ダンスは自由になる手段。振付師・アオキ裕キはなぜ路上生活者と踊ることを選んだのか

きっかけはニューヨーク留学中に遭遇した「9.11」。路上生活者たちのダンスグループの活動を追いかけたドキュメンタリー映画『ダンシングホームレス』、振付師・アオキ裕キさんに話を聞いた。
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『ダンシングホームレス』

路上生活者たちのダンスグループ「新人Hソケリッサ!」の活動を追いかけたドキュメンタリー映画『ダンシングホームレス』が公開される。

このダンスグループを立ち上げたのは、振付師のアオキ裕キさん。アオキさんは「路上で生活をしている人々の身体は、原始的な感覚に近く、一般の人にはない面白さがあると感じた」と言う。「ソケリッサ」の踊りは抽象的で、既存のダンスの枠組みを超えたユニークさがあり、見る人の想像力を刺激する。

プロの振付師として有名アーティストやCMなどを多数手掛けていたアオキさんは、なぜ路上生活者たちと踊ることを選んだのか、話を聞いた。

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振付師のアオキ裕キさん

猫背には猫背のダンスがある

アオキさんは、プロの振付師としてチャットモンチーやL’Arc~en~Cielのミュージックビデオや数多くの有名CMなどを手掛けてきた。そんなアオキさんが路上生活者のダンスグループ結成に至るまでに大きな影響を及ぼしたのは、ニューヨーク留学中に体験した2001年のアメリカ同時多発テロ事件だったという。

「僕はマイケル・ジャクソンに憧れていて、本場のアメリカにダンスを学びに行ったんです。 

ある朝、下宿先の人間に叩き起こされてTVを見たら、そこには飛行機がビルに突っ込む瞬間が映し出されていました。人の悲しみや苦しみが砕け散った瞬間を見たような気がしました。

現場近くに行ってみると、阿鼻叫喚で人間の内面の声やエネルギーをものすごく感じて、その時僕は、自分が流行や表面的な格好ばかりにこだわっていたことに気づいて、ショックを受けたんです」

アオキさんはその体験から、もっと人間の内側が形になったものに目を向けるべきだと思ったという。そして、東京に戻ってきてから、人目を気にせず片隅で横たわる路上生活者を見て、多くの現代人とは異なる身体感覚があるかもしれないと考えたという。

「社会に生きる僕らは、何かを得たら捨てずにどんどん抱えていってしまいますよね。でも彼らは、さまざまな事情から社会での地位を捨てたり、プライドを捨てたりしてきた身軽な身体なんです。そこから生まれる動きは人間本来の原始的な生命力のある感覚に近いんじゃないかと考えたんです」

しかし、路上で生活している人々は、普段からストレッチをしている人は多くないだろうし、硬い路上で寒い中寝泊まりしていれば、身体も硬直してくるのではないか。一般人よりもしなやかな動きができるとは思えないが、アオキさんはそれも含めて魅力を感じるのだと言う。

「彼らの身体が固かったとしても、それは彼らの生活に即した固さなのです。例えば、猫背の人には、猫背になった理由や環境があり、そういう人生を歩んできたわけですから、そういう人生を背負った身体を等身大で見せていくことが大事なんです」

かつてダンスとはフィジカルエリートのものだった。今でも商業の世界ではそうだろう。しかし、舞踏評論家の乗越たかお氏は「コンテンポラリー・ダンスの時代になって『全ての身体は平等でユニークなものである』となった。<中略> 芸術としてのダンスは、その身体にしかない真実をこそ見せるべきだとされ、ダンスはすべての人に解放されたのである」と語っている。 (本作のプレスシートより)

アオキさんが路上生活者の人々と目指すダンスも、まさにそういう方向性のものだ。

「なんでも矯正するのではなく、猫背の人は猫背を生かした踊りをやればいいのです。恥ずかしがり屋の人は小さく丸くなるような踊りをすればいいし、既存の踊りのために最初から身体を矯正するのは、なにか違うと思うんです」

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『ダンシングホームレス』

「ソケリッサ」は社会福祉ではない

アオキさんは「ソケリッサ」の活動について「あくまで芸術を追求することを失いたくない」と語る。

路上生活者の社会復帰を後押しするような福祉ではなく、純粋な表現活動であることが大切だと言う。

「僕は、芸術や踊りというものは自由になる手段だと思っています。福祉的な側面を出せば寄付なども集まりやすいかもしれませんが、社会復帰を目標に掲げると、それもある意味で枠にはめてしまうことになりますよね」

「ソケリッサ」の活動資金は潤沢ではない。福祉を全面に押し出せば資金繰りに余裕も生まれるかもしれないが、それでも純粋な表現行為の情動を大事にしている。

「踊りを通して社会と接点が生まれて、それが社会復帰へのモチベーションになることはありますが、最初から社会復帰を目標にしようとか、僕が何かを決めつけることはしたくないんです。

彼らが路上で生活するに至った理由は様々で、みなさん、人間関係とか、仕事の問題とか、親の期待とかいろいろなものに応えようとして、苦しんだんです。

ただ、一般社会で生活している人もまた、種類は違えど、もしかしたらしんどさを抱えているかもしれない。それは一概には言えませんよね。

実際、今の社会は不自由で息苦しいですよ。型にはまったものばかりで。人間は、もっといろんなことを感じる力があり、答えがないものを楽しむことができるんです」

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『ダンシングホームレス』

格差を隠そうとする社会

東京オリンピック・バラリンピックが近づき、路上生活者たちにはさらに窮屈な時代になってきている。作中にも、「ソケリッサ」のメンバーの一人、西さんがいつも寝ていた場所から追い出されたと語るシーンがある。

アオキさんは「日本という国自体が格差を隠そうとしているかのようだ」と語る。だからこそ、「ソケリッサ」の活動は隠されてしまうものを見せていくという点で重要だとも感じているようだ。

しかし、社会の目は厳しい。「ソケリッサ」の活動にも「踊れるくらいなら働け」と心ない言葉を浴びせられることもあると作中でも語っている。しかし、アオキさんはそういう人にこそ観てほしいと語る。

「そういう罵声は活動初期に比べれば減りましたが、まだありますね。

でも、そういう人こそ苦しんでいる人だと思うんです。それは何かのシグナルで、だからこそ自分たちの活動は大事だと思っていますし、そういうことを言う人にこそ僕らの踊りを観てほしいです」

アオキさんは、社会に生きる人々が見えない何かに囚われているようだと言う。さらに、芸術にはそんな見えない何かから人を解放する力があると語る。

「芸術って、世の中を動かすシステムを作ることはできませんが、そこに至る新しい価値観や視点は提示できると思うんです。

路上生活者が踊るというのは、僕が活動を始める前は珍しいことだと思われていましたが、支持してくれる人も少しずつ増えています。それは、ソケリッサの踊りで実際に価値観を変えることができたということです」

(取材・文:杉本穂高/編集:毛谷村真木