デンマークのロックダウン解除の複雑さ。思いは一人ひとり違う

ロックダウンの段階的解除は、本当に喜ばしいことだと思う。でも少なからず、わたし自身の心はどこかまだ沈んだままなのも確かだ。
Open Image Modal
イメージ写真
Katrin Ray Shumakov via Getty Images

昨日、デンマークのロックダウンが段階的に解除され始めたことについて記事を書いた。比較的スムーズに社会の再開が進められ、経済的な影響も長期化、甚大化させず、もとの状態へと戻ろうとしている国の様子は、人々に希望を与えるかもしれない。

しかしながら記事を書いた当の本人は、それが本当に希望の光りとなっているのか、よくわからなかったりする。確かに自営業で店の営業を自粛せざるを得なかった人々にとっては希望であることは間違いないだろう。それは本当に喜ばしいことだとわたしも思う。でも少なからず、わたし自身の心はどこかまだ沈んだままなのも確かだ。そしてそれは、ある短いインタビューを聞いていた時、ひとつの小さな気づきに変わった。

 

ラジオで今週から再開が決まった美容院のことを紹介していた時だ。喜ばしいニュースでしょう?と嬉しそうに尋ねるインタビュアーに対し、ある美容師は「もちろん、営業が再開できることはとても嬉しいです。お客さんが待ってましたとばかりに連絡をくれるということにもとても感謝しています。」と答えていたが、その後、少し声をくぐもらせて続けた。彼女の家族には慢性疾患で、感染するとリスクが高いといわれるグループの人が数人いること、そして、この営業再開によって、彼女は逆にその人たちとしばらく会えなくなるとのことだった。「営業再開は嬉しいけれど、ちょっと変な気持ちでもあります」と彼女はくぐもった声で答えていた。

同じことを、わたしの同僚も語っていた。学校再開の一週間前はちょうどイースターの祝日にあたっていた。通常、人々はこの休暇中に家族を招待しあい、食事を共にする。わたしの同僚も自分の成人した子どもたち、孫たちを呼ぶ予定だった。コロナ禍でも彼女は娘と孫を家に招待し、食事を共にしたそうだ。デンマークは現在も10人以内であれば、互いに会うことは許されてはいるので、これは違反でもなんでもない。でもこの家族の時間は、コロナ以前とは全く違う意味を持つことになった。それは、同僚が学校勤務を再開するにあたって自分の感染の可能性を考慮し、しばらくの間は子どもたちと会わない方が良いと判断したのだという。つまり、しばしのお別れを意味する食事会となったのだった。

 

コロナの経済的影響を考えた時、仕事があって、それを再開できることは喜ばしいことに違いない。それを否定するつもりは全くない。でも、個人個人にとって、この一連のできごとが意味するものは、一人ずつ、少しずつ違うのかもしれない。

 

わたしは母親として、子どもたちの学校再開が意味することに少しの不安を覚える。それは感染の可能性ではなく(もちろんそれだって不安だが)、友達関係にどんな影響があるのかということだ。

このロックダウンの期間中、デンマークでは友だちと遊ぶことについても大まかなガイドラインが定められおり、遊び相手は決まった2、3人に限定されていた。いつもなら学校の休み時間や学童保育で、別のクラスの友人たちも交えて自由にサッカーをしていた息子にとって、このロックダウンは退屈極まりない、寂しい時間だった。4週間ぶりの登校で、普段遊べなかった友人たちとも会える、サッカーがまたできる、という希望が彼にはあった。

ところが蓋を開けてみると、その再開は今までとは同じではなかった。20人のクラスは2チームに分けられ、教室も別となり、登校時間も下校時間も別。仲の良い別のクラスの友人と登校していた息子は、別々に登校することとなった。教室ではグループ化された10人(男女5人ずつ)のうち、休み時間は同じ性別の子どもたちのみで遊ぶことが決められ、他のクラス、グループの子どもたちとは遊んではいけない。サッカーなどの球技も禁止。遊び場も割り当てられた場所に限定される。

帰宅した息子は、がっかりした表情だった。楽しみにしていた学校も、以前と同じことができるわけではなかった。再開が1か月先に延期された6年生の娘は、息子の様子を聞いて、自分も仲の良い友人と違うグループに振り分けられたらどうしようと不安を感じていた。

 

他にも不安はある。それは、日本に暮らす家族が慢性疾患であったり、高齢者施設で暮らしているからだ。もちろん今すぐ日本に行く予定はない。というか、まず行けない。欧州からの飛行機は軒並みキャンセルされている。でも、何かあってももうすぐに行くことも、会うこともできないのだ。今の状況は海外在住者にとってそういうことを意味する。

仮に日本に入国しても、実家に滞在することも今はできないだろう。でも、それは”いつ”ならできるのだろう。わたしや子どもたちが実家に滞在したり、一緒に出かけて思い出を作れる日々はまた来るのだろうか。それは、家族の健康を危険に晒すことと引き換えになるのだろうか。

 

今日、明日の生活が定かではない人々がいることを知っているのに、こんなことを思うのは所詮、贅沢な話だ。同じレベルで語れる不安ではないこともわかっている。まだ住む家があり、生活できるだけで、今はありがたいと思わなくてはいけない時期なのだろう。子どもたちが自由に好きな友人と遊べない悲しさも、家族と安心して会えなくなるかもしれない不安や寂しさも、我慢しなくてはいけないのかもしれない。でも今は、それがどすんと大きな音を立ててわたしの心にあるのも事実だ。再開したってまだ消えない不安はある。

(2020年04月20日のさわひろあやさんnote掲載記事「それぞれのロックダウンの向こう側 」より転載)