともあるんだと思った。思い描いていた人生から大きく逸れてしまい、早くも人生の「敗者」になった気分だった。
思い描いていた「正規ルート」の崩壊
会社を辞めてからは実家に帰るつもりで家を引き払ったものの、何となく名残惜しくて知人を頼りながら東京に居残ることにした私は、更なる価値観の瓦解を経験することになる。
家なし生活中は本当に色々な人に出会った。
婚姻届を翌朝提出しに行くが実はまだ腹が決まっていなくて不安だという人、奥さんと同じくらい不倫相手のことが好きだという人、大好きな恋人ひとりのほかにもたくさんの恋人がいる人などなど、私が思い描いていた「好きな人ひとりと付き合って結婚して子どもを産む」という「正規ルート」は、その人たちにとっては、とっくに崩壊しているように思えた。
頑強だと思っていた結婚・家族観が瓦解して、壁の割れ目から垣間見える景色は人生のボーナスステージのようでワクワクしたけれど、私はだんだんと自分ごととして、自分の深層に潜っていくことになる。
“普通”ではない家族を「つくって」いる人との出会い
きっかけは、人生で一番好きな人ができたことだった。
その人は表現で生計を立てている人で、会社を辞めたばかりで家も職もなく、今以上に何者でもなかった私にとって目が潰れそうに眩しかった。その人とはまもなく良い仲になったけれど、とてもでないけれど「交際」や「結婚」ができるようなタイプではなかった。
それでも、「この人と人生を交差させるにはどうしたらいいのだろう」と、当時25歳だった私は真剣に考えてしまったのだった。そして、その答えを探すように、私は“普通”ではない家族の実践者たちに話を聞くようになり、ハフポストの特集「家族のかたち」にも何度も記事を執筆した。
そして、そんな現代の家族たちの実践と、私自身の葛藤や気持ちの変遷が1冊の本『愛と家族を探して』(亜紀書房)になった。
法律婚ではない契約を取り交わして結婚生活を送る夫婦。
恋愛関係にはないが、同性パートナーシップ制度を利用して「家族」になることを検討中の女性ふたり。
「家族が欲しい」と精子バンクを利用して子どもを産んだXジェンダー(性自認が女性/男性ではない人。中性、無性、両性など多様)の当事者。
母の呼びかけで集まった多くの人たちによる「共同保育」で育った子ども。
植物と猫にしか親しみを覚えない男性を好きになった女性。
彼らの生き方は、私にとって真っ暗闇に開いた小さな穴から降り注ぐ光のようだった。すべてを真似できるわけではないけれど、今の生き方が合わないと感じたらこういう抜け道もあるのだと思わせてくれた。
既存の結婚・家族観が内包する「お仕着せの正規ルート」の合わない部分を分解して、組み立て直して、自分に合った生き方を「つくって」いけることに、私は生きる希望をもらったのだった。
今、選択的夫婦別姓や同性愛者の婚姻の自由をめぐる議論も生まれている。
また、新型コロナウイルスの影響で、これまでの家族のかたちを問い直すような声も聞こえてくるようになった。
愛と家族のかたちに正解なんてないことは、今となっては自明だ。
だからこそ、絶対に救われる本だとは言えない。
それでも、今の生活に何となくモヤモヤしている人や、これまでの暮らしが立ち行かなくなった人、かつての私がそうだったように右も左もわからずに立ち尽くしている人の足元をそっと照らせるものになっていたらうれしい。
『愛と家族を探して』(亜紀書房)
(編集:笹川かおり)