2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響を受け、福島県の富岡駅と浪江駅の間で不通となっていたJR常磐線が3月14日、全線で運転を再開した。
震災から9年でついに再び繋がった線路。全線開通までの歩みを、写真で振り返る。(※以下、震災当時の写真を含みます)
JR常磐線は、福島県の沿岸部を通り東京都と宮城県を結ぶ路線。
運転が再開した福島県富岡駅から浪江駅の区間の一部は、放射線量が非常に高いレベルにある「帰還困難区域」にあり復旧作業が難航していたが、2019年12月に復旧作業が概ね完了し、試運転を行なっていた。
NHKニュースによると、帰還困難区域にあった夜ノ森、大野、それに双葉の3つの駅や周辺では、3月に避難指示が解除され、駅を利用できるようになっていた。
この度の全線開通に伴い、東京と仙台を直通で結ぶ特急列車の運行も再開される。
津波の被害で壊滅的な状態から始まった復旧作業
写真は2011年3月、東日本大震災の発災直後の宮城県上空。
中央に見えるのが線路だが、沿岸地域を走るJR常磐線は、地震と津波による甚大な被害を受けた。復旧への道のりは長かった。
2011年4月、福島県の新地駅では脱線、転覆した列車の撤去作業が始まった。
津波の被害でまだ瓦礫や流木が残るなか、重機を使って車体を解体していった。
2011年9月、福島県南相馬市の磐城太田駅付近の線路。
電車が走らなくなったために線路が赤く錆びて、雑草が生い茂っていた。
ただ、同じ場所でも“希望”はあった。オレンジ色のコスモスが大輪の花を咲かせていたのだ。
避難指示区域でも徐々に一部区間で運転を再開へ
2014年6月、当時避難指示が出されていた区域で初めて運行が再開された。
福島県楢葉町のJR竜田駅では、列車から下車する乗客から笑顔も見えた。
竜田―広野駅間を走行する列車からは線路のすぐ側に集められた除染作業で出た汚染土などが大量に置かれていた。
不通が続いた期間は、代行バスが利用者の足となった
常磐線の全線再開を振り返る上で忘れてはならないのが、「代行バス」の存在。
列車の運休が続く中、沿線各地では代行バスが利用者の足となった。
東京電力福島第1原発事故の影響で不通となっていた、竜田駅から福島県南相馬市の原ノ町駅の間でも、人々がバスを利用し移動していた。
震災から5年以降、徐々に復旧が加速
震災から5年が経った2016年ごろから復旧作業はより加速していった。福島県の新地駅周辺では工事が急ピッチに勧められた。
16年12月10日には、福島県相馬市の相馬駅と宮城県亘理町の山下駅の間の約23キロが結ばれ、5年9カ月ぶりに宮城県と福島県が再び線路で繋がった。
山下駅で行われた一番列車の出発式には、復旧を待ち望んだ地元の人々などが訪れ、駅のホームで祝福した。
2016年12月、宮城県山元町を走るJR常磐線。
常磐線の線路は津波で大きな被害を受けたことを受け、以前よりも約1キロ内陸側に移設復旧された。
9年の時を経て、ついに全線開通
2019年12月、全線再開に向け、原発事故などの影響で不通となっていた福島県双葉町を通る区間で試運転が行われた。
2020年の3月11日。双葉駅では、周辺に出されていた帰還困難区域としての規制が一部解除され、運転再開への整備が進んでいた。
そして、2020年3月14日。「あの日」から約9年。
最後の不通区間となっていた福島県の富岡駅から浪江駅の間で運転が再開。これにより、JR常磐線は全線で運転を再開した。
津波による壊滅的な被害を受け、車体撤去から始まった復旧作業。代行バスの運行、内陸への移設、原発事故の影響などを乗り越え、1本の線路がようやく繋がった。