もしパートナーが感染したら… 新型コロナ、ゲイの私がいま向き合う「プライド」

新型コロナによる被害が広がる今、自分にとっての「プライド」とは何だろう。ゲイの当事者の一人として、感じていることを書き記したい。
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「ウイルスは誰でも平等に扱うというでまかせは否定しなくてはなりません。低所得者ほど感染する危険が高く、これは公衆衛生の問題であると同時に社会福祉の問題です」

BBCの報道番組でエミリー・メイトリス記者が述べたこの言葉に大きな注目が集まった。

命の危機、経済的な困難、メンタルヘルスの悪化など、新型コロナウイルス感染症による影響は広範囲にわたっている。

しかし、感染リスクや苦しみは平等ではなく、より経済的に厳しい状況に置かれる人たちや、社会の端に追いやられている人の方がダメージを受けやすい。LGBTQもその一つだ。

LGBTQの祭典「東京レインボープライド」も、この新型コロナの影響で一度は中止判断がくだされたが、「オンライン」で開催されることが決まった。

「プライド」は、もともと”暴動”を発端にLGBTQの平等な権利や存在の可視化を求めるデモとしてスタートし、現在ではレインボーに彩られた華やかなパレードの形で世界中に広がっている。

新型コロナによる被害が広がる今、自分にとっての「プライド」とは何だろう。ゲイの当事者の一人として、感じていることを書き記したい。

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初めてボランティアスタッフとして関わった「TOKYO RAINBOW PRIDE 2016」ステージのラスト。
Soshi Matsuoka

同性パートナーとの生活

私には生活を共にする同性のパートナーがいる。彼は介護の仕事に携わっているため、この状況でも外出自粛はできず通常通り出勤している。

高齢の利用者への感染は命のリスクに繋がってしまう。一緒に住んでいる私も、もし自分が感染してパートナーを介して施設の利用者に感染を広げてしまったらと、細心の注意を払っている。 

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残り少なくなってきたマスク
Soshi Matsuoka

私が感染を恐れるのには、もう一つ理由がある。それは、パートナーが職場でカミングアウトをしていないため、もし自分が感染した場合、パートナーは職場にどう説明すれば良いか、難しさと不安があるからだ。

彼は職場で、同僚や利用者からLGBTQに対する偏見や侮蔑的な言葉をよく耳にするという。もし私が感染した場合、パートナーは濃厚接触者として職場を休むことになると思うが、もしセクシュアリティがバレてしまった場合、これまで通り働き続けることができるのか。

 

万が一の際の不安

実際に、同性パートナーが感染の疑いで緊急搬送された際に、パートナーは「法律上の家族ではない」として移送先の病院を教えてもらえなかった事例が報道されている。

もし自分のパートナーが感染し、最悪の事態になってしまった場合、どうなるのか。病院で家族として扱われるのか。

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TRP2017でパートナーと撮った写真
Soshi Matsuoka

志村けんさんが亡くなったニュースに、多くの人が衝撃を受けた。遺族は感染防止のため、ご遺体の顔を見ることも火葬に立ち会うこともできなかったという。

結婚記念日に「ダイヤモンドプリンセス」に乗船し、夫を感染によって亡くした女性の記事でも、ICUのガラス越しに手を合わせたのが最期、亡骸はすぐに透明な袋に包まれ運ばれていった、という言葉に胸が詰まった。

大切な人の最期に立ち会えない。万が一のときに家族として扱われない。

50年近く生活を共にした同性パートナーの死後、ふたりで築いたはずの遺産を相続できず、火葬にも立ち会えず、葬儀でも一般参列者として扱われてしまった当事者がいる。遺族を訴えるも、大阪地裁は原告の請求が棄却する判決を下した

これは、私たちのような同性カップルにとって、新型コロナウイルスの感染が拡大する以前から立ちはだかる大きな壁だ。そしてその不安はより一層高まっている。

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新型コロナウイルス感染が広がる前、パートナーと長崎に旅行した時の写真。
Soshi Matsuoka

 

LGBTQが直面する困難

同性婚の法制化を求める「Marriage For All Japan」や、LGBT関連団体の連合体「LGBT法連合会」などが実施した新型コロナウイルス感染拡大のLGBTに対する影響についてのアンケート調査でも、同様の声が寄せられている。

さらに、LGBT関連の支援団体や身近な友人たちからも、さまざまな困難や不安の声が上がっている。

例えば、トランスジェンダーの当事者の中には、ホルモン治療のための通院ができなくなることに不安を抱える人、非正規雇用で解雇されてしまった人、予定していた性別適合手術が延期になった人、収入が著しく減り、手術のために貯めていたお金を切り崩して生活している人などがいる。

LGBTの中でも特にトランスジェンダーと就労に関する問題は深刻であり、今回のコロナ禍での被害は大きい。

2019年のLGBTの就労に関する調査では、トランスジェンダーの15%が「仕事をしていない」と回答、LGBTではない人の約4倍だった。非正規雇用の割合も高く、特に出生時が女性のトランスジェンダーのうち、半数近くが年収200万円以下と回答している。

 

病院に行けない。家が安全ではない

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Soshi Matsuoka

HIV陽性者にとっても、見えない壁が立ちはだかっている。

HIV陽性者の主にゲイやバイセクシュアル男性からは、「処方箋をうけるために通院が必要だが、基礎疾患があるため、感染した場合のリスクを考えると病院に行きづらい」という声が上がっている。担当医は感染症が専門のため、多くは新型コロナウイルスの対応に回っているという。

また、外出自粛が求められているが、LGBTの当事者にとっては家の中が安全でないことも多い。

「親から日々、同性愛嫌悪の言葉に晒されているが、家にとどまるしかできなくてつらい」という声もある。救いだった当事者が集まる交流の場もこの状況下でなくなってしまい、家族からの嫌悪により傷つけられ、メンタルヘルスが悪化するLGBTの子どもや若者なども多く想定される。

外出自粛の影響で、世界的にDV被害が増加していることが報道されているが、LGBTのカップル間でもDVの問題はある。しかし、関係をカミングアウトしていないため助けを求めづらい、相談すること自体にハードルがあるなど、問題が顕在化されづらい側面もある。

このように、コロナ禍においてLGBTQが直面している深刻な課題は多岐にわたっている。

 

この状況下での「プライド」

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TOKYO RAINBOW PRIDE 2019で撮った写真
Soshi Matsuoka

この未曾有の状況下で決まった”オンライン”での「プライドパレード」の開催は、私にとって「プライド」とは何かを改めて考えさせられるタイミングとなった。

プライドパレードは、もともと1969年にアメリカ・ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」で、執拗な警察による嫌がらせに対して、同性愛者らが真っ向から抵抗した事件を記念し、開催されたマーチが発端だと言われている。

なぜ「プライド」なのか。

それまでLGBTQは「恥」な存在として抑圧されてきた。このことへの反発から、自分たちの存在や、性のあり方を肯定する意味を込めて、「PRIDE(誇り)」という言葉が使われるようになった説がある。

現在の「プライド」は、華やかなレインボーに彩られ、LGBTの存在を祝福するようなパレードの形で世界中に広がっているが、もともとは「病気だ」「普通じゃない」と言われ、社会から排除されてきたLGBTの人たちが暴動を起こし、平等な権利や存在の受容を目指し、勝ち取ってきた歴史がある。

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『LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の闘い』(PRIDE叢書)
Soshi Matsuoka

この原点に立ち返ったとき、私たちはいま、「プライド」をどのように位置付けるのか。

PRIDEは、日本語では「誇り」と訳される。しかし、私はもう少し根底の、命や生活に繋がる言葉なのではないかと感じている。

プライドとは、その人がその人のままで生きられることを保障する「尊厳」に近い概念なのではないだろうか。

みんなが大変な状況なんだから「しょうがない」と切り捨てられることがないようにーー世の中の「普通」にあてはまるか、社会の「役に立つ」か、まさに「生産性」のようなもので命の優先順位が測られそうになったときに、「そうじゃない。命と金は天秤にかけられるものでもないし、命に優劣があるものでもない」と声を上げることが「プライド」ではないだろうか。

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2018年10月「LGBTは生産性がない」という杉田水脈議員の寄稿文を発端とした事件を受けて開催された「TOKYO LOVE PARADE」
Soshi Matsuoka

 

みんな「潜水しろ」と言われている状態

話はそれるが、新型コロナによる外出自粛の要請は、突然「潜水しろ」と言われている状態のようだと私は感じている。

全ての人が“水面下”にいて息がしづらくなっている状態だが、中には酸素がいっぱいの酸素ボンベを持っている人もいれば、少ししか酸素が入っていない人もいる。シュノーケルでなんとか酸素を吸ってっている人もいれば、既に溺れかけている人もいる。

同じ「潜水中」でも息がしにくい人は、一体誰なのかーー。それは、感染リスクが高い、被害を受けやすい人や、より経済的な困難を抱えていたり、社会の周縁に追いやられていたりする人たちだ。

医療現場の最前線で患者と向き合う人たちのほか、介護士やごみ収集員、スーパーのレジ打ち、配送業者など、エッセンシャルワーカーと呼ばれる人も、人々の生活を支えるために働いている。必然的に感染リスクは高まるだろう。

自粛したくても働かないと生きていけない人もいる。その中には飲食店や小売店の経営者・従業員、個人事業主のほか、非正規雇用など不安定な雇用によって生活がままならない人が多い。

当然、こうした仕事をしている人の中には、LGBTの当事者もいる。

LGBTを保護・承認する法律がない日本において、当事者は社会の差別や偏見によりスティグマ(烙印)を貼られ、中には不安定な雇用、経済的な困窮、自殺・うつなどのメンタルヘルスのリスクが高い人たちも多い。

つまり、平時から続くこの問題が、新型コロナウイルスの影響で、さらに当事者をより困難な立場に追いやっているのだ。

一人ひとりの持つ「視点」

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携わっているLGBTQ関連の活動の会議はオンラインで進めている
Soshi Matsuoka

私自身の働き方もフリーランスのため、仕事にも大きく影響が出ている。

しかし、安全な家もある。頼れる人がいる。生きていくことがままならないほどではない。「潜水」している人たちの中では、比較的息はしやすい方にいると思う。

もちろん、連日家の中にいると気が滅入りそうになることもあるし、寝つきが悪くなることもある。連日の新型コロナ関連のニュースや、ネット上の切実な怒りの声に心が重くなり、Twitterをなるべく見ないようにする日もある。

みんな息がしづらい世の中で、自分の心を保つこと、適度に休むことも重要だろう。ただ、その上で、「自分はいま息のしやすいところにいる」ことに自覚的ではありたいと思っている。

なぜそう思うのか。もし今、医療を受けられなくなったら、安全な水を飲めなかったら、ゴミを収集する人がいなかったら......たとえ金銭的に余裕があっても生活は回らない。自分の力だけで安全な生活ができるわけではないことを改めて実感させられるからだ。

これ以上、感染を拡大させないために、外出自粛の行動は続けていきたいし、呼びかけていきたい。でも、同時に事情があって自粛できない人、家が安全じゃない人やそもそも家がない人がいること。目の前の大変な状況を前に、”声をあげる”どころではない人を想像することが重要ではないだろうか。

感染者や自粛できない人に対するバッシングを目にするが、こうした想像力があれば、自ずと出てくる”言葉”が変わってくるのではないだろうか。

 

批判も貢献も

いつ自分が困難な状況に立たされるかは誰にもわからない。

新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、「まさか自分が」と感じた人は多いのではないかと思う。個人の「生活」と、「政治」や「社会」が繋がっていることを実感した人も多いのではないか。

私は「息がしにくい人がいないか」「誰かが抜けもれていないか」を想像し、誰かがふり落とされてしまうことを防ぎたい。

そのためにも、「常に批判的に見ること」は、私たちの社会を”より良いもの”にするために、たとえ今の政治がどんな思想であれ、どんな体制であれ必要不可欠だと思う。

「政治への批判」に対して違和感を持つ人もいる。だからといって「みんな大変なんだから”しょうがない”」と誰かが切り捨てられることは正当化できない。

声をあげていかないとその問題には誰も気づかないし、たった一人の声ではなかなか遠くには届かない。だから、市民一人ひとりの声をつなげていく必要があるのだ。

「批判よりも自分にできる貢献をしよう」という声も目にするが、必要なのは「批判よりも貢献」ではなく「批判も貢献も」ではないだろうか。

個人ができることとして、孤独や不安を抱えている知人や友人に声をかけることや、経営が苦しいお店や企業を支援すること、生活困窮者支援のNPOなどヘの寄付も必要だろう。

同時に、社会の仕組みから取りこぼされている人がいないか、政策をチェックし問題があれば指摘して声をあげることも重要ではないだろうか。

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地元名古屋で開催された名古屋レインボープライド2019で撮った写真
Soshi Matsuoka

 

プライドの灯火

東京レインボープライドは4月26日(日)から5月6日(水)まで続く。パレードが予定されていた今日、13〜16時に、「#TRP2020」「#おうちでプライド」をつけてSNSで発信することが呼びかけられている。

家の中で孤独を感じているLGBTは多いだろう。「一人じゃない」というメッセージは、日々心に重たくのしかかる不安を、少しだけでも癒すことができるのではないかと思う。

SNSなどインターネットやテクノロジーの力で、社会的マイノリティはたとえ遠く離れていてもお互いに繋がることができるようになった。一人じゃないことを実感しやすくなった。

大変な状況のいま、「プライド」を楽しく盛り上げることは、きっと誰かの安心感に繋がる。

だからこそ、忘れたくない視点がある。

「おうち」にいたくてもいられない人の直面する困難に思いを馳せ、想像力をはたらかせること。

プライドとは、その人がその人のままで生きられる、尊厳を守ることではないかということ。

命の優先順位が測られそうになったときに、「そうじゃない。命と金は天秤にかけられるものでもないし、命に優劣があるものでもない」、と声を上げること。

「プライド」という場は、年に1度、そんな社会の端に追いやられやすい一人一人の小さな声を繋ぎあわせて大きなパワーし、社会に訴えていく場所ではないかと思う。 

私が私として生きることを祝福する、そんな場になるようにーー。

今年、一度消えかかったプライドの灯火が、オンラインで続けられることになった。  

この灯火を絶やさず、日々を生き延びていきたい。来年もまたここで、共に集えることを願って。

    

(文・松岡宗嗣 編集:笹川かおり)

2020年、世界的に流行した新型コロナウイルスは、LGBTQコミュニティにも大きな影響を与えています。「東京レインボープライド」を始めとした各地のパレードはキャンセルや延期になり、仲間たちと会いに行っていた店も今や集まることができなくなりました。しかし、当事者やアライの発信は止まりません。場所はオンラインに移り、ライブ配信や新しい出会いが起きています。

「私たちはここにいる」――その声が消えることはありません。たとえ「いつもの場所」が無くなっても、SNSやビデオチャットでつながりあい、画面の向こうにいる相手に思いを馳せるはずです。私たちは、オンライン空間が虹色に染まるのを目にするでしょう。

「私たちはここにいる 2020」特集ページはこちら。