フリーライターとして主に家で仕事をしているわたしにとって「仕事」とは、ユニクロのスウェットを着て、眼鏡市場で買ったメガネをかけ、前髪をピンで留めて後ろ髪は適当にひとつにまとめてやるものだ。
8000円もするカットソーとブランドもののタイトスカートを着て、カツカツ鳴るヒールパンプスを履いて、髪をくるっと巻いてばっちりメイク……なんて、面倒くさすぎてわたしには絶対にムリ。
そんなわたしが困るのが、オンラインでの打ち合わせだ。
カメラなしでの打ち合わせももちろんあるが、オンラインインタビューや取材となると、やはり顔を出したほうがお互い話しやすい。相手によっては、「カメラあり前提」という場合もある。
というわけで、カメラありでのインタビューや打ち合わせも何度か経験したのだが、これが面倒くさいのなんの!
インタビューや打ち合わせが面倒なのではない。むしろいつも楽しくお仕事させていただいている。しかし、「そのための準備」が面倒なのだ。その原因は主に、化粧にある。
女性は化粧をして当たり前という認識
オンラインとはいえ、仕事であり、相手に顔を見られるとなれば、「それなり」の格好をしておかなくてはいけない。眼鏡市場のメガネはいいとしても、ユニクロのスウェットですっぴんひっつめ頭は、さすがに「アウト」だろう。
というわけで、顔出しの際は無地のシャツ(まぁユニクロなんだけど)や、タイトめのニットを着る。ヘアアイロンで前髪の癖をなおし、多少手抜きではあるがメイクもする。
でもそこで思うのだ。
「なんで化粧しなきゃいけないんだろう」。
身だしなみとして、ビジネスの場にあった服装をし、清潔感がある髪型をするのは理解できる。でも化粧は? なんで必要なの?
化粧をしないとはつまり、自分が持って生まれた顔でいるということだ。それがビジネスの場にそぐわないんだろうか? ありのままの顔でいることが失礼に当たるんだろうか?
それでも世間は、容赦無く「公の場では化粧をすべき」と求める。
実際、大学時代にしていた居酒屋のアルバイトでは、化粧をしていなければ客前に出ることを許されず、洗い場担当にされた。
化粧をせず大学に行けば男の先輩に「寝坊でもしたのか」と言われ、友人はすっぴんを隠すためにマスクをする。就活のときは、「こういうメイクをしましょう」という講座が大学で開かれていた。
ある程度の年齢になっても化粧をしないと、「そういう主義なの?」「なんで化粧しないの?」と聞かれるような状況で、「化粧は個人の自由」とは言えないだろう。
なぜ女は、もともとの顔でいてはいけないんだろう。なぜ化粧は女性にだけ求められ、男性には求められないんだろう。
女性のすっぴんって、仕事場に出ちゃいけないくらい失礼なものなんだろうか?
女の顔は化粧という加工をしなければ清潔感がないのか?
以前「なぜ化粧は女性のマナーなのか」というテーマについて寄稿させていただいた。記事に対する反響は想像以上に大きく、朝日新聞でご紹介いただき、『 ワイドナショー』でも取り上げていただいたほどだ(自分でも驚いた)。
「化粧は好きな人だけすればいい」「アレルギーで化粧ができず困っている」「女性が化粧をしていなくとも別に気にしない」という賛同意見がある一方で、「女は化粧して当然。なぜならそれがマナーだから」「すっぴんで客前に出るのは非常識」という意見もあった。
いやだから、なんでそれがマナーなの? なんでそれが非常識なの? と聞きたかったのだが、「ダメなものはダメだから」と言われてはどうしようもない。
ビジネスの場では清潔感ある見た目が重要。だから化粧は当然。
……この前後がなぜ、「だから」という接続詞でつながるのかが、わたしにはどうしてもわからない。
眉毛ボーボー、寝癖がついたボサボサ頭、よだれのあとが残る眠そうな顔をよしとするわけじゃない。男女ともに、見た目の清潔感は大事だ。
しかしそれなら、「女の顔は化粧という加工をしなければ清潔感がないのか?」と思ってしまう。顔を洗って、髪の毛をきれいにまとめて、眉毛の手入れもしていれば、化粧していなくても十分清潔感はあるんじゃないだろうか。
ちなみにわたしは、きちんと手入れされて食べカスがついていなければ、男性のヒゲもOK派だ。生えてくるんだからしょうがないし、濃さだって人によってちがうのだから、髪の毛と同じで整っていればそれでいいと思っている。
自動化粧アプリに需要がある違和感
わたしが改めて「化粧」について記事を書くにいたったのは、ツイッターで、「資生堂がオンライン会議中に顔に自動で化粧加工をしてくれるアプリ、テレビューティーを開発した」というニュースを目にしたからだ。実際このニュースは2016年のもので、現在は使われていないようだが。
実際こういったアプリがあれば、助かる人は多いだろう。わたしだって使いたい。でも自動化粧機能の需要があること自体、「変」じゃないだろうか。化粧しない選択肢があれば、自動化粧機能なんていらないのだから。
テレビューティー開発の経緯について、公式サイトにこうある。
テレワークを行う際に発生する女性ならではの悩みを調査しました。その結果、外出予定がない在宅勤務時にオンライン会議のためだけのメークを負担に思っていること、プライベートである自室の映り込みを好まないこと、パソコンのカメラ性能によっては肌がきれいに見えにくいという不満などが挙げられました。
自室を隠したいという気持ちはわかる。しかし、負担に思っていても化粧をしなくてはいけない、仕事において肌をきれいに見せたいって、なんだかおかしい気がする。
「化粧したくないからしない」とはならないんだろうか?
デートでもないのにオンライン会議で肌をきれいに見せたいものなのだろうか?
本来能力と成果によって評価されるべき仕事場においても、「女は化粧をして美しくあるべき」というプレッシャーが存在し、多くの女性はそれを無意識に受け入れているから、そういった悩みが生まれるのだろう。
もちろん見た目がいいに越したことはない。しかしそれは他人が期待することでも、強制することでもないはずなのだ。
自分が心地いいと思う見た目を選ぶ自由を
「ビジネスの場にふさわしい見た目」と「女性が美しさを求められる問題」の境目は、とてもむずかしい。
なぜなら、化粧はすでに「エチケット」「マナー」として認識されていて、「美しさを求めているのではなくて化粧はあくまでマナー」という主張が成り立ってしまうからだ。
でも、だったら男性はなぜすっぴんでOKなんだろう?
男性と同じように顔を洗って髪の毛をきっちりまとめても、女性は化粧で見た目を底上げしないと失礼なんだろうか?
誤解のないようにお伝えすると、化粧をして自分を美しく見せたいという人の気持ちを否定するつもりはない。TPO無視で、自分がよければどんな見た目でもいいといいたいわけでもない。
ただ、「女性が化粧によって顔を加工することがなぜマナーなのか」「女性が化粧をせずありのままの顔でいることがなぜ失礼にあたるのか」という質問の答えを知りたいだけなのだ。
その答えをご存知の方はぜひ、この記事のURLつきでつぶやいてほしい。エゴサします(ちゃっかり拡散のお願い)。
最近では「パンプス強要はやめよう」「学校で黒髪強制はおかしい」のように、見た目の強制に対する反発が強まってきている。化粧もそれと同じで、「あくまで個人が好きにするもの」だと改めてお伝えしたい。
自分が一番魅力的だと思う、自分を好きになれる見た目で仕事をする選択肢が、これからもっと増えていってほしい。もちろん、性別にかかわらず。
(文:雨宮紫苑/編集・榊原すずみ)