緊急事態宣言を出した安倍晋三首相は「人と人との接触機会を削減できれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせる」ことを目指している。
ヨーロッパで最初に都市封鎖(ロックダウン)に踏み切ったイタリアは、段階的に厳しい制限に移行した。当初は通勤や運動が許されていたが、今では必要不可欠なサービスを除いて原則全ての生産活動の禁止が続いている。
トスカーナ州で建築家をしている田邊陽子さんは、現地での経験を踏まえてこう語る。
「人が出歩いてしまうと、イタリアの経験では時間を無駄にしてしまうだけです。感染も収まらないし、ビジネスもうまくいかない。 完全に一斉に全員がストップするしかない」
感染のピークを超え、限定的に経済活動が再開される見通しだが、4月13日までの予定だった封鎖措置は5月3日までに延期された。
「外出禁止」で起きたことや経済への影響・懸念、国の補償、国民の受け止め、今後の見通しについて聞いた。私たちがイタリアの事例から学べることは何なのか。
「外出禁止」で起きたことは?
イタリアが全国的な都市封鎖に踏み切ったのが3月9日。罰則付きの外出禁止令が出され、移動は仕事や健康上の理由に限定された。外出の際は理由を書いた自己申請書を求められた。
11日には、生活必需品の販売店、薬局、スーパーマーケットを除いて、ほぼ全ての店舗や商業施設の休業が決まった。
すでに死者が1000人を超えていたが、ロックダウン後も街から人が消えたわけではなかったと田邊さんは振り返る。
「初めは通勤が禁止されていなかったので、11日以降もたくさんの人が外出していました。ミラノでは通勤する人がかなりいたようです。私も髪を切りに行こうかと思っていたぐらいでした」
「規則だからというよりも、医療関係者が大変だから『出ていけない』『大変なことが起きている』と分かっています。それよりもしんどかった。最初は孤独になってしまったんです。スポーツをしたことがない人が、ジョギングを始めたりしていました」
一方で、リモートワークができる人たちと、出勤しなければ物理的に働くことができない業種の人の間に「経済格差」も生じた。
「感染者が多数でた北部のロンバルディア州では、例えば工場を開ける際、人同士の距離感やマスクや手袋を着用するよう決められていました。取引先の会社はマスクが入手できず、閉めざるを得なくなりました。ボローニャのグラス会社では、社員に有給を取らせて人数を減らしたり、交代で勤務したりしていたようです。私の周りでもすでに解雇された人もいます」
そうした経済格差に対する不満の声に加えて、通勤や運動を理由に外出する人が減らず、限定的なロックダウンに対する効果を疑う声も出たという。
その後も感染者や死者数の急増に歯止めがかからず、3月23日以降は必要不可欠なサービス以外に職種について、全面的な生産活動が禁止となった。職業上の理由や緊急の場合を除いて他の市への移動が禁止され、違反者に対して400ユーロ〜3000ユーロ(約4万7000円〜約35万5000円)罰金も課せられた。
経済への影響や懸念は?
日本では、安倍首相が緊急事態宣言を一向に発令しなかったのは、国内経済に与える影響を懸念したためだと言われている。緊急事態宣言に基づいた休業要請や、経済活動自粛の影響を懸念する声も少なからず上がっていた。
田邊さんによると、イタリアが日本と異なっていたのは、ロックダウンをめぐる経済的な影響を懸念する慎重論がさほど出なかったことだという。
「ヨーロッパ議会で働く政治家が国営テレビで『経済はどん底になります』と言っていて、『もうしょうがない』という空気でした。『だからできるだけ短い期間にできるよう、みんなで協力しよう』という流れだったので、文句を言っていたら批判されていたのではないかと思います」
マスクも足りず、病院に患者が押し寄せ医療崩壊が起きていたイタリアでは、ロックダウン以外の選択肢は残されていなかった。それもあってか、国民の不満が噴出するという事態までにはならなかったという。
「はじめは市民同士の争いが始まるのでは思っていましたが、文句を言う人には周りに誰もいませんでした。あれだけの死者、医療関係者の状態を見て、誰が文句なんて言えるでしょうか。経済よりも人の命が大事だという理解がありました」
国の政策や休業補償の内容は?
ロックダウンと並行して、国や業界団体の政策や補償も進められていた。限定的なロックダウンが始まった3月11日には、田邊さんは建築協会から、仕事上の支払いの締め切り延期や、自分や家族が感染した場合の補償や無利息ローンに関する通達があった。
その数日後、国の経済政策「イタリア ケア」制度も承認された。迅速な対応が、ロックダウンに対する国民の理解につながったのではないかと田邊さんは説明する。
田邊さんによると「イタリア ケア」は次のような内容だという。
・国民年金(INPS)加入者に600ユーロ(約7万1000円)支給
・フリーランスと専門職に600ユーロ支給
・企業の休業補償:休業保険として最大9週間、所得を保護。2カ月は解雇してはいけない
・育児休業補償
12歳以下の子供がいる従業員に15日間の休暇が許可され、報酬の50%の手当て。
12歳〜16歳の子供を持つ従業員、非就労の親は、解雇されることなく、仕事を休むことができる
・ベビーシッター補助(上限600ユ-ロ)
・スマートワ-キングができない年収4万ユーロ(約473万円)以下の従業員に100ユーロ(1万1800円)のボーナス。
・商業施設、店の家賃60%の援助
・3月と4月の保険や税の納税を延長可能
・住宅ローンや他のリーシング等の停止(9月30日まで)
・職安の生活保護を9週間に延長
・仕事場の消毒にかかる50%のコストの援助
・国民年金の非加入の生活困窮者への買い物券
田邊さんは、建築協会の年金として600ユーロが支給されるが、「イタリアでは1カ月は食べられますけど、足りないです」と話す。
田邊さんが住むトスカーナ州では、建築事務所の仕事は外出が認められているが、多くの業種で休業を余儀なくされ、補償も十分とは言えない。
「音楽や観光業に携わっている知り合いは、2月から仕事は全てキャンセルとなって家にいます。2カ月経ちますけど、もらえるのは600ユーロ。これからもないことを考えると足りないですよね」
ロックダウンが支持された理由は?
イタリアの厳しい封鎖措置は、国民生活の制限にとどまらず、政治にも影響が広がった。コンテ首相が国会が閉鎖し、議論のないまま意思決定を進めていったという。
「コンテ首相は国会を閉鎖し、議論をせずに自分で次々に決めていきました。野党を国会に入れないで、扉を閉めてしまいました。ようやくコンテ首相が野党に国会を開けた時も、代表者ら一部だけでまばらでした」
やもすれば独裁的と見られかねないトップダウン式の対応は、イタリア国内では支持されていると田邊さんは説明する。
「勇気のあることだったと思います。あれは民主主義として問題になるだろうと思うのですが、コンテ首相は一人で責任を持ってやってきました。すごいなと思いました」
イタリアは多数の死者を出しながら、実際は、70%以上が政府がうまく対処していると評価する国際調査の結果も出ている。
さらに90%が、ウイルスの拡散防止に役立つならば、自分の人権をある程度犠牲にしてもかまわないと回答している。
感染が収まる見通しは?
ヨーロッパで初めに感染拡大が起き、厳しい封鎖措置に踏み切ったイタリアの動向は、他の国からも注目が集まっている。感染者数は約16万人、死者は2万人に上っている。
感染の収まる見通しについて、田邊さんはこう説明する。
「5月5〜16日まで新たな感染者がゼロになるだろうという見通しが出ていますが、『それは私たち次第です』と言われています」
1日の感染者や死者の数を見れば、どちらもピーク時よりは減少傾向で、ロックダウンの効果が現れてきているように見える。だが依然として数は高く、増減を繰り返し、予断を許さない状態だ。
「集中治療室に行く人が減って、回復する人が増えています。4月5日は初めて病院から出る人が入る人よりも増えた。集中治療室が100%でなくなりました」
「ロックダウンは4月13日が期限ですが、また延長されるとみんな思っています。もしかしたら一部の生産活動が再開されるかもしれませんが、コンテ首相は『一斉にみんなが外に出ることはない』と説明しています」
田邊さんの言葉通り、コンテ首相は4月10日、都市封鎖措置を5月3日まで延期すると発表。一方で、感染予防対策を守ることを条件に、4月14日から文房具店、本屋、新生児・幼児用の衣料品店の営業が認められる。
経済活動の再開に歩み出すイタリアでは、検査数をこれまで以上に増やしているという。 コンテ首相は「ワクチンができるまでコロナウイルスと共存の生活」という「第2段階」へと突入していると宣言しているという。
「毎週日曜、感染医学の第一人者がテレビ番組に出て状況を説明しているのですが、北部でパンデミックの中心となったベルガモであそこまで広がった理由の一つに、重症者しか検査できなかったからだと言っていました。無症状の人がすごくいて、彼らが動き回っていた」
「検査数は前から増やそうとしていましたが追いつかなかった。今特に増やそうとしてるのは、生産活動をはじめようとしているから。陰性じゃない人は戻れないようにしなければいけないからです」
ロックダウン後の展望は?
ロックダウン後の展望は明るくはない。ヨーロッパで最も厳しい封鎖措置の反動で、経済が大きく後退することが予想される。
「補償期間が終わる9週間後に、再開できずに倒産する企業がたくさん出てくるのではないでしょうか。特に観光業は大変です。イタリアは輸出で生きているので、イタリアだけが回復しても生きていけない」
そうした状況を懸念して再開を求める企業も出ているというが、専門家は「今一部だけ経済が再開したら、また元に戻る」と指摘しているという。
「他に方法がないんです。みんなで犠牲にした1カ月はどうなるのか。 ここ3週間頑張ったから、最後まで頑張り切るしかない」
日本で出された緊急事態宣言は法的拘束力が弱く、イタリアのような強制力を持ったロックダウンはできない。外出自粛するかは国民の判断に委ねられ、通勤や運動などを理由に多くの人が街や公園などに出歩く状況を招いている。
「それをしてしまうと、イタリアの経験では、時間を無駄にしてしまうだけです。感染も収まらず、ビジネスもうまくいかない。 完全に一斉に全員がストップするしかない。一旦感染をゼロにしてから気をつけましょうという話です」