毎日泣きながら学校へ通い続けた 私が、「不登校」を選べなかった理由

「できない子」の私が、学校を休んで一息つく、なんてことはしちゃいけないと思い込んでいた。
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川﨑はるかさん
不登校新聞

今回インタビューしたのは、川﨑はるかさん(26歳)。はるかさんは不登校経験はないものの、小学校から高校まで、ずっと学校生活に苦しんできたという。学校についての思いや、今現在の気持ちなどを、話していただいた。

* * *

――はるかさんにとって学校はどういうものでしたか。

私にとって小学校から高校までの学校生活は、とにかく苦しい場所でした。

幼稚園は、インターナショナルスクールに通っていました。そこはものをつくったり、表現をするということを大事にしている幼稚園で、のびのびとした雰囲気があり、楽しかったんです。

しかし、そんな自由な幼稚園から小学校に上がって、すごく違和感を感じました。

一つの文字をひたすらくり返し書くとか、暗記して覚えるとか、そういう勉強のスタイルに対して「なんで個性にこんなにフタをして、自分の頭で物を考えさせないような教育をするんだろう」と思いました。
 
私は学校が求める「勉強」ができませんでした。とくに漢字を覚えるのが苦手で「このままじゃダメだ。勉強しなきゃ」と思っても、テストでビリになるプレッシャーからか、まったく手につかず、成績は上がりませんでした。

先生からは「この子はできない子だなあ」と見られていたと思います。だから、先生のことが怖くて、信頼することはできませんでした。

 

人間関係も

また、同級生との人間関係も苦しいものでした。

クラスでは、発言力の強い子にみんながついていくようなところがあって、その子に従わない子はクラス中から白い眼で見られます。

私は最初「そんなの気にしないし」と思って、みんなに合わすことをしないですごしてきました。

すると、仲間はずれや無視などのイジメを受けるようになりました。小学校を卒業しても、中学、高校と、いじめはずっと続きました。

しだいに私は「自分はダメな人間なんだ」と思うようになっていきました。勉強はできないし、クラスメートからは、私が何をしても、学校が変わっても仲間はずれにされるんです。

どうしてそんなことになるのか。それは「自分がダメだからだ」、という理由でしか受けとめられませんでした。

「私はダメな子」。それが小学校から高校までを通じての自己イメージだったんです。

――そんなにつらいなかでも学校へ行き続けたのはなぜですか。

行きたくはなかったんです。でも、それはできなかった。「私みたいにダメな子は、学校を休んで一息つく、なんてことはしちゃいけないんだ」と思い込んでいたんです。

学校へ行って、勉強ができるようになって、みんなから認められていじめられないようになって、そしてちゃんとした大人になる。

それ以外の道は私には見えませんでした。楽しくて笑える人生も世の中にあることはわかっていました。

でも私は「できない子」だから、今のつらさを乗り越えなきゃ楽しい人生は歩めない。だから「がんばって戦わなきゃいけないんだ」、そう思っていました。

私にとって学校へ行かないのは「戦うのをやめる」ということで、その選択をしたら、その後に何が待っているのかまったくわからないことが怖くて、「行かない」ということはできませんでした。

だから毎日、泣きながら学校へ行き続けました。小学校から高校まで、ずっとそれが続きました。

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川﨑はるかさん
不登校新聞

なんとか空想で気持ちの整理を

――とても苦しい状況でしたね。自分のつらい気持ちはどうやってコントロールしていたんですか。

いろんな空想をして、なんとか気持ちをそらしていました。私は物語がすごく好きなんです。

だから、自分がお姫様になって人助けをするとか、そういうことばかり考えていました。頭のなかのことなら誰にも見られないし、自由でしたから。

ミュージカルや演劇も大好きで、それが心の支えになっていました。実際に6歳のころからミュージカルやダンスのレッスンを受けていて、数年前まで続けていました。

13歳のときには有名なミュージカル「アニー」に出演したこともあったんです。1万人のなかから、28人しか選ばれない子役です。パンフレットにも写真と名前が載りました。

「いじめられている私でも、『アニー』に出られるんだ!」とすごく勇気がもらえた出来事でした。

しかし、レッスンやお芝居で一時的につらさを忘れられても、明日にはまた学校へ行って、つらい思いをしなきゃいけない。

だから、ミュージカルで学校生活での苦しさがなくなる、ということはありませんでした。

そんなつらそうな私を見かねたのか、両親は「無理してまで学校へ行かなくていいよ」と言ってくれていました。

でも私は、「自分はダメな人間だから行かなきゃいけない」という考えで心が凝り固まっていて、両親の言葉は耳では聞こえていたけれど、心までは届きませんでした。

 

転機になった“自分リセット”

――「自分はダメだからこうしなきゃ」という考え方は、26歳になった今は変わってきましたか。

はい、少しずつ変わってきました。きっかけは「自分リセット」でした。ミュージカルを、2年前に一度、全部やめてみたんです。

当時、舞台に立つのはすごく楽しかったのですが、演技のレッスンがとてもつらくなってしまったんです。

「ミュージカル女優になってほしい」という両親の思いが強く、そのプレッシャーをずっと感じていたし、自分が本当にやりたいことはなんなのかわからないまま、女優を目指すのが自分に課された使命のように感じてしまって。

そうした状況がイヤになって、レッスンを全部やめて、一度、ミュージカルから離れることで自分を「リセット」してみたんです。

これまでの人生をふり返ってみると、私はずっと他人のためにがんばっていたんですね。

いじめられたくなかったから、怒られたくなかったから、どうしたらクラスメートに気にいられるか、どうしたら良い子にみられるか、ずっと考えていました。

でもある日、思ったんです。「他人のためにがんばったりしんどくなったり、そういうのはもうちがうよ、幸せに続く道じゃないよ」って。

それからは「私は何が好きなんだろう」と頭の片隅で考えながら、いろいろなことをやってみるようになりました。

絵を書いたり、好きな人のブログを読んだり、いろんな物を集めたり、好きな場所に行ったり。『不登校新聞』の「子ども若者編集部」に関わりだしたのもそのころです。

自分を大事にして、自分の思いにしたがって好きなことを追及してみたら、やっと、「楽しいってこういうことなんだな」ということがわかるようになりました。

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川﨑はるかさん
不登校新聞

学校へ行かないだけが不登校?

――そんなはるかさんが、これからやってみたいことは?

不登校のことが語られるときって、学校へ行っていない子のことだけが問題にされがちですよね。

でも、私みたいに、苦しくてしょうがないけど学校へは行っていた人たちのことも、もっと知ってほしいし、考えてほしいと思うんです。

そんな、かつての私と同じ状況にいる子どもたちのために何かしたいと思っています。

『不登校新聞』で以前、私の経験と、「不登校とは言えないけれど苦しんでいる子」のことを書けたときは本当にうれしくて、夢がひとつ叶ったと思いました(本紙510号掲載)。

これからはイベントを主催したり、インタビューをする側になるなど、やりたいことはたくさんあります。

今苦しんでいる子たちに、「あなたが感じていることや思っていることはまちがってないよ」と思ってほしいんです。

そういうことを言ってくれる人が1人いるだけで、すごく救われるから。どうか自分を大切にしてあげてほしいな。

それが、「学校で苦しんできた先輩」から伝えたいことですね。 

――ありがとうございました。

(聞き手・遠藤優花、編集・茂手木涼岳/写真・矢部朱希子)

(この記事は2019年12月12日不登校新聞掲載記事『毎日泣きながら学校へ通い続けた 私が、不登校できなかった理由』より転載しました)