新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ外出自粛要請を受けて、世界に誇る新宿二丁目(二丁目)はいま、まさに深刻な危機に瀕しています。
東西約300m、南北約350mという区画の中にある小さな街。だけど、LGBTQ・アライのコミュニティにとっては、とても大きな存在である街です。
「自分にできることが何かないか、この街のために」
いま、誰も想像さえしていなかった事態に対して、もがきながらも、手を取り合い、抗おうとしている二丁目の人たちがいます。
その真摯な思いに触れ、ゲイの私自身もできることをやりたいと、記事を書くことに決めました。なぜなら、私がこうして、私らしく毎日を過ごせているのは、新宿二丁目という街が存在したから。新宿二丁目が救ってくれたから。
私だけでなく、本当にたくさんの人が、それぞれ経験してきた道のりは違えど、振り返れば、同じ気持ちなのではないかと思います。
きっかけの一つとなればと願い、「#SAVEthe2CHOME」を掲げ、奔走する方々の二丁目への思いや署名のアクション(※5月10日に終了)を共有したいと思います。仲間が一人でも多く増え、次のアクションに繋がることを祈って。
新型コロナウイルスと新宿二丁目
緊急事態宣言が出て、1カ月が経とうとしています。4日には、5月末までの延期が発表されました。
私自身は、本来なら、東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて、LGBTQに関する期間限定の情報発信施設「プライドハウス東京 2020」を、いろいろな団体・個人・企業・大使館のみなさんとともに、新宿三丁目の商業施設の1階にオープンしているはずでした。オープンは来年に延期となり、3月は各所との調整の嵐でした。
いま、私の手元にあるiPhoneは、一日中、何度も、ブルブルと不安に鳴り続けます。4月中旬から参加している、LINEグループ「#SAVEthe2CHOME」の通知です。
新宿二丁目に400軒以上あると言われる、ゲイバーやレズビアンバー、トランスジェンダーの方が営業するバー、その他飲食店などの殆どが、現在休業しています。日々の売上が家賃や人件費となるため、すでに閉店を決めた店もあります。
4月1日に、マスターやママたちの有志が集まり、コロナ自粛を乗り切るために結成されたLINEグループには、現時点で約230人が参加。資金繰り、助成金・補助金、オンライン営業などについての様々な情報が、頻繁に交換されています。
普段は、ある意味、商売上のライバルかもしれない関係を超えて、それぞれのお店はもちろん、街自体を存続させるために、励まし合い協力し合う場となっています。
松中ゴン、ママになる
そもそも、ゲイの活動家の私が、なぜ、「#SAVEthe2CHOME」に参加しているのか。実は、4月から、私も新宿二丁目にてお店を始める予定だったのです。
きっかけは、1月末。1973年から二丁目の新千鳥街という一角で営業するバー「洋チャンち」のマスターで、二丁目最長老と言われた洋ちゃんが、82歳で亡くなられた訃報でした。
ちょうど、LGBTQヒストリーを考えるプロジェクトを「プライドハウス東京」が進めていて、50年近く続いたゲイバーに興味を持ったこと。たまたま、担当の不動産屋が、LGBTQフレンドリーなシェアハウス「カラフルハウス2」を協働で運営していたフタミ商事だったこと。二つの偶然が重なり、「洋チャンち」の掃除と片付けのお手伝いをすることになったのです。
「洋チャンち」は、二丁目の仲通りからバラエティショップ「ルミエール」の横の道を入ってすぐ。新千鳥街の入り口。路地に面した1階に、極太の黒文字で「洋チャンち」と書かれた黄色い照明看板がかかっていて、誰でもすぐに見つけられます。
お店の前には、たくさん積まれた、洋ちゃんへの献花やお菓子、缶ビールやカップ酒など。それらを丁寧に集めてから、古めかしいアルミの扉を開けて中へ。
そこは2.5坪ほどの広さ、というか狭さ。入ってすぐ目の前に、ギュウギュウに詰めても座れて6人というカウンター。もう、それしかありません。「THE・昭和」という雰囲気です。
「日本一 小さなBAR」と書かれた看板を背に写る洋ちゃんの大きな写真をはじめ、両サイドの壁一面に、お客様だったであろう方々の写真が、無造作に所狭しと画鋲でとめられています。西田敏行さんやデヴィ夫人、美川憲一さんなど、たくさんの著名人の姿も。
ふと振り返ると、入り口のドア横の壁に、見覚えのあるチラシ。それは、映画『メゾン・ド・ヒミコ』のものでした。2005年に公開された邦画で、オダギリジョーと柴咲コウが主演で、ゲイのための老人ホームを描いたものでした。
「それ、おじさんが出てた映画なんですよ。結構、大切にしていたみたいで」
遺品整理にいらしていた甥っ子さんが教えてくれました。壁から外したチラシの裏にも、確かに洋ちゃんの名前が書いてあります。
今年10周年を迎えたNPOグッド・エイジング・エールズの原点は、実は、当時テレビで再放映されていた『メゾン・ド・ヒミコ』。楽観的な夢物語、悲観的な将来像、どちらとでも捉えられる内容に触発されて、自分たちの理想の暮らしかた、働きかた、歳の重ねかたを考え、形にしてみよう、と立ち上げた団体だったのです。
いろんな気持ちが、ぐるぐると代わる代わる頭をもたげました。
不思議なご縁の糸を引き当てたような、嬉しい気持ち。
NPOにとって大切な作品に出演した方に会えなかった、悔しい気持ち。
そんな自分への呆れや、恥ずかしさにも似た気持ち。
50年近く続いたお店と、繰り広げられてきた数えきれない人間模様や物語が、あっさりと幕を下ろしていくことへの、儚い気持ち。
そして、いつもながらの謎の使命感。
悶々としても仕方ないでしょう。やるしかないでしょう。
ひと通りの掃除を終え、ゴミ袋を店の外に運び出し、荷物も積み終えて、そろそろ解散というところで、甥っ子さんとフタミ商事の二村さんに伝えました。
「『洋チャンち』を、名前ごと引き継がせてください」
誰がどうやって営業するのかも決めないまま、まさに勢いでした。
その後、性社会文化研究者の三橋順子さんに相談して、お店やご自宅に遺った写真や資料などを、ご遺族の許可のもと整理していただいたり、同じ新千鳥街で「オカマルト」というカフェを営むドラァグクイーンのマーガレットさんに、歴史を残すためのお話を伺ったりしました。
古くなった和式トイレを取り替える工事をしたり、雨漏りの壁を直したり、契約のために役所や銀行を行き来したり、バタバタしているうちに、コロナ禍に突入したわけです。
二丁目を救おうとする人々
4月7日、緊急事態宣言。「日本一 小さなBAR」をうたうお店は、「日本一 3密BAR」となり、何の選択肢もなく、再オープンする前に休業に入りました。
私は、NPOの仕事には向き合いながらも、「洋チャンち」のことは、思考停止。通帳を開いて、このまま営業せずに、何カ月間、家賃を払い続けられるかを淡々と計算する日々でした。
「電気や水道の名義替え手続き、大丈夫でした?」と、気遣いのメッセージをくれた二村さんにも、「4月中、営業もできないのに、どうしましょうかね?」と半ば逆ギレで返事をしてしまったり……。正直、しばらく抜け殻でした。
すると1週間後、二村さんからメールが届きました。
「大家さんが家賃を減額してくださるので、ハンコを持って、二丁目の事務所にいらしてください」
フタミ商事は、二村さんのお祖父さんの代から続く、新宿二丁目の不動産屋で、アパートやマンションだけでなく、200軒以上のゲイバーなどを扱っています。
「このままだと、多くの店が潰れて、二丁目が無くなってしまう。相談の問い合わせも増えていたんです。先週、担当している全家主さん100名ほどに手紙を出したら、今日時点で約50人から反応がありました。約180軒の店舗が、5〜7月の3カ月程度は、家賃を値下げしてもらえそうです! 『洋チャンち』もオッケーでした!」
いつもの笑顔を見せながらも、目の下に明らかに巨大なクマを抱える二村さん。その体調を心配すると、近況を話してくれました。
「いやあ、ここ数日、全然寝てなくて。あはははは。少しでも、この街のために自分にできることが何かないか、考えたんですよね。ゴミ捨ての行儀が悪い店も多いし、朝まで騒いでいる人たちもいる。でも、やっぱり、二丁目好きなんですよ」
「みなさん、本当に自分らしいっていうか。元気をもらえるんです。街で暮らす人や働く人に対しても、優しくてあったかい。不動産屋の自分にできることは、これくらいのことしかないけど、ダメ元で大家さんに相談してみたら、意外と皆さん協力的でした。一部からは『余計なことしやがって!』と怒られちゃいましたけどね」
抜け殻状態だった両頬に、パンパンパンッと往復ビンタを喰らった感覚でした。目を覚ましなさい、と。
『洋チャンち』を引き継ぎたいと決めたのは、大好きな街を、この街の歴史を残したい、というシンプルな気持ちだったことを思い出しました。
家賃減額にご協力いただいた大家さん、そして、私自身に勇気をくださった二村さんに、心から感謝です。
#SAVEthe2CHOME を呼びかける名物マスター
4月30日。注文していた業務用冷蔵庫とエアコンが届くため、朝から『洋チャンち』に行きました。久しぶりの新宿二丁目は、抜けるような青空で、夜通しの酔っ払いが居ないせいか、心なしか空気も澄んでいます。
ちょうど、新宿二丁目振興会の代表トシさんこと、玉城利さんも、用事で二丁目にいらっしゃるとのことで、少しだけお話を伺いました。
「もう、どの店も本当に大変だよ。すでに閉店を決めたという話も、何軒か来てるし。オンライン営業などを始めてる店もあるけど、家賃補填というより、お客様との関係を繋いだり、ボランティアでおうち時間を楽しんでもらったり。しかも、ほんの一部。マスターやママも高齢化が進んでるしね。これは本気でヤバイよ」
二丁目で『Base』というお店を開いて23年目のトシさんは、沖縄出身の濃い顔で体格もよく、イカついおじさんかもしれませんが、クマのプーさんのように優しくて、二丁目でも本当に慕われている名物マスターのひとり。一昨年、体調を崩されてお店をお休みされていましたが、いまは復活して「#SAVEthe2CHOME」の呼びかけ人の中心的人物です。
トシさんに、「LINEグループでの投稿ひとつひとつに、明るく丁寧に返信しくださっていて、本当に、元気と勇気をもらってます」と伝えました。
「自分たちで、前向いて動くしかないじゃない? 明日は、新宿区議でトランスジェンダーの依田かれんさんが、無償で相談会をやってくれるのよ。ほら、あの人、行政書士でしょ。二丁目への恩返しって。そんな嬉しい動きがあるかと思えば、店ママの若い連中の一部なんて、“こういう時のための振興会なのに、何もしてくれないんですね”なんて言うわけ」
「普段は振興会の手伝い、何ひとつやってくれないのにあったまきちゃってさ。でも、やってやろうじゃないの。彼らも含めて、みんな本当に人生苦労して来てるし、特にクローゼットのお客様たちが、この街があることで人としてのバランスを保てていること、みんな分かってるんだよね。自分たちの街は自分たちで救うからね」
私は伏見憲明さんの著書『新宿二丁目』の話を思い出していました。1964年の東京五輪の2カ月前に、当時の人気ゲイバー「蘭屋」のマスター前田光安さんの呼びかけで、組合「東京睦友会」がつくられたのです。
大会を前に、いわゆる“浄化運動”の動きもあり、二丁目に対する様々な嫌がらせや圧力から、街を守るために店同士が団結する動きだったとか。2020年、同じ大会を前に、新型コロナの影響下の街を救おうと立ち上がった人たちと、時を越えて連帯のバトンがつながったような気がしました。
二丁目はお客さんと働く人たちの“居場所”
新宿二丁目で、女性限定の鉄板焼き屋「どろぶね」や、誰でもウェルカムな足湯カフェ「どん浴」を経営する長村さと子さんは、いち早くオンラインバー営業やチケット販売に挑戦したひとり。新宿三丁目にあるブリトー屋さんは、私が友人と運営にかかわるSDGsをテーマにしたカフェ&バー「新宿ダイアログ」のお隣さんでもあります。近況を聞きました。
「3月末に全てのお店を閉めてから、ずっとお休みしています。事前予約制のランチのテイクアウトもトライしましたけど、どうなるかわからない中で不安を抱えるよりは、一旦休業にして、スタッフ含めて色々と考える時間も持てたらいいなと。お財布事情は火の車ですけど。でも、絶対に居場所はなくしちゃいけない」
「お店にいると、みんな日々あった些細な嬉しいこと、悲しいことを報告しに来てくれて。二丁目を介したコミュニティって、いっしょに歳をとる、いっしょに生きてる、そんな実感を持てるつながりなんですね」
「LGBTブームといわれますが、本当の家族からの理解が得られてなくて、縁を切られて孤独なひとがたくさんいるのも現実。スタッフの誕生日をお祝いした日は、多くの方がオンラインで参加してくれて。働く人にとってもお客さんにとっても安心できる、大切な居場所なんです」
「#SAVEthe2CHOME」の動きを、レズビアンコミュニティの一員としてどう見ているのか。尋ねてみました。
「二丁目はゲイの方たちの存在感が強くて、なかなか接点も少なく距離があったりします。でも、今回のLINEグループには、レズビアンのお店も含めて色々なお店の経営者が世代も超えて参加していて、コロナがきっかけで大変な状況ですけど、やっぱり嬉しいです。同じ街にいるわけだし、一緒にできることを見つけたい」
「オンラインで色々やってみて感じているのは、意外にも、東京以外の方が応援してくれるということ。『いつか遊びに行きたいと思ってます!』とメッセージ付きでチケットを買ってくださったり。若い世代の二丁目離れは感じますが、二丁目という存在を必要としてくれる人は、まだまだたくさんいます」
なぜ二丁目が無くなってほしくないのか
二丁目の新米ママ、というか、見習いにもなっていない私が、二丁目に対してできることって、なんだろう。
それは、二丁目と出会い、二丁目での繋がりや出来事を通して、今こうして存在していられる、ひとりのゲイの当事者としての気持ちを届けること。それをきっかけに、別の誰かが、自分と二丁目の物語を思い出したり、大切な人に思いを馳せたりするような、輪を広げていくことに尽きるのではないかと思っています。
SNSが普及しようとも、二丁目はいまもなお、LGBTQの当事者にとっての居場所のひとつであり、二丁目が奪われることは、大きな居場所を失うということ。
自分がひいきにしているお店だけが残るのではなく、多様な人を受け止められる、多様なお店が400軒近く揃っていてこそ二丁目なのだと。危機的状況の今だからこそ、その存在意義、存続意義を伝えていくことが大切だと思っています。
新宿二丁目を「私たち」が救いたい
大学4年生の終わり、たった一人で緊張しながら足を踏み入れた新宿二丁目。人生で初めて、嘘偽りなく好きなタイプを伝えて共感されたときは、自然に涙があふれました(後編)。あのときのことは今でもはっきりと思い出せます。
NPO活動を通して、ゲイ以外のレズビアン、トランスジェンダーの人たち、最近ではアライの人たち、飲み屋やクラブという単位ではない主体との関わりも増えました。
街自体がコミュニティに近い存在へと感じ方も変わってきました。私にとってのホームのような、関わるひとたちが、ゆるやかに「私たち」としてつながっている感覚です。
一朝一夕でできる街ではありません。
その時代を生きた、様々な人たちの思いが繋がり、多くの人たちを救い、形を変えながらも、いまの二丁目として存在しています。
一人ひとりの二丁目との接点や物語は、それぞれ違います。LGBTQ・アライと括ることがベストだとも思っていません。それでも、新宿二丁目が、いま助けを求めているなら、救えるのは「私たち」しかいないのです。
大変な今こそ、二丁目に恩返しを
長くなりましたが、ここからは具体的なお願いとなります。二丁目を救うために、「私たち」にできることを、有志の仲間たちが立ち上げています。
ひとつは、「#SAVEthe2CHOME」の動きを後押しすることです。
新宿二丁目振興会のトシさんたちが、新宿区長あてに「新型コロナ感染拡大防止のために営業を自粛・休業する飲食店などの事業者に対する補填を求める」嘆願書を提出することを目指し、店舗経営者からの署名を集めています。
同様のオンライン署名が、change.orgにてスタートしました(※5月10日に終了)。ぜひ、サインをお願いします。
もうひとつは、具体的に「#SAVEthe2CHOME」することです。
オンライン営業やオンラインチケット販売、クラウドファンディングを立ち上げているお店もあります。少額であっても、お店との繋がりやエールを伝え届ける良い手段です。
また個店が生き残るだけでなく、街そのものをいかに存続させていくかが重要です。こちらは、有志の人たちと仕組みを検討しています。
「私たち」とは誰か? それを定義したいわけではありません。ご自身が「私たち」のひとりだ、と思う人に届いて欲しいなと思っています。
二丁目は「私たち」という傘が嫌いな人も、ゆるやかに受け止める街でもあります。自分にとって大切な人を辿ると、必ず、誰かは二丁目とつながっています。
できるだけ多くの方に届けられるように、ぜひ思いをシェアしていただけると嬉しいです。あなたが、もし「新宿二丁目が救ってくれた」と思われたことがあるなら、ぜひ、小さなエピソードも添えて。
今年の夏なのか、冬なのか、来年なのか。新宿二丁目で、再オープンした『洋チャンち』にて、お会いできる日を願っています。どうぞ、よろしくお願いします。
【編集追記】(2020/05/11 13:40)
#SAVEthe2CHOMEを呼びかけている新宿二丁目振興会は5月8日、新宿二丁目のお店や企業の経営者や従業員らの署名754名分と要望書を新宿区役所に提出した。change.orgの署名キャンペーンは5月10日に終了。今後、2738名の署名を新宿区に提出する予定だという。
》後編:新宿二丁目が、孤独な大学生の私を救ってくれた。 #SAVEthe2CHOME を願う、あるゲイの人生
(文:松中権 編集:笹川かおり)