シングルの状態でイギリスのブライトンに越してきたとき、この町の乱れたLGBTQコミュニティに注意するよう男の友人から言われた。私は彼が特別な話を一般化して、大げさに話しているだけだと思っていた。
私がカミングアウトしてから5年近くがたち、たくさんの場所で暮らしてきた。直近まではボーンマスにいた。だから自分がゲイシーンの新人だとは思っていない。でも、大学1年のとき以来、いつも誰かと付き合っていた。
付き合ったり別れたりの4年間を過ごした後、当面はシングルでいこうと決め、この町を最大限に楽しもうとしている。ブライトンが南部の「ゲイの首都」なのには理由がある。3つの大学があり、たくさんの人が楽しい時間を求めている。Grindr(LGBTQ専用の出会い系アプリ)はここでも大流行しているから、出会いは簡単に見つかる。だから、私は生活を大いに満喫している。でもいまだ学習中でもあるようだ。だって、誰かと付き合っているときに発見できることには限りがあるから。
この町のシーンでー番驚いたのは、ゲイカップルでは、セックス においてのトップ・ボトム(攻め・受け)の好みが大きな意味を持つということだ。これまで、私とパートナーもそれらの好みが常にあったが、それは柔軟性を伴っていた。あるパートナーの場合、私が受け身役(ボトム)だった。その後、別のボーイフレンドと出会った際には立場を交替した。また、あらゆる性的な行為を実践してもいた。愛情表現は必ずしも最後までセックスすることではなく、他のことを意味することもあった。「トップ・ボトム」の枠組みは私たちの関係性の中心ではなかった。
しかしシングルになってから、それに強く固執している人も多いと気付いた。特に、どちらかの役割の心構えしかしておらず、それを変えることに消極的な場合はなおさらだ。Grindrでは常に、どちらが好みか尋ねられ、自分の好みをプロフィールに書いてある。相手との会話では、かなり最初の方にその話題になる。多くの男性にとって重要な問題のようだ。
もちろん、寝ることだけが目的で相性が合わないと分かれば、別の相手を探せばいいだけだ。でもそれが全員に当てはまるわけではない。
私の友人の場合、それが関係を大きく壊す原因となった。彼のボーイフレンドはボトムで、彼もそうだ。2人とも妥協はしたくない。バカげていると思われるかもしれないが、彼らにとっては大問題であり、関係性をオープンなものにせざるをえなくなった。2人はしぶしぶGrindrをダウンロードした。そして自分たちの希望を叶えるため、お互いとは別に、それぞれがプライベートな性生活を築いている。
彼らは2人とも、他の相手とのセックスにそれ以上のものを求めてはいない。自分たちを「ポリアモリー(交際相手を1人に限定しない恋愛関係のこと」と呼ぶことすらないだろう。それは別の相手との愛を探すことではなく、セックスだけの関係だからだ。しかし彼らの関係のことを考えると、私はとても悲しくなる。彼ら自身も、その環境に完全に満足しているわけではないだろう。
異性愛の人たちが、このようなことが問題になると考えるのかどうかは分からない。性欲やセックスに対する考え方という点からは不適合が生じうるだろうが、身体面では適合するだろう。しかし自分とパートナーが身体的にミスマッチな場合、どうすればよいのだろうか?
振り返ってみると、自分がパートナーや関係性に順応できているのは喜ぶべきことだと思う。だからこそ、他の人たちにとって大きな問題になりうることが理解できなかったのだろう。なぜ柔軟に行動することを恐れる人たちがいるのか、私には分からない。偏見やタブーのようなものなのかもしれない。もしくは、どちらかしかやったことがなく、両方をただ知らないということなのか。
理由が何であれ、愛し合っている者同士が引き離されるような気持ちになっているのを見るのは悲しい。1人が相手に「君を愛しているけれど、セックスについて言えば満足していないんだ」と話したら、それは傷つくだろう。
そしてこれは、私の人生の新しいステージにもときどき生じ始めている。自分自身の問題にはならないことを願ってもいるけど、それは誰にも分からない。
セックス・ダイアリーは、ハフポストUK版に読者から無記名で寄せられたセックスに関するストーリー。ハフポストUK版に掲載されたものを、翻訳・編集しています。様々なセックスにまつわるストーリーを通じて、性にまつわる喜びや悩みをオープンに語り合おうという企画です。