「見えているこの景色が、以前とはまったく違う」
判決後、ジャーナリストの伊藤詩織さんは、そう振り返った。
元TBS記者の山口敬之さんから性行為を強要されたとして、山口さんに慰謝料1100万円の損害賠償を求めた民事訴訟。12月18日に東京地裁で行われた判決で、鈴木昭洋裁判長は、山口さんに慰謝料など330万円の支払いを命じる判決を下した。
伊藤さんが司法記者クラブで、名前と顔を出して山口さんからの被害を訴える記者会見を行ったのは、2017年5月29日。
性被害を顔や名前を明かして告発するのが珍しかったこともあり、大きな注目を浴びたが、一方で心ないバッシングもあった。刑事告発が不起訴とされたこともあり、報道するメディアも少なかった。
判決後、東京地裁前で大勢の報道陣と支援者たちに囲まれて取材に応じた伊藤さん。涙ぐみながら「今後、同じような経験をした方々に、ぜひあたたかい声とあたたかい目で...。今後、このように孤立しやすい性暴力のサバイバーを、皆さんぜひ社会の空気から変えていけるようにあたたかく...」と言葉を詰まらせながら感謝の言葉を繰り返した。
「事実は真実であると認められる」判決で合意のない性行為と認定
開廷前から山口さんと向かい合う形で着席した伊藤さん。
背筋を伸ばして緊張した面持ちで真っすぐに前を見つめたが、目には涙が浮かんでいた。手に握りしめた小さなぬいぐるみにすがるように気丈に振る舞ったが、判決を聞き、ホッとした表情を浮かべ、裁判官に深く一礼した。
グレーのスーツにパープルの格子柄ネクタイで着席した山口さんは、開廷前は目を閉じて両手を組んでいたが、判決は無表情で聞いていた。
訴状などによると、伊藤さんは2015年4月4日の早朝、就職相談のために食事をした当時TBSのワシントン支局長だった山口さんから、意識を失った状態で性行為を受けるなどした。山口さんの「不法行為」で肉体的・精神的な苦痛を被ったとして、慰謝料1100万円の損害賠償を求めていた。
一方、山口さんは2019年2月、伊藤さんから名誉を毀損されたことで社会的信用や仕事を失ったとして、慰謝料1億3000万円や、謝罪広告の掲載を求めて反訴。このため、裁判では、山口さんの訴訟も合わせて審理された。
判決では「酩酊状態にあって意識のない原告に対し、合意のないまま本件行為に及んだ事実、意識を回復して性行為を拒絶したあとも体を押さえつけて性行為を継続しようとした事実を認めることができる」として、山口さんの不法行為が認定された。
また、山口さんの反訴については、「(伊藤さんが)自らが体験した内容やその後の経緯を明らかにし、広く社会で議論することが、性犯罪の被害者を取り巻く法的、社会的状況の改善につながるとして公表したことが認められる。公益をはかる目的だと認められる」として、山口さんの名誉を棄損する行為ではないと判断し、請求を棄却した。
さらに、伊藤さんが山口さんから受けた性被害を告発した内容について、「摘示する事実は真実であると認められる」とした。
実名をあげて被害告発「公共性および公益目的がある」
「すべての努力はジャーナリストになるために」
伊藤さんは、著書「Black Box」の中でこう記している。
ニューヨークの大学でジャーナリズムを学んだ後、トムソン・ロイターでインターンとして働いていた伊藤さんは、両親のすすめもあって正社員として就職できるメディアを探す中で山口さんと会食の機会を持った。TBS以外にも、複数の報道機関に応募していたという。
2017年5月の司法記者クラブでの会見には、「声を上げられる社会になってほしい」との思いで普段通りの服装で臨んだが、「シャツのボタンを留めていないのはおかしい」「笑っていた」など伊藤さんの主張を疑うような批判や脅迫のメッセージが届いた。しばらくは、食べ物が喉を通らず起き上がることができない日々が続いたという。
なぜ、性被害を訴える側が責められるのか。なぜ、勝手に「被害者」のイメージを決めつけるのか。伊藤さんは「おかしい」とずっと発信し続けてきた。
声を上げ続ける理由について、伊藤さんは2017年10月に日本外国特派員協会で行った記者会見でこう述べている。
「自分の中で唯一クリアだったのは、これ(自分の体験)が真実であり、自分でそれにふたをしてしまったら、真実を伝える仕事であるジャーナリストとしてもう働けないと思った」
伊藤さんが声を上げ続けたことについて、判決は「性犯罪被害者を取り巻く法的、社会的状況を改善すべく、自らが体験した性的被害を公表する行為には、公共性および公益目的があると認められる」と認定。
伊藤さんは、判決後に「長かったですね。でも、こうやって少しずつでも大きな変化が…」と涙ぐみながらも笑顔を見せた。
伊藤さん「孤独な気持ちになることがあった」
判決前、前夜はよく眠れなかったと明かした伊藤さんは、「刑事の時には、手に届かなかった情報や分からなかったブラックボックスがたくさんあった。民事訴訟のプロセスの中で出てきた証言や公になった事実があった」と訴訟の意義を語っていた。
ほぼ1日かけて行われた7月の本人尋問では、法廷で約4年ぶりに山口さんと対面。セカンドレイプのような質問に耐える場面もあった。
「尋問で顔を合わせるのは緊張していたけれど、相手方の表情を自分の目で見れたことは貴重だった」と振り返る一方、尋問前には体調を崩したことも明かし、裁判で見えた課題についても指摘した。
「支援してくれる方がたくさんいても、孤独な気持ちになることがあった。でも、多くの方が一人で経験していること。本当に負担が大きい。そういう負担を軽減していただきたい」
判決を受け、山口さんが当時在籍していたTBSテレビは「元社員の在職中の事案であり、誠に遺憾です」とコメントを発表した。
裁判で、山口さんは、伊藤さんとの性行為は認めたが、「彼女が明らかに性交渉に誘ってきているものと理解した」として合意の上だったと主張していた。山口さんは、法に触れるような行為は「行なっていない」として、伊藤さんの主張については「虚言」だと反論していた。
12月18日午後には、山口さんと伊藤さんはそれぞれ都内の別の場所で記者会見を開く予定だ。また、19日には外国特派員協会で、山口さんが午後1時、伊藤さんが午後3時からそれぞれ記者会見する予定となっている。