1941年12月7日午前7時55分(日本時間8日午前3時35分)。日本軍による真珠湾攻撃で、アメリカ海軍基地から白煙が立ち上った。
太平洋戦争の開戦の火蓋を切ったあの日から、きょう12月8日で78年目を迎えた。
当時、現地では何が起きていたのか。現存する資料写真とともに振り返る。
最初の攻撃対象とされているのは、真珠湾内にあるフォード島基地や、オアフ島本島のヒッカム飛行場。日本軍の航空部隊が奇襲で爆弾を投下すると、爆発・炎上し、白煙が立ち上った。
●奇襲攻撃を受けるフォード島基地
●真珠湾に臨むヒッカム飛行場から、白煙が立ち上った
●ヒッカム飛行場の11番格納庫
●爆破された後、ヒッカム飛行場にたどり着いたアメリカ軍の爆撃機
その後、太平洋艦隊が誇る「カリフォルニア」「ウェストバージニア」「オクラホマ」そして「アリゾナ」といった戦艦、駆逐艦「ショー」も標的となった。
日本軍機が投下した爆弾や魚雷によって爆撃され、辺りはまたたく間に黒煙に包まれた。犠牲者はアメリカ側の約2400人に対し、日本側は約60人だったという。
●戦艦「ウェストバージニア」が炎上
●爆撃され、沈む戦艦「アリゾナ」
●駆逐艦「ショー」爆発の瞬間
真珠湾攻撃に向けて、日本軍は入念な準備をしていた。主要基地である真珠湾を攻撃することで、アメリカ人の戦意を喪失させ、短期決戦を狙っていた。後に真珠湾攻撃で撃墜された日本軍機からは、アメリカ軍の戦艦の配置を示した図も見つかっている。
奇襲により、アメリカ軍の戦艦8隻を撃沈または行動不能とする戦果を挙げた。だが、その後に引き上げられた「ウェストバージニア」を始め、6隻が戦列に復帰。空母3隻はハワイを離れていたため無傷で、決定的なダメージを与えることはできなかった。
●空母から出発の準備をする日本海軍の九九式艦上爆撃機
●真珠湾攻撃に向かう戦闘機を見送る空母「翔鶴」の乗組員
●山本五十六海軍大将(1940年)
●アメリカ軍の船艦の配置を示した図
開戦通告が遅れて「騙し討ち」となった真珠湾攻撃は、アメリカの士気を高める結果となった。アメリカ政府は「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」とスローガンを掲げ、開戦ムードへと傾いた。
そして真珠湾攻撃の翌日8日。フランクリン・ルーズベルト大統領は日本への宣言布告の署名をし、ここから3年9カ月に及ぶ太平洋戦争に突入して行った。
●フランクリン・ルーズベルト大統領
【参考文献】
・「図説 太平洋戦争 16の大決戦」(編:太平洋戦争研究会、著:森山康平、河出書房新社)
・「図説 太平洋戦争」(編:池田清、著:太平洋戦争研究会 、河出書房新社)