パートナーが異性でも同性でも、堂々と親のもとに連れてきてほしい。
もし友人がパートナーを連れてきたら、相手の性別がどうあれ祝福できる人であってほしい。
娘がまだ0歳のころから、こんな願いを抱いてきた。
娘は、セクシュアル・マイノリティかもしれない。
娘は、同性を愛するかもしれない。
もしそうだとしたら、きっと生きづらさを感じることがあるだろう。それでも、親が小さい頃から伝えていけば、自己肯定していけるのではないか。
そう考えていた私が見えない壁の厚さに気づいたのは、娘が1歳になる前のことだ。
娘を連れて通う児童館は、ディズニー作品などのプリンセスに憧れる幼女であふれていた。
瞬時に悟った。小学校入学前後の女の子にとって、おそらく「王子と姫の恋物語」は“絶対的正義”なのだ。そして娘は、そんな世界観に触れながら生きていく。
3年以上、ずっと頭を悩ませてきた。
かわいいプリンセスたちの魅力的な物語が、知らず知らずのうちに、子どもたちに価値観の呪縛を植え付けることにはならないだろうか。どうしたら、その呪縛を解くことができるのだろうか。
プリンセスに熱狂する1歳児
娘が最初に好きになったプリンセスは、ディズニー映画の『アナと雪の女王』のエルサだ。1歳半のときだった。
きっかけは、保育園の一つ年上の女の子。『アナ雪』ファンの彼女に憧れ、主題歌の「Let it go~ありのままで」を口ずさむようになったのだ。
数日後、娘は初めて観たプリンセス映画にたちまち魅了された。
来る日も来る日も映画を鑑賞し、「ありのーままのー♪」と口ずさみ、エルサになりきって雪を降らせた。水色のものばかりを好むようになり、雪の結晶のマークを見つけるとうれしそうに笑った。
驚いた。ディズニーのプリンセスは、まだ言葉もうまく話せない子どもを虜にしたのだ。
以降、娘は保育園の上級生や先生たちから次々とプリンセス情報を吸収し、ディズニー文化を学んでいった。
図書館でも、ミッキーマウスのマークがついたディズニー絵本に敏感に反応するようになる。アニメを書籍化した絵本を通して、『シンデレラ』や『眠れる森の美女』『白雪姫』『リトル・マーメイド』などのおとぎ話に触れていったのだ。
魅力的なプリンセスたちが植え付ける“女性像”
さらに、娘を持って驚いたことのひとつが、幼い女の子たちのプリンセスマニアぶりだ。
最初に発見したのは、児童館や公園で目にする幼い女児の多くが、水筒やタオル、かばん、洋服、文具など、何かしらのプリンセスグッズを身につけていることだった。
ハロウィンのイベントに足を運べば、幼女の半数ほどは小さなシンデレラやラプンツェル、ベルなどに扮装していた。雪の日に実家に泊まったときは、隣の家からエルサに扮した女の子が飛び出してきて驚いた。
女児たちが、日常的にディズニーのアニメシリーズや映画に触れていることもわかってきた。休日でなくとも気軽にディズニーリゾートに足を運び、誕生日をディズニーランドなどでお祝いする“誕生日ディズニー”なる習慣を持つ子もいると知った。
娘の友人の家には、ディズニープリンセスの小さなドレスがズラリと並んでいる。仲良しグループで集まれば、その様子はさながら小さなプリンセスたちのティーパーティーだ。
遊びの予定がある日は、我が子も朝からいそいそとエルサのドレスに身を包む。
子どもたちがプリンセスに心惹かれる理由は、よくわかる。
私から見たってプリンセスたちはとてもかわいいし、髪型もドレスもアクセサリーもすてきだ。運命の相手にだって、巡り会えたら幸せだよね、とも思う。
だが一方で、彼女たちの物語が、現代ではさまざまな問題を含んでいるのもまた事実だろう。
例えば、『シンデレラ』では貧しい少女のシンデレラが舞踏会で王子に見初められて結婚する。『リトル・マーメイド』の主人公アリエルは、王子と再会するために自らの“声”を差し出してしまう。呪いで眠ってしまった『眠れる森の美女』のオーロラ姫は、かつて彼女に一目惚れした王子のキスで救われる。
こうした物語が束になれば、すてきなプリンセスの物語も呪縛に変わる。
選ぶのは男で、選ばれるのは女。
救いにやってくるのは男で、救われるのを待つのは女。
女の価値は若く美しいことであり、男の価値は強く賢くたくましいことである。
そして、男女は結婚して、めでたく物語を終える――。
これまでも指摘されてきたとおり、こうしたおとぎ話の典型パターンには、そこに当てはまらない多くの人を抑圧し、苦しめてきたという側面がある。
ある友人は、『シンデレラ』の物語を信じていた少女時代、女性は美しくないと選ばれる価値がないと思いこんでいて苦しかった、と教えてくれた。
アップデートされる現代のプリンセス像
うれしそうにプリンセスの話をする子どもたちを見るたびに、彼女たちが将来、その典型パターンにとらわれるかもしれないと思って、胸が痛くなる。
もちろん、現代のプリンセス像は、年々アップデートされてきている。
例えば『美女と野獣』のベルは、本好きで知的な女性として描かれている。『塔の上のラプンツェル』のラプンツェルは、自らフライパンを武器にして戦う女性だ。『アナと雪の女王』のエルサは自らを解放し、アナとの姉妹愛を証明した。
最近の子ども向けディズニーアニメでも、新しいプリンセスの物語が提案されている。
『ちいさなプリンセスソフィア』は、母親の再婚によってプリンセスになったソフィアの成長物語だ。そのスピンオフ『アバローのプリンセス エレナ』のエレナは、両親を亡くした優しく勇敢なラテン系の王女である。
プリンセスに憧れ、励まされ、癒やされてきた“もと女の子”の存在
それでも楽観視できないのは、じつは親世代の「王子と姫の恋物語」への親近感のせいだ。
彼ら、彼女らは、小さな頃から家族でディズニーランドに出かけ、友人や恋人とディズニー映画を鑑賞した世代。東京都内、近郊に住んでいれば、放課後にディズニーを楽しんだり、グッズを買うためにディズニーストアに通ったりもしただろう。
いま子育てしているママたちのなかには、プリンセスたちをよき心の友人として年を重ねてきた人も少なくなさそうだ。プリンセスたちの美しさにドレスに憧れ、ときにその恋を夢見て、かわいいグッズを携えてきた“もと女の子”たち。
もしかしたら、プリンセスたちは恋や勉強や仕事に疲れた彼女たちの人生に寄り添い、癒やし、励ましてきたかもしれない。ママたちは、いわゆるシンデレラストーリーに心のどこかで憧れ、若さや美しさによって王子に選ばれる価値観を信じてきたのかもしれない。
だからこそ、自分の娘と一緒にプリンセスストーリーを鑑賞したり、プリンセスグッズを買い与えたりすることに、ためらいがないのだと思う。アンパンマンやプリキュアもいいけれど、慣れ親しんだ自分の好きなコンテンツを子どもと分かち合いたいという気持ちは、よくわかる。
そこには、悪気はない。代わりに、今日的なジェンダー意識もほとんどない。
同性同士で愛し合っても、王子も姫も幸せになれる
娘の日常に疑問を抱えつつも、どうすればいいかわからないまま3年が経っていた。
そんな私に希望の光をともしてくれたのは、一冊の絵本だった。
『王子と騎士』(ダニエル・ハーク/オークラ出版)と出合ったのは、2018年9月。
娘の友人の誕生日プレゼントを選ぼうと、駅ビルの書店に立ち寄ったときのことだった。たまたま目をやった翻訳絵本の棚に刺さっていたのだ。
タイトルを見て手に取ると、表紙の挿絵のすばらしさにすぐ魅了された。ページをめくり、物語を読み終わる頃には、私の心は明るい希望で満たされていた。
帰宅して調べてみると『村娘と王女』(ダニエル・ハーク、イザベル・ギャルーポ/オークラ出版)という姉妹作もあるとわかり、さっそく取り寄せた。
2019年8月に発売された『王子と騎士』『村娘と王女』は、タイトル通り、王子と騎士、村娘と王女の物語だ。
前者は、王国を荒らすドラゴンに立ち向かう王子が、通りかかった騎士に助けられ、恋に落ちる。後者は、王子の花嫁を探す舞踏会に赴いた村娘が、バルコニーで出会った王女と運命の出会いを果たす。そして、その恋は周囲から大きな祝福を受けるのだ。
彼らの物語は、まるで典型的なプリンセスたちの物語をなぞりながら、立場やセクシュアリティを越えて多様な愛のかたちを提案しているように映った。
おとぎ話の世界観をアップデートしながら子どもたちの心に届く、そんなLGBTQ絵本にやっと出合えたと思った。
絵本全体から、ジャンダー規範からの解放、そして多様性への許容を感じられたのもよかった。
姉妹作の『村娘と王女』は、それがより顕著だ。例えば、主人公の村娘はもともと王子の戦友であり、左目に傷跡を確認できる。王女は、女性が苦手とされる天文学を好み、2人の容姿はいわゆる“美しさ”を体現したものではない。またこの王国自体が、さまざまな人種の入り交じったマルチ・レイシャルな国だったのだ。
あの夜、私は娘を膝に乗せ、買ったばかりの『王子と騎士』を読んでみた。
最後まで黙って聞いていた娘は、「ふーん」といった様子でページを閉じた。続いて、いつもの調子で「もっかいよんで~」とねだる。気に入ったのだ。良かった。
ほっとすると同時に、「そうか、これは彼女にとって“特別な物語”でもなんでもないのか」とドキドキしていた自分を恥じた。
今、娘の本棚には、『シンデレラ』『アナと雪の女王』『王子と騎士』『村娘と王女』が、平和に肩を並べている。そして、娘はそれらを普通の絵本として愛読している。
プリンセスに憧れる女の子はいてもいい。
ママたちも、プリンセスに救われた過去を否定しなくていい。
でも、プリンセスたちの恋愛物語だけが“正義”じゃない。
誰を好きになってもいいし、誰しも好きな相手にアクションをとっていい。
幸せなカップルのつながりは、祝福されるべきである。身分違いの恋もいいし、いわゆる男らしさ、女らしさだけが人間のあるべき姿ではない。
『王子と騎士』と『村娘と王女』が、多くの子どもたちの未来を明るく照らしますように。
プリンセスを大好きな女の子たちが、この物語にも出会えますように。
――「愛のための戦いで、ドラゴンよりも恐ろしい敵を目の前にしている人々に捧げます」(原作者・ダニエル・ハーク)。
(文:有馬ゆえ 編集:笹川かおり)