「かわいい」よりも「強い武器」を手に入れよう。年間4000人のオーディションを運営して思うこと

「かわいいか、かわいくないかという基準のないコンプレックスゲームに参戦してしまうと、本当にずっと地獄です」。ミスiD実行委員長を務めている小林司さんは指摘します。
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ミスiD2020の各賞授賞式の様子
写真提供:講談社

7月から始まった「コンプレックスと私の距離」で行ったアンケートの881人の回答を見ていると、「こんなにも自分の容姿に自信がない人が多いのか」と驚きます。

 その一方で、ミスコンやアイドルの人気投票のように、主に「容姿」で人に順位をつけるようなものも存在しています。こういうものの存在が、容姿に自信がない人たちを苦しめているのでは? 

そんな疑問を持った時、「ミスiD」というオーディションを見つけました。

「ミスiD」のホームページにはこんな風に書かれています。

 2012年にスタートしたミスiD。「iD」は「アイドル」と「アイデンティティ」。そして「i(私)」と「Diversity(多様性)」。

ルックス重視のミスコンとは異なり、ルックスやジャンルに捉われず、新しい時代をサバイブしていく多様な女の子のロールモデルを発掘するオーディションであり、生きづらい女の子たちの新しい居場所になることを目標とするプロジェクトです。

 2019年で8回目を迎えた「ミスiD」の発起人の一人であり、ミスiD実行委員長を務めている講談社の編集者、小林司さんに、容姿とコンプレックス、そして人の魅力とは何なのか聞いてみました。

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オーディションの様子
写真提供:講談社

コンプレックスは、社会のルールのなかで生まれる

――まずは、ミスiDをよく知らない人のために、どんなものなのか簡潔に教えてください。

ミスiDはとてもわかりにくいので、簡潔にと言われるととても難しいのですけれど(笑)。

2012年にスタートし、初代グランプリがまだ沖縄にいた14歳の玉城ティナで、その後、ネットの寵児になった”ゆうこす”こと菅本裕子や、少年院上がりでバラエティでブレイクした戦慄かなのなどを輩出しています。

「ミス」という言葉を冠しているので普通の「ミスコン」を思い浮かべる人もいるでしょうが、実際この顔ぶれを見てもわかるように、かなり違います。人を「容姿」で見るということではなく、「多様性」「多面体」として見ようと。一人一人が抱えている「才能」だけでなく、「生きづらさ」や「ネガティブな部分」もまるごと個性として見るオーディションだ、と考えてもらえたらと思います。

 

――確かに、わかりにくいですね。

そうですね。そもそもミスiDは、応募にあたってのNGを極力減らしています。引きこもりでも、金髪でも、タトゥーがあってもOK。国籍も問わず、30代でも大丈夫など。ただ「ミス」と謳ってる以上「既婚はダメ」などの最低限のルールもかつては存在していたんです。

そんな時、2013年のミスiDで、中村インディアという踊り子が既婚であることを隠して応募してきて、途中でバレてしまったんです。けれど、彼女のような人を既婚という基準に当てはめて落とすのはナンセンスだなと、失格にはせず賞をあげました。

以後、結婚していてもママでもOKになり、魅力的なトランスジェンダーの子が応募してきたことによってジェンダーもほぼフリーに。現在では「ルールよりも人を重視する」というルールに落ち着いてきています(笑)。

 詳しくは後でお話ししようと思いますが、コンプレックスは、「ルール」や「基準」によって生まれる「自分はNGなんだという感覚」から来るものだと思っています。

2019年の応募者の中に、顔を隠しているイラストレーターの子がいました。自分の顔が嫌い、絵で勝負したい、と。かわいい子なのですが、本人が絶望的なコンプレックスと感じてしまっているのであれば仕方がありません。でも、上手に顔を隠してくれるならオーディションとして成り立つのかなと。まずは、スタートラインには立ってほしかったので。

 

――とはいえ、ミスiDのグランプリほか、様々な賞をとっている女性たちは「かわいい」子が多いという評価もあると思います。

確かにそうかもしれません。でも「ミスiDはブスばっか」という声も同じくらいあるんですよ。これは「かわいいさの基準」はそれくらい多様で、いい加減なものなんだということの証明なのではないか、と思います。

また「中身重視だからかわいい子は選ばない」でもないんです。選考委員の吉田豪さんもよく言っているのですが、「ミスiDでは、ルックスも他の武器と同じく一つの武器にすぎない」んです。だから単純にルッキズムを否定する、みたいなことでもない。言ってしまえば、持って生まれたものの全部を肯定しよう、というだけで。かわいさって武器は案外弱いんですよ。

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選考をする小林司さん
写真提供:講談社

「かわいい」を横に置くと、魅力が重層化する

――先ほど、コンプレックスはルールとの兼ね合いで作られるとおっしゃっていましたが…。

ルールというのは、社会や世間が決めるものですよね。自分の外側にあるルールや基準に「満たない」とか「外れている」ところからコンプレックスは生まれると思います。それはルックスに限らず、例えば偏差値、学歴、家柄、裕福かどうかなども同様です。つまり全て他者との比較。

ミスiDの応募者の多くは、そういう社会のルールや他人との比較に自信をなくし、悪意ある他者の声に絶望し、ひいては世界との出入り口を自分で閉ざしてしまっています。

 でも、それはもはや「メンヘラ」とか言われるごく一部の変わった人たちの話ではなくなっていると思うんです。いまの日本の若い人たちは、SNSの普及でいつも誰かや情報と繋がっていて、ほぼノイズしかないんですよね。だから「ダメな自分」ばかりが肥大化していく。閉塞感や絶望感のない人なんて、いまほとんどいないと思います。

だからミスiDは、特別でマイノリティな女の子のオーディションではなく、今、日本で暮らす若い人なら誰でも行き当たる生きづらさと正面からぶつかっている新しいマジョリティのオーディションだと思っているんです。

あと、これまでミスiDをやってきて思うのは「かわいい」という問題を一旦横に置いてみると、その人の魅力が多面化、重層化していくということ。

 

――魅力の重層化?

今は「かわいい子はそれだけでハッピーな人生を送れる」という時代ではありません。世間で「かわいい」と言われるような子でも、もっとかわいくなりたいと願うし、比較からくるコンプレックスとはずっと戦わなければなりません。同時に、容姿とは別の複雑な悩みも抱えている。

だから、容姿はとりあえず横に置いて、自分の持っている魅力、武器を積極的に捉えてほしいなと思います。

芸能界で言えば、渡辺直美さんなんかはそれをいち早くやった人ですよね。「お笑い芸人」というレッドオーシャンではなく、競う人のいないブルーオーシャンに行った。世間一般のスタイルの基準は横に置き、「アメリカに行く」「エンタテインメントで勝負する」「自分の見せ方を徹底する」と明確に自分の人生をコントロールしています。武器とゲームプランがこれ以上ないくらいわかりやすい。

 

――そう言われても、容姿がコンプレックスと感じている人が「かわいい」を横に置くことは、ものすごく難しいと思います。

たしかに、すごく難しいことです。でもかわいいだけはどうしても相対評価が付いてきてしまいます。

でも「容姿」のコンプレックスが生まれる「基準」って、ほんとにいい加減だと思うんですよ。あたかも「かわいい」について一つの基準があるかのようにいつの間にか思ってしまっているけれど、ここに同席している僕やあなた、カメラマンさんの基準すら違うのだから、本当は一つの基準なんて存在しない。そうやって、自分の常識を強くシフトすることがまず第一歩なのかなと。

容姿だけじゃなく「成功している、していない」「年収が多い、少ない」というような社会の中でルールがあるように思われていることもありますよね。

 

――ミスiDは、そういう常識みたいなものを疑うオーディションということですか?

ミスiDは「考える場所」だと思っています。とりあえず「世間一般の基準」は一旦横に置いて、自分の頭で自分のいいところや何が本当は足りないのかを考えていく。武器はなんであり、自分の生きていく場所はどこかを。

ミスiD を8年見ていていちばん思うのは、自分では短所だと思っているところが長所だということが多い、ということです。けれど、ずっと否定されてきているから、本人はそれがわからない。

だから、ミスiDではそこを大いに褒めます。めちゃくちゃ褒める。だって、短所や、どうしてもダメな部分の中にこそ武器は隠れているので。

 かわいいか、かわいくないかという基準のないコンプレックスゲームに参戦してしまうと、本当にずっと地獄です。だから、その基準を自分に引き寄せてほしい。自分のかわいさは自分で決めると。

でもそれができないなら、その戦いでボロボロになる前に、この社会における自分の居場所を探す戦いにゲームチェンジしてほしいんです。

 そのロールモデルを増やすために、毎年4000人近い応募者の書類を読み、ファイナルに残る100人以上とはさらに時間をかけて向かい合っています。もう8年目なので、ファイナリストだけでも通算500〜600人。できる限り一人一人向き合ってきたつもりなんですが、物理的だったりいろんな理由で、実際にはそれができてないというのが最大のもどかしさですけど。

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ミスiD 2020 グランプリに輝いた嵐莉菜さん
写真提供:講談社

かわいくあることを謳歌するのも素敵なこと 

――先ほど、顔を隠している応募者がいるとおっしゃっていましたが、他にはどんな応募者が?

今年のグランプリの嵐莉菜は、ドイツ、イランなど5カ国のマルチルーツを持つ15歳です。かわいさのグルーバル化の象徴になるんじゃないかと思います。

そして、去年の「ミス東大」グランプリになった、えに。彼女はミス東大という肩書きの苦しさから逃げるようにミスiDに応募してきたのですが、「ミス東大」と他人からは才色兼備の頂点にしか見えないわかりやすい物語すら機能しなくなっていることの象徴だと思うんです。

また、アシュリーというコンゴとのハーフの女の子が書いた「保育園の頃、お絵かきの時間で疑いもなく肌色で自分の似顔絵を描いてた」で始まるnoteも話題になりNHKやネットメディアが取材に来たりしました。傷つかないように遠ざけてきた自分のハーフというコンプレックスと、ミスiDを通じて向かい合うようになった女性です。 

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アシュリーさん
写真提供:講談社

他にも、「ミスiDは社会から傷つけられたマイノリティが、マイノリティな部分をあらわにして、賞という形で肯定され、変な人のまま回復していく。そんなことがよく起きていると思います」という文章を応募書類に書いてきた高校生がいました。

僕なんかよりもずっと上手にミスiDというものを言語化してくれていて、すごいなと思いました。コンプレックスを完全に克服するなんて無理だと思うんですよ。だから、変な人、変わり者でいいんじゃないかと。変な人のまま回復していくってとても未来的だし、優しくていい言葉だなと思います。ほんとはみんな変な人なのですから。

窮屈になっていく一方の社会で、正しさだけを求められ、追い込まれていく若い世代に、大人が何の手も差し伸べないというわけにはいかないのではないでしょうから。

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ミスiD実行委員長・小林 司さん
撮影:武田裕介

――そういった考えを持った小林さんの目には、ミスコンやアイドルの人気投票はどう映るのでしょうか?

 僕は基本的にいろんな価値観があるのが楽しい、もしくはそれで初めて息ができるいい加減な人間なので、別に嫌いじゃないですよ。歌舞伎とかプロレス、宝塚、ジャニーズみたいに「クラシックな価値観」だからこそ与えられる感動も大好きなので。

 だって、もしも「ルッキズムは死んでもダメ」となると、それはそれで、新たなルールになってしまい、別の閉塞感を生んでいくと思うんです。かわいくあることを純粋に謳歌するのだってとても素敵なことのはず。

髪型やファッション、メイク一つとっても形や色など女性は生き物としてのバリエーションが純粋に豊富で、例えば変わりたいと思った時にもそれらを駆使して大きく変化できる。そういった女の人のルックスに表れる多様さや幅みたいなものは、やはりすごく魅力的だと思います。

 「こうなりたい」「かわいくなりたい」という理想を追い求めるからこそ生まれるポジティブな気持ちであれば、コンプレックスにはならないはずです。でも、他人と比べて、引き算をしちゃうと一瞬でネガティブなコンプレックスになります。それは誰にでも言えることですが。

 だからこそミスiDは、コンプレックスを生み出す画一的で窮屈な美の基準ではなく、多様な美のあり方、人生のあり方の共有を目指すオーディションでありたい。そして「どんな肌も、どんな髪も、どんなスタイルも、どんな年齢も、どんなファッションも、どんな人生にも、どんなダメさにもそれぞれに美しさがある」と伝え続けていきたいんです。

 

ミスiD2020の結果はこちらから。

 

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ハフポスト日本版

コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
乗り越えようとする人。

 

コンプレックスを突きつけられるような場所、人から逃げる人。
自分の一部として「愛そう」と努力する人。
お金を使って「解決」する人…。

 

それぞれの人がコンプレックスとちょうどいい距離感を築けたなら…。そんな願いを込めて、「コンプレックスと私の距離」という企画をはじめます。