「SNSから始まる恋愛・結婚」は、アリか?ナシか?
「ナシ。私は“普通に”出会いたい」。
かつて、そう望んでいた。
そんな私がTwitterで知り合った男性と、出会った翌月には婚約するなんて……。きっと10年前くらいの私が聞いたら、パニックになるだろう。
そして今年の6月、私たち夫婦は様々なジャンルの「王道」を歩まず、「その他」を選択した人たちが特集される、TBSの「その他の人に会ってみた」というテレビ番組に出演。そのとき”Twitterで出会って結婚した、出会いが「王道」ではない「その他」の夫婦”として紹介された。
「ネット上ではなく、現実世界で出会うことが普通」だった時代もあった。
しかし昨今では、その普通の概念が徐々に溶けはじめている。SNSやマッチングアプリで異性と出会い、カップル成立、そして私たちのように結婚に至るケースは全くといっていいほど、そんなに珍しくない。共通の趣味や好きなこと、同じような価値観を持つ人と気軽につながることができるSNS。
実際にSNSがキッカケで結婚した私たちは、どのように出会ったのか?そこからどう恋愛に発展したのか?馴れ初めを綴っておこうと思う。
シンガポールで住み歩きをしていた
私は、2018年の6月から、海外で”住み歩き生活”をスタートさせていた。”住み歩き生活”とは、1週間、長くても数ヶ月、中長期的にシェアハウスに滞在し、また新しい家を求めて移動していくこと。今、若者中心に流行っている「アドレスホッパー」の海外版といった感じだ。
住み歩きをはじめてから、ただなんとなくアカウントだけ持っていたTwitterのアプリを叩き起こし、ちょくちょくツイートするようになった。私と同じようなライフスタイルで生きる旅人と、ゆるくつながれるツール。どんなに寂しいときも、Twitterを開けば「私は1人じゃないかもしれない」と、ほっこり勇気付けられていた。「日本に帰国するときは、どこでも会いに行くよー!」と言ってくれる、新しい友だちもできた。
日本を出てから2ヶ月後。シンガポールにいた私は、歯医者に行きたくて一時帰国することにした。滞在期間は1ヶ月ほど。そのあと行く予定の香港行きチケットも手配しておいた。
そして、「8/17、日本に一時帰国します!会える人は、新宿で会いましょう!」と、少し胸を躍らせながらツイート。足取りは軽やかに、日本行きの飛行機に乗り込んだ。新宿がこんなにも待ち遠しい街になるなんて、初めてのことだった。
待ち合わせは、新宿のとある行きつけのカフェ。オーナーや常連さんとも顔なじみだった。そこでツイートを見てくれた数人の友だちと、初めましての人たちも会いに来てくれた。その中に未来の夫・菅原拓也は、いた。
新宿で会った未来の夫。第一印象は、“弟”
拓也と実際に顔を合わせるのは、これが初めてだった。第一印象は、「Twitterのアイコンと同じ顔の人がきた」。5歳年下、というのもあって、恋愛対象ではなく、どっちかって言うと弟枠。
一方、彼は、私と同じようにフリーランスでリモートワークをしていて、場所を固定せずにいろんな環境で仕事をしようと思っていたらしい。そして、それを実践していた私をTwitterで発見。(アイコンの顔がタイプだったからフォローしたという下心は後日談で聞くことになる。)
シンガポール滞在中、私がツイートしたとき、拓也が「情報位置は隠した方がいいよ、女性1人だと危ないから」とDMで注意してくれたことがあった。それに対して「優しいね、結婚して」と少し雑に返したのは、拓也との「結婚」がジョークになるほど「ありえない」と思っていたから。会ってみても、それは変わらなかった。ただ誠実そうで、少しシャイな、弟。
帰国した私のために、新宿に集まってきてくれた人たちは「終電だから」とどんどん帰っていったのに、なぜか弟は帰らなかった。埼玉の山奥で一人暮らし、とっくに終電を逃したらしい。「自由に使っていいよ、鍵だけ閉めてポスト入れといて。」と言い残し、カフェのオーナーも去っていった。
初対面の男性と深夜のカフェで2人きり。急に押し寄せてきた警戒心と、飛行機での長旅からくる疲労感。「あんまり近寄るなよ」オーラを放ったまま、私はカフェのソファーでいつの間にか眠りに落ちていた。
翌朝。窓から差し込んでくる朝日で目が覚めた。
ここは……新宿のカフェか……。
あ、拓也は?……少し離れたソファー席で、パソコンを開いて仕事をしている。
「おはよう。めっちゃイビキかいてたよ。疲れてたんだね」。
「あぁ、なんか息苦しかったな」。
「それは、うるさくて俺が鼻つまんだからかな」。
あ、この人、心配になるようなことは何もしてこなかった。良かった。そんな安堵感と、せっかく来てくれたのにそこまで大した会話もせず、バリアを張ってしまった申し訳なさに包まれていた。もしかすると本当に、誠実な人かもしれない。まだよく分からないけど。
そんなことを思いながら私は言った。
「午前中、美容院予約してるんだ。そのあと時間あったらランチしよう。水餃子食べたい」。私からのお誘いに、拓也は嬉しそうだった。
美容院に行っている間、拓也は近くのスタバで仕事をして待っていた。こうして、さらっとスタバで時間を過ごせる人ってなんだか気が合いそう。「お待たせ!」と、私の全荷物が入った大きなキャリーバッグを引きずりながら登場すると、それを拓也がスッと持ってくれて、レストランに向かった。単純だけど、こういう優しさに私は弱い。お店に入ると、今度は店員さんに頼んでブランケットを持ってきて、私の膝元にかけてくれた。もう一度言うが、私はこういうシンプルなことに弱い。いやいやいや。彼はなんて”気の利く弟”なんだと、頭の中を変換した。
ランチをしたあと、帰国をしてからお風呂に入れていなかった私は、新宿にある温泉施設「テルマー湯」に行くと言ったら、どういうわけか、拓也も一緒に行くことになった。女湯と男湯で、二手に分かれる。「じゃあね、バイバイ!」と爽やかに手を振って、女湯に入っていった。そのとき拓也は「ありがとねー!」と言ったけど、一瞬だけ見えた表情は「え?これは本当のバイバイ?」だったような気がした。そして私も思った。あれ?これでバイバイ?颯爽と立ち去ったものの、これでもう最後だったのかと思うと、名残惜しいような……。旅特有の、一期一会だ。そのちょっとした寂しさも洗い流すかのように、シャワーを浴びて、その日も例のカフェに向かった。
拓也から、TwitterのDMが届いていた。「てか、リアルえりさん可愛かったな!」。
会っているときは、そんなこと1ミリも言ってなかったのに。つくづく、シャイな奴だな、と思いながら、ちょっと嬉しかった。カフェに行くと、昨日も一緒に話していた常連さんが「拓也くんにデザインの依頼をしたいんだけど、連絡先聞くの忘れちゃった」と言うから、「仕事を依頼したいっていう人がいるから、今日もカフェに来れる?」と拓也にDMした。
今夜も一緒に過ごせる、と思うと、なんだか楽しかった。オーナーはその日も、鍵を置いて終電で去っていく。今度は拓也と常連さんと私で楽しいお酒を飲み明かしたあと、またカフェで寝泊りした。
新宿での対面から1ヶ月で、プロポーズ
そして出会って3日目。朝、拓也はスマホを片手に、私にこんな提案をしてきた。
「実はこれから仕事で四国なんだけど、車で行こうと思ってる。良かったら、一緒に乗っていかない?」
二つ返事で「いいよ」と答えた私に拓也は、本当にいいの?と言わんばかりに、すっとんきょうな顔をしていた。
OKした理由は、日本にいる間、どう過ごすか全くノープランだったし、日本のいろいろな場所を周れるのは楽しそうだから。それに、拓也は悪い人じゃなさそうだったから。
車で新宿を出発した翌日、私たちは大阪にいた。車の中でも、食事中も、ずっと拓也と一緒に過ごして、とにかく思った以上に楽しかった。初めて「たくちゃん」と呼んだとき、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた姿は、なんだか愛くるしかった。
拓也は、どうやら私のことが好きみたいだ。でも私は来月、また海外に行く。それを察してか、彼がもどかしさを隠しているようだった。
「たくちゃんてさ、私のこと好きでしょ」。
大阪で泊まったゲストハウスのドミトリーの部屋で、私は唐突に言った。
「はい……。恋愛感情があります」という真面目すぎる彼の回答に、愛おしさを感じてしまった。
翌日、USJで初めて手をつないだ。その日、拓也が「付き合いたいです。」と言った。
恋人同士になった私たちは、そのまま四国、関西、東海を車旅。
そして翌月にはプロポーズ。これを、人生最後の恋愛にしたい。私はそう思った。
香港行きの飛行機は払い戻しできなかったけど、乗らないことに決めた。
これが私たちの、バンライフと恋愛のはじまり。どれだけお互いを愛せるか、も大切だけど、どれだけ同じ夢を持っているかが、私が結婚するにおいて大切にしたかったこと。同じ好きなこと、価値観、夢。それを重ねられる場所が、たまたまTwitterだっただけなのだ。