僕はこの春から新社会人になる。
就職先は、今年で創業55年を迎える「土屋鞄製造所」だ。
4月を目の前にする今の僕の気持ちは、期待が8割、不安が2割だ。内定ブルーという言葉もあるくらいだから期待が8割もあれば十分だと思っている。
晴れやかな気持ちでいられているのは、第1志望の企業に内定をもらえたからではない。むしろ、その逆だ。
就活を意識し始めた大学3年生の頃から、ずっと志望していたのは、ITベンチャーだった。そんな僕が老舗ブランドの「土屋鞄」に入社するのには、理由がある。
“イケてる” ITベンチャーにフラれ続けた。志望理由が浅かったから…?
「ITベンチャーを志望しています!」
何度、この言葉を口にしただろう。
実際、僕はこれまでにインターンをした7社のうち5社がITベンチャーといわれる企業だったし、エントリーした企業も8割近くはITベンチャーだった。いわゆる“イケてる”社長と人事がいるような、数十人くらいから1000人未満の規模の企業だ。
自分に合っていると思っていたし、尊敬する社会人がたくさんいた。何より、入社後の働き方やキャリアが容易に想像できた。企業理念、新たな時代を創っていく社会的意義、そこで働く人の考え方など、共感することはたくさんあり、「こういう人たちとこういう環境で働きたい」と強く願っていた。
しかし、選考がうまくいかない。
本命だった企業を立て続けに落とされたとき、就職活動へのやる気がどこかへ消えてしまった。その後も就活は続けていたが、どこか上の空だった。
「理念には共感しているし、他の候補者に比べて著しく能力が劣っているとは思えない。だけど、結果は出ない。なぜなんだろう?」
本当は前から分かっていたのかもしれない。でも分かりたくなくて考えないようにしていた。
僕がITベンチャーを志望する理由は、すごく浅かった。
イケてる人達と一緒に働き、今の時代の潮流に乗っていれば、自分もイケてる人になれるとどこかで信じていた。僕が大企業を受けなかった理由は、「今の時代、大企業に入ることはリスクだ。個の力をつけて市場価値を上げることが賢い選択だ」と思ったから。
しかし、振り返ってみれば、大企業がITベンチャーに変わっただけで、盲目的に大企業は安全だと信じて、人気企業を受ける就活生と本質的には何も変わっていなかった。
だから最終面接で「入社後は何をしたいですか?」「どんなキャリアを歩んでいきたいですか?」と聞かれたとき、的を得た答えが返せなかった。なぜなら心の中では、イケてるITベンチャーにさえ入れば今後の僕のキャリアは安泰だと思っていたのだから…
予想がつかない未来、だからワクワクする
転機は、就活もひと段落する4年生の6月。僕は焦っていた。
当時インターン先でお世話になっていた先輩の「自分と感覚が近い人に相談してごらん」というアドバイスで、連絡をとったのが、春から僕の上司になる三木さんと西島さんだった。
2人とは就活を通じて知り合い、「今を本気で楽しむ人」という印象を持っていた。就活中に何度も聞かれる「〇年後、あなたはどうなりたいですか?」という質問に反発を感じ、「今を大事にしたい」と思っていた僕にとって、「自分と感覚が似ている」と感じられたのがこの2人だった。
だから、三木さんと西島さんは、ITベンチャーで活躍していたのに、2019年に突然「土屋鞄」に転職したと聞いた時には驚いた。
当時僕が抱いていた“老舗製造業”のイメージは、決して良いものではなかった。
「安い給料、過酷なサービス業、将来性がない。そのブランドが好きな人しか働けない、変わった業界」
なぜそんな業界に、どこからでも声がかかる三木さんと西島さんが転職したのか、興味もあった。
2人に会い、就活がうまくいかないこと、自分の進むべき道はどこにあるのか分からなくなったこと、ITベンチャーに行くんだと強がってこれまで表には出せなかった想いを初めて打ち明けた。
でも、僕が背伸びしていたことは2人にはお見通しだった。「もう一度、自分の大切にしている価値観に向き合ってごらん」。そう声をかけてもらい、もう一度スタート地点に立てたような気がした。
「土屋鞄」について二人の話を聞いていくうちに、これまでの就職活動では感じなかったワクワクも込み上がってきた。
日本の誇るべき文化を世界へ発信し、日本発のブランドを創っていくこと。価値のある伝統的なものづくりを後世に残すために歴史ある企業と共創・支援を行っていくこと…2人から語られるビジネスの話は、僕の“老舗製造業”へのイメージを大きく変えた。
10年後、業界がどうなっているかも、僕のキャリアがどうなっているかも全く見当がつかない。でも、土屋鞄が今後向かっていく未来が僕には面白かった。一緒に働いてみたい、と感じた。
日本のものづくりを世界に誇りたい、自分がその一助になりたい
また僕の原体験とも重なるものがあった。
僕は大学を1年間休学して世界一周をした。訪れた国は約30ヵ国。その中で、異国の街を歩き、生活をし、様々な人と触れ合うなかで感じたことがある。
「日本の存在感は海外から見るとこんなにも弱いのか…」
日本国内にいるときは先進国、ものづくりの日本、世界で活躍する人も多いイメージを持っていたが、いざ海外で暮らしてみると、家電や家具は中国やアジア、ブランド物は欧米、ITサービスはアメリカ、世界で有名な日本人も想像していた以上に少なかった。
現実を目の当たりにして悔しかったし、悲しかった。世界でもっと評価されてもいいものはあるはずだと思っていた。
例えばものづくり。欧米発のブランド物が日本のモノよりも品質やデザインが著しく低いとは思わない。むしろ品質で言えば優っていることは多いと感じている。でも、世界の各都市には日本発のブランドの店はほとんどない。
悔しくても今、僕が何かできるわけではない、と思っていた。しかし、土屋鞄に出会って、「日本のものづくりや職人の技術を世界へ発信したい、後世へ残したい」という熱い想いを聞いて、共感のその先にある、自分もその一員となってやってみたいという気持ちが湧いてきた。
もう一度、私たち日本人が本当に心から誇れると思うものを作って、世界中の人たち届けたい。もっと日本に良さに気付いてほしい。そして、僕自身が日本を誇れる国だと思いたい。
ピカピカのランドセルを背負う1年生のように…
僕にとって、就活でITベンチャーを渡り歩いて得た財産は、人との繋がりだった。
「ITで目の前の人よりも社会全体に影響を与えたいのか?」
改めて自分にそう問いかけてみると、僕は目の前にいる人に寄り添える、そんな人でありたいし、同じような価値観を持った人たちと一緒に働きたいと思った。そして、綺麗ごとかもしれないが、自分が誇りを持てる仕事がしたかった。
誇るべき職人の技術や日本の文化を世界に発信しながら、目の前にいるお客様との繋がりを大切にする。創業55年を迎えるものづくり企業が目指すこの両立こそが、僕のワクワクの正体なのだと思う。
土屋鞄に初めての内定をもらったのは、大学4年の9月。一般的には遅い方かもしれない。でも、ITベンチャーを志望していたときの安易な気持ちではなく、紆余曲折を経て、僕は自信をもって働くことができる場所へ向かっていく。
ピカピカのランドセルを背負う小学1年生のように、4月から僕は、大きな期待と少しの不安を抱えて新社会人生活を踏み出していく。
(文・松田直人 / 編集:中村かさね)