格差・貧困社会を生きる私たちの“路上鍋”。「高円寺再開発反対パレード」から見えたもの

高円寺が「普通の町」になることへ反対する人々の、1日を追った。
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高円寺のイメージ写真
kanzilyou via Getty Images

なんとも高円寺らしいデモだった。

それは11月10日、高円寺で開催された「高円寺再開発反対パレード」。その名の通り、高円寺の再開発を阻止しようと企画されたサウンドデモである。

高円寺再開発問題については、この連載でも何度か書いてきた(再開発「ちょっと待った」イベント、昨年の再開発反対パレード)。

日本でもっともカオスを極めた街。平日昼間から泥酔してても誰も気にしない街。というか平日昼間から飲み屋が営業してる街。駅前の路上で常に誰かが酒飲んで寝てる街。そして3・11後、全国に先駆けていち早く「原発やめろデモ」が開催された街。酔っ払いとパンクスとデモが名物の高円寺は私にとっても非常に重要な場で、高円寺の、焼き鳥屋とタバコの煙の混じった綺麗な空気を吸うだけで「ちゃんと生きよう」とか「未来に備えて貯金しよう」なんて気持ちが一瞬で吹き飛び、いろいろどうでもよくなってくる。将来への漠然とした不安よりも「とにかく今酒を飲もう」という気持ちになり、そうして酔っ払えば何も解決していないけれど、よくわからない多国籍な友人知人が増えていたりして人生が面白くなっている。そのようにして、私は現世を乗り切ってきた。

そんな高円寺に再開発の話があると聞いたのは昨年のことだ。この混沌とした街が小綺麗になり、ビルができたりタワマンができたりして普通の綺麗な街になってしまったら。それは大いなる文化財の喪失であり中央線カルチャーの終焉の始まりであり貧乏人の貧乏人による貧乏人のための奇跡のコミュニティの崩壊であり、デモ文化もガード下にひしめく居酒屋群も道端の酔っ払いも「日本のインド」と称される街並みも、すべてを含めての「高円寺」なのに、そこを再開発なんて、一体どこの大馬鹿野郎がそんなこと言ってんだ! という思いの人が集まって再開発反対デモをしたのが昨年9月。

以来、再開発反対は、高円寺のホットな話題であり続けてきた。再開発を計画するのは、「高円寺に住んでない」どこかの誰か。そんな人たちの金儲けのための暴挙を許さない、ということで、この日、第2回目の再開発反対デモが開催されたのだ。

パレードに先駆けて、様々な人がスピーチする。多くの人が高円寺の魅力を語るが、中には「猫目線」から再開発に反対している人もいた。再開発されてしまったら、高円寺で暮らす猫たちが困るじゃないかという至極まっとうな意見だ。言われてみればその通りで、猫好みの小さな路地(高円寺にはそういうところが無数にある)がなくなって大きな道路になってしまったら、猫たちはどう生きていけばいいのか。そしてそれは、猫に限った話ではない。もともと「のら猫」みたいな人が多い高円寺。猫にとっての「居心地のいい路地」みたいな安アパートなんかが潰されてマンションが建ってしまったら、家賃も上がるしどう生きていけばいいのだろう。

パレード前のスピーチでは、他にも台湾人やチリ人、インドネシア人などが次々とマイクを握って高円寺への愛を語る。それを受けて、デモ首謀者の一人である「素人の乱」の松本哉氏は、高円寺好きな外国人とこれまで多く出会ってきたことを話した。外国人の中には、「サラリーマンと満員電車」という日本像を持つ人も多いという。しかし、そんなものからかけ離れた適当タウン・高円寺に来て大喜びする外国人が多いというのだ。昨今、昭和の面影が残った街が外国人観光客に人気という話も聞く。その中には、もちろん高円寺も入っている。この国の政権は「古き良き日本」みたいなものが異様に好きなのに、なぜ街づくりでは京都など一部をのぞき、古い街並みを残そうとせず、「開発」にばかり鼻息が荒いのだろう? 

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高円寺純情商店街のアーチ
時事通信社

高円寺を愛する人たちのいろんな思いを乗せて、14時半、デモ隊は公園を出発。パンクロッカー労働組合が荷台で大暴れでライブするバンドカーを先頭にパレードが始まった。が、プラカードを持っている人がほとんどいないのでなんのデモだかよくわからない。このような適当さも高円寺ならではだ。みんな自分が楽しむことを最優先に考えていて、沿道にアピールとか、そこまであまり気が回っていない。端から見ればただの路上ライブだが、高円寺住民はそういうのが大好きな人が多いので、どんどん飛び入り参加してくる。

そうして2時間以上かけて高円寺を巡り、デモ隊は隣駅の阿佐ヶ谷に辿りついた。そこから私たちが打って出たのは「路上鍋」だ。

路上鍋とは、文字通り路上で鍋をすること。私は普段から路上飲みをよくしているが、きっかけは13年前、反貧困を掲げて運動をするようになったことだ。フリーター、派遣、ホームレス、ネットカフェ難民などなど、様々な状況の人とともに「この国の貧困をなんとかしよう」という運動をする中で思い知ったのは、「店に入る金などない」という人が多くいる事実だった。デモのあと、会議のあと、打ち合わせのあと、みんなで飲もうということになると、必ず「お金がないから帰る」という人が出る。それじゃあ、と公園で飲むのが当たり前になった。公園がない時は駅前の路上やその辺の広場やいろいろだ。そんな中、いつしか路上飲みには進化し、鍋までやるようになっていたのだ。

ということで、この日、阿佐ヶ谷でデモを終えた路上鍋有志の数人は駅前のSEIYUに肉や野菜、うどん、発泡酒、紙皿や紙コップなどを買いに行った。コンロと鍋は持参してきた人がいた。お酒込みで会計は3400円程度。そうして路上で10人ほどで鍋をした。これだったら、一人当たり300円程度。路上鍋は誰も排除しない貧乏人の生きる知恵なのだ。

そうして鍋を囲めば、初対面の人とも会話がはずむ。気がつけば全然関係ない通行人が一緒に鍋をつついていることもある。こういった路上鍋カルチャーみたいなものが、格差・貧困社会を生きる私たちには自然と身についている。そしてそんなカルチャーは、高円寺のような街と親和性が高いのだ。これがオシャレタウンだったら、路上で鍋をしているだけで通報されたっておかしくない。 

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イメージ写真
Getty Creative

鍋を食べ、後片付けをした後はライヴハウスで開催されたアフターパーティーへ。

高円寺在住の台湾人・まるこさんは再開発反対の歌を歌い、「ここに住んでないの人なのに、勝手に決めないで」と日本語で言って涙ぐむ。高円寺のバンド「ねたのよい」は、何度も高円寺を「でっかい長屋」と表現する。DJをするのはインドネシア人で、客席には韓国人や台湾人をはじめ、オーストリア人やイギリス人もいる。

みんなが口々に、「高円寺に来ていなかったら、日本が、東京が嫌いになっていたかもしれない」「高円寺の人はみんな優しい」「高円寺に来たから日本が好きになった」と話している。外国人も、そして私のような地方出身者も、有象無象の貧乏人も酔っ払いも、そしてそこに住んでるわけじゃない人も受け入れ、「心のふるさと」にしてしまう街・高円寺。再開発とかじゃなくて、本当に、そういうことが重要だと思うのは私だけではないはずだ。

そんなアフターパーティーには、最初の選挙と二度目の選挙の選挙事務所を高円寺に構えた山本太郎氏も飛び入り参加。

「日本最強の無職!」と司会者に紹介された山本太郎氏が「44歳、無職です」と自己紹介すると、「そんな人、高円寺にはたくさんいます」と軽くかわされていたのが印象的だった。 

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「街頭会見」する山本代表
時事通信社

44歳、無職が珍しくもなんともない街。失業しててもお金がなくても、それが「恥」どころか時に自慢になってしまう街。「働きたくない」と堂々と言える街。日本に唯一くらいの、貧乏に開き直れる街。そんな空気は間違いなく、ごちゃごちゃしたあの街とそこに住む人々が作っている。

再開発反対の声は高円寺からだけでなく、同じ杉並区の阿佐ヶ谷、西荻窪などからも上がっている。同じなのは、今のこの街が好き、という熱い思いだ。

杉並区が大切なものを見誤らないことを祈りつつ、これからも再開発反対の声をしつこくしつこく上げていくつもりだ。

*本記事は2019年11月13日のマガジン9掲載記事『第502回:SAVE THE KOENJI!! デモと路上鍋。の巻(雨宮処凛)』より転載しました。