「新型コロナウイルス」拡散で考えさせられる中国「経済成長」の歪み

【新型肺炎】世界各地に拡散し猛威を振るう「新型コロナウイルス」は、なぜここまで拡大したのか。「移動」と「ソフト面の整備」の側面から考えてみた。
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イメージ画像 中国・武漢=2020年01月24日
時事通信社

2020年の春節を前にして、中国湖北省の省都・武漢市で発生した新型コロナウイルスは、中国国内はもちろん、世界各地に拡散し猛威を振るっている。

中国政府は武漢市の閉鎖からはじまり、ついには海外への団体旅行禁止措置を実施するに至りはしたが、初期対応の遅れが響いている。習近平政権が春節休暇を返上して本腰を入れ動き出したようだが、効果的な対応策は依然として見つかってはいないと見るべきだろう。 

全容が掴めないほどまでに被害が拡大した原因については、中国人のたくましすぎる食文化、衛生面の不整備、共産党政権の隠ぺい体質などが挙げられる。新型コロナウイルスが世界的な嫌中ムード拡大のキッカケとなり、このままでは「中華民族の偉大な復興」も頓挫しかねないだけに、習近平政権としては早急に抜本的な対策を講ずる必要があるはずだ。

 

「移動」があり得なかった毛沢東時代

なぜ今回、ここまで被害が拡大したのか。

ここで毛沢東の時代のことを考えてみる。

当時でも、いわゆる「ゲテモノ」と分類されるようなものは食べられていた。大躍進時代の飢餓地獄や文化大革命の下放政策に従って農村生活を経験した世代の回想録を読むと、今以上にとにもかくにも口に入るものは何でも食べていた。ならば当時も、今回と同じような緊急事態がより高い頻度で発生していた、と考えても不思議ではないだろう。にもかかわらず、そういった事態は報告されていない。

その理由は、当時は「移動」があり得なかったからである。

中華人民共和国の建国は、同時に中国人の移動禁止をも意味した。毛沢東は対外閉鎖を実施し、一般国民の国外への移動を禁止するだけではなく、国内での移動も制限した。国外からの流入は華僑・華人などの在外漢族ですら厳しく管理され、ごく限られた少数の外国人招待客以外に国内旅行が許されることはなかった。

「戸口制度」を実施して国民を都市住民と農村住民に厳格に区分し、居住・職業選択などの自由を奪った。極論するなら、生まれてから死ぬまで、極めて限られた生活圏で日常を送るしかなかったわけだ。

であればこそ、原因不明の病気が発生しようが、保菌者が移動しない以上、病気の拡散は容易に防げた。

今回のように武漢市封鎖などという措置をわざわざ執らなくても、武漢市の外に、ましてや国外に病原菌が飛散するような事態が発生することは、鳥や虫などを媒介する以外、ほとんどあり得なかったわけだ。

また、ヒトの移動のみならず情報も、共産党政権によって一元的に厳格に統制されていたわけだから、ある地域で異常事態が発生したとしても、他の地域には伝わらなかった。

「小道消息(口コミ)」があったとは言うものの、現在のネット社会ほどの速度と範囲で情報が拡散したわけではないから、被害地域以外では誰もが疑心暗鬼に陥ることなく“安全・安心”に過ごせたはずだ。

毛沢東の時代は一般外国メディアの取材も厳禁されていたことから、中国国内の情報が外国メディアによって外部に伝わることはなかった。だが、現在、中国には多くの外国メディアが常駐し、彼らによって国外に送られる膨大な情報は、それが中国政府によって管理されているとはいえ、中国国内の状況を同時進行で外部に伝えてくれる。

 

追い付かないソフト面の整備

今年の春節には、海外旅行も含め延べ30億人規模の移動が見込まれていたというから、それだけ病原菌拡散の“危険度”も極めて高いことになる。

一般国民の国内外における移動が解禁されたのは、開放政策を断行した鄧小平の時代である。そして、被害拡大のもう1つの背景に、やはりこの時代の経済の急成長があると考えられる。

たとえば我が国の高度経済成長期(1955年~73年)の殊に前半を振り返っても指摘できることだが、経済を急成長させる工場や機械などの目に見える環境(ハード面)の整備は進んだとしても、それらを円滑に維持させるための生活環境(ソフト面)の整備は遅れてしまう。生産・効率・収益至上主義が先行し、福利厚生は後手に回る。

三井・三池や夕張などの炭鉱で安全対策が不十分であったために発生した大惨事など、その典型だろう。いわば先行するハード面にソフト面の環境整備が追い付かないのである。

改革開放当初に鄧小平が掲げた「先富論」や「白猫黒猫論」には、生産・収益至上主義が強く含まれてはいたが、おそらく福利厚生部分は想定されてはいなかったはずだ。

コストと時間のかかるソフト面の社会環境整備には半ば眼を閉じて突っ走ってきた結果が、今回の新型コロナウイルス被害拡大の背景にあるに違いない。

今回の武漢、いや中国全土の生鮮市場で指摘できることだが、やはり衛生面の整備が追い付いていないのだろう。そのうえ、万一の時に対応可能な医療体制も整っていなかった。

 

半世紀前の香港の「ゲテモノ」

経済の急成長が従来の生活文化に与えた影響――与えられなかった影響と表現すべきかもしれないが――も考えられる。

進化心理学者ウィリアム・フォン・ヒッペルは『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか』(濱野大道訳/ハーパーコリンズ・ジャパン/2019年刊)で、「利口になったからといって、人類はより賢明になったわけではない。良くも悪くも、わたしたちは古代の本能の多くをいまだ振り払えずにいる」と説く。

ここの「利口」を「豊か」と入れ替えてみたらどうだろうか。

つまり――豊かになったからといって、武漢(いや中国)の人々はより賢明になったわけではない。良くも悪くも古くからの食にまつわる本能の多くをいまだ振り払えずにいる――となる。もちろん武漢や中国のみならず、「古代の本能の多くをいまだ振り払えずにいる」のは世界のどこの国や地域でも同じだろうが。

今から半世紀ほど昔の香港で5年ほどの留学生活を過ごした当時、筆者もイヌ、タヌキ、ヘビ、サソリ、ゲンゴロウ、セミなどの多種多様な「ゲテモノ」を食べたものだ。そぞろ秋風が吹き始める11月頃になると、街角の路地やら工事現場の隅の空地に「香肉上市(犬肉、始めました)」の小さな看板が目に着くようになる。冷えた体を温める効果があると信じられていたイヌ鍋商売が始まるのだ。

超高価なサルやイグアナはともかく、庶民が口にする「ゲテモノ」の流通は非衛生的極まる環境で行われており、それを担ったのは社会の下層の人々だった。おそらく現在の武漢(ということは中国全土)においてもゲテモノ流通に関する事情は大差ないだろう。経済発展の負け組に属する彼らは劣悪な環境で働くことを余儀なくされ、最低限度の公的社会保障の恩恵すら受けられないはずだ。

現在の香港では、半世紀ほど昔と同じように日常的に自由にゲテモノは食えないし、その機会もないはずだ。やはり生活水準や教育環境の向上によって「古代の本能」のうちの好ましからざる部分を「振り払」ったからだろうが、それによって人間の体質、殊に胃袋がヤワになったに違いない。

やはり中国人の胃袋も、生活水準の向上に反比例するかのように、食べ物に対する耐性が落ちたということではないか。

 

“踊り場”に差し掛かった兆候

拙速な経済成長の歪みによってもたらされたとも言える今回の緊急事態だが、それはまた経済成長率の鈍化とは違った意味で中国社会が“踊り場”に差し掛かった兆候であり、鄧小平路線の行き詰まりを意味するはずだ。

この事態をどのように打開しようとするのか。

経済成長のアクセルを吹かすだけでは、武漢を震源地とする緊急事態を切り抜けることは困難だろう。おそらく政治体制のみならず国民個々の振る舞いも含め、中国社会全体の自己省察を迫られているのではないか。

1997年の香港返還を前に、中国の論壇で「説不」(「ノーと言える中国」)がブームになったことがある。そのなかで、中国の発展は「接軌」――世界の「軌道」、いわば普遍に「接」すること――で可能になった、という主張が見られた。

その後、「接軌」というキーワードは聞かれなくなったが、今こそ習近平政権に「接軌」を強く問い質したいものだ。やはり経済力だけでは世界は靡かないのである。

現在の中国社会が直面している状況を考えるなら、今回の事態は武漢だから発生したというよりも中国全土のどの都市で起きても不思議ではない。であるなら中国のみならず世界は、第2、第3の新型コロナウイルス発生に備えておくべきだ。

樋泉克夫 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。

(2020年1月28日フォーサイトより転載)

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