志村けんさんの死が、なぜ自分にとってキツいのか、考えた

私が失ったのは共通の体験、共通の言葉、共通の文化なのだ。志村さんはそれを体現していたのだ。
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「8時だよ、全員集合」の収録風景。左からいかりや長介、加藤茶、仲本工事、高木ブー、志村けん(神奈川・小田原市民会館)1981年02月18日
時事通信社

志村けんさんの訃報は、感染のニュースを聞いた時点で、ご年齢から「リスクは高い」と想像していたのもあり、青天の霹靂ではなかった。

なのに、自分は思っていた以上にショックを受けた。

そして「なぜだろう」と考えた。

訃報の直後にある方とツイッターでやり取りしたとき、反射的に「親戚のおじさんが亡くなったような気分だ」とツイートした。

これは我ながら的確で、「身内感」があったのだ、志村さんには。

それは1972年、昭和なら47年という生まれによるところが大きいのだろう。

 

「8時だョ!全員集合」やドリフのコント番組は、キラーコンテンツとかそんな程度のモノではなく、我々の世代には「一般常識」だった。

クラスで知らないものはいないし、誰もが共有する「型」というか、古典のような存在だった。

正直に書けば、私は志村さんのファンではなかった。

ある程度の年齢、中学に上がったあたりで、ドリフや志村さん、カトちゃんのコントは卒業した。

もうちょっとシニカルな、ビートたけしやとんねるずなんかにシフトした。
たまにテレビでドリフを見かけても「まだやってるよ」と思うだけだった。

なのに、こんなにショックを受けるのは、やはりドリフのコントが、自分のユーモアのセンス、笑いの感覚に、屋台骨のように組み込まれているからだろう。

同じようなエレメントと言える存在は、「トムとジェリー」くらいしか思いつかない。

「トムとジェリー」と違って、志村さんやドリフのコントがアカデミー賞なんかの栄誉に輝くことはない。

志村さんのコントは、子供には最高の娯楽だったが、親には「(子供が)下品なことを真似する」と嫌われていた。

幸い、私の親はそんなことを気にするタイプではなかったが。

 

何が言いたいかというと、私が失ったのは共通の体験、共通の言葉、共通の文化なのだ。

志村さんはそれを体現していた。「長さん」も大きな存在だったが、やはり、ケンちゃんとカトちゃんの方が、ドリフ的なものの体現者だと感じる。

お下劣な下ネタにはこのご時世、批判もあるだろう。

私も当時から「なんでやたら女性の裸を出すのかな。あまり面白くもないのに」と感じていた。

しかし、今の価値観で昔のコンテンツを語るのは、時代検証も含めて、慎重であるべきだと私は思う。変に美化するべきではないが、それは志村さんの一面でしかない。

今はメディアとしてのテレビの力が落ちて、「世代を超えて共有される物語」は減る一方だ。ギリギリでその地位を守っているのは、ジブリの一連の傑作くらいだろうか。

志村さんの死は、ある一定以上の年齢、私のような世代にとっては、好き嫌いは別にして、やはり自分の血肉のようなものが失われた喪失感がある。

そして思う。

その死が、なぜ、美空ひばりや手塚治虫より、自分にとってキツいのか。

 

それは「笑い」というものの価値なのだと思う。
笑いは、普段は軽く見られがちなものだ。
だが、笑いほど、人を笑顔にすることほど、価値のある営みなど、なかなかないのだ。

私は「お笑い」という言葉を嫌う小林信彦さんを信奉している。「お」をつけると軽さが増して、価値が下がるように感じる。

「バカ殿」や「ヒゲダンス」や「神様」なんてのは、同時代性が強くて、普遍的価値はないかもしれない。今の子供が見ても面白くはないかもしれない。

でも、私たちは子供の頃、腹がよじれるほど、それに笑わされたのだ。志村さんが笑わせてくれたのだ。

 

コメディアンの価値は、日本では低い。名優とか国民的歌手より、一段も二段も低く見られがちだ。

でも、本当はそこに優劣などないはずだ。人の心を動かす、という意味において。

いや、むしろ、笑いこそ、一番掻き立てるのが難しく、人を救うものではないだろうか。

面識はないけれど、「面白い親戚のおじさん」が亡くなってしまった。

繰り返しになるけど、本当に、予想外にショックを受けている。

この気持ちを新鮮なうちに書き留めておきたかった。

ご冥福をお祈りします。

 

2020年3月31日のツイートに加筆・修正しました。

(文:高井浩章/編集:毛谷村真木