「とんでもない遺族への冒涜・侮辱」。雨宮処凛さんが語る、傍聴席で見た植松聖被告の姿とは。

作家・活動家として「津久井やまゆり園」事件を追ってきた雨宮処凛さん。法廷で初めて対峙した植松聖被告について聞いた。

「思ったよりも小心者という感じで驚きました」。作家・活動家として「津久井やまゆり園」事件を追ってきた雨宮処凛さんは、法廷で初めて対峙した植松聖被告の印象をそう語った。

知的障害者施設「津久井やまゆり園」(神奈川県相模原市)で2016年7月に入所者19人を殺害した罪などに問われた元職員、植松聖被告の裁判員裁判が1月8日、横浜地裁(青沼潔裁判長)で始まった。

植松被告の初公判を、雨宮さんはどう見たのか。

傍聴席には遅れて入ったという雨宮さん。逮捕当時に金髪だった植松被告の髪の色は真っ黒に変わっていて、小柄なスーツ姿だった。弁護士に促された植松被告は、証言台で殺害について認め「皆様にお詫び申し上げます」と小さな声で謝罪をした。

あっ、謝るんだ。と思いました。そして、受け答えもものすごぐ小さくて弱々しくて驚きました。すごくマッチョで不遜で、法廷も馬鹿にしていて自分の主張を見せるための舞台のように考えているのでは?と考えていましたので、意外な感じでした。裁判長の説明にも子供のようにウンウンとうなずいて

しかしその直後、植松被告は突然、手を口に近づけた。「突然のことで何が起こったのかわかりませんでした。マイクの先を口に入れようとしたのかと思って」と、雨宮さんはその時の印象を語る。

右側に身体を傾け、刑務官に制止されて暴れる植松被告は4人の刑務官に取り押さえられた。そして、開廷から20分ほどで退廷となり、午後は植松被告が不在のままで審理が進められることになった。

遺族が座る傍聴席と一般の傍聴席との間にはついたてがあり、暴れる植松被告を見ていた遺族の様子は伺い知ることができなかった。しかし、雨宮さんはこのように感じたという。

謝る気があったのか、それとも謝った後で更に混乱させて法廷を冒涜しようとしているのか、どちらかわかりませんでした。休廷になって延命したい、死にたくないのかなという想像もしました。ただ、あれだけの人を殺した罪に問われた人が、刑務官に引き倒され、うつ伏せになりながらも目の前で暴れているんです、傍聴席のギリギリのところで。恐ろしい光景で私でさえ怖かった。遺族のことを思うと、とんでもない冒涜、侮辱だと思いました。二重に傷つけられたのではないかと

後ろの方の席の傍聴人たちは「何事か」と立ち上がり、裁判所の職員が「退廷してください」と叫ぶ声が響き渡っていた。

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雨宮処凛さん
撮影:米田志津美

 弁護側が法廷で明かした「妄想症状」

一方で弁護側は、植松被告は精神障害の影響で刑事責任能力が失われていたか、著しく弱っていたとして無罪もしくは刑の減軽が相当と主張した。

雨宮さんは主張の中で語られた事件前の植松被告の行動や周囲との関係性の変化について「手厚い医療のサポートが必要だった、それが受けられれば防げた事件なのではと感じました」と語った。

弁護側によると小学校~大学時代の植松被告は「目立ちたがり屋」でやんちゃだが”普通の”少年だった。

しかし、大麻や危険ドラッグの常用などで事件の約5カ月前、相模原市が措置入院させた際には、精神・行動の障害などと診断されている。

周囲の友人たちにも前年から「意思疎通ができない重度障害者は不幸を作る、殺すべきだ。安楽死すべきだ」などと話すようになった。また、「天のお告げがあった」「UFOを見た」「尾行されている」という妄想症状にとらわれていたことも明かされている。

よく聞くような妄想の症状でびっくりしました。誇大妄想や、使命感、恐ろしく間違った正義感に突き動かされていたのかなと。UFOなどの妄想症状と同時に世界情勢に関心を持ち始めて、障害者の命よりも別のところに金を使うべきだなどと言い出し、アメリカのトランプ大統領にも影響を受けていたようです。何がきっかけでこのような飛躍が起こり、バラバラのパズルが合わさってしまったか解明しなくてはならないなと思いました。

ただ、それらの行動は演技だとも思えませんでした。精神疾患の病名がつく状態ではあったのだろうと。周囲の人々も危険性を認識していて『植松はやばい』『もう手遅れ』と話し、離れていってしまった。一時は医療にもつながっていたのに、継続的な通院ができていなかった。殺人を予告していた人が本当に事件を犯してしまったということです。かなり深刻な状況だったのは明らかで、そこでもう少し手厚く医療のサポートが受けられれば防げた事件だったのではと改めて思いました