「女性が正論を言うことが難しい社会だから…」
総合商社を舞台に、シングルマザーとして子育てをしながらバリバリ働く女性を描くドラマ『ハル〜総合商社の女〜』(テレビ東京系)。ニューヨーク帰りの主人公、海原晴(かいばら・はる)を演じる女優の中谷美紀さんは、こう話す。
男女は「平等」であるべき。
お互いがお互いの生きづらさを理解し、フェアな社会であるべき。
…もちろん、こうした「べき論」はもっともだが、現実はそこまでスムーズにはいかない。 ましてや、旧態依然とした大企業で働く女性ともなれば、なおさらだ。問題意識を持ちながらも、一個人として生きていく上で、日々目の前に立ちはだかる社会の未熟さと、どう折り合っていけばいいのだろう。
「晴」として、さらには役柄を超え、現代に生きる一人の女性として、中谷美紀さんの思いを聞いた。
クラシックを役づくりのヒントに
中谷さん演じる主人公の晴(ハル)は、10歳の息子を育てるシングルマザー。食品、医療、ファッションをはじめとする幅広いジャンルの事業を扱う大手総合商社「五木商事」にヘッドハンティングされ、アメリカより帰国、経営企画部の部長補佐に着任するところから物語がスタートする。
「キャスティングを見て驚いたのは、経営企画部のメンバーが私以外はすべて男性ということです」と中谷さん。
会議が開かれると、ずらりと並ぶ男性社員の中で、たった一人の女性社員として描かれているのが晴だ。 男性中心の社会の中で孤軍奮闘する晴を、中谷さんはどのように演じたのだろうか。
「とりわけこの社会は、女性が正論を言うことがなかなか難しい場所ですよね。もちろんそれは、どこの国においてもある程度は変わらないのかもしれませんが、欧米などでは、それでも、きちんと女性を認めようという空気があります。
それゆえに、女性たちも堂々と意見を言えるようになってきていると思うのですが、ことアジア、とくに日本においては、まだまだ難しいのが現実です。
今回のドラマは、それらを前提としながら、晴という一人の女性が、男性におもねるでもなく、かといって、彼らの嫉妬やひがみを完全に見て見ぬ振りをして敵対するのでもなく、とにかく笑顔で接する、という風に演じさせていただいています」
アメリカ帰りのハルは、日本企業特有の“忖度文化”をものともせず、ズバズバと発言し、周囲を動かしていく。しかしドラマは、ジェンダーギャップや大企業の悪しきカルチャーと戦う女性の、単なる武勇伝として作られているわけではない。
「ドラマの中には、晴のように正論ばかりでは生きられない男性たちがたくさん登場します。彼らが家族をもっていて、自分が妻や子どもを養っていかなくてはならないと思っているのだとしたら…。それはやはり、いまいる場所で長いものに巻かれた方が楽だろうと考えたり、あるいは、それしか方法がないという人もいるでしょう。
そのような人たちに対して、晴は自分の意見を真っ向から言うものの、彼らを視界に入れない、ということはしないんですね。決して見捨てないし、置き去りにもしません。そうした視点も、この作品ならではです」
笑顔で正論を唱えながらも、そこからこぼれ落ちそうになる人を見過ごさない晴を演じるのは至難の技だ。演技のポイントを聞いてみると、2018年末に結婚したドイツ出身のパートナー(ヴィオラ奏者のティロ・フェヒナーさん)との生活が役づくりに影響をもたらしていた。
「彼の職業が、国立歌劇場管弦楽団での演奏やウィーンフィルでの演奏ということもあり、そのような場に触れる機会が多いのですが、演奏時の間合いや音の強弱、トーンなどをお芝居に生かせないかと日頃から考えていました。
今回の晴の話し方は、破裂音のような勢いのある感じを意識していて、楽器で例えるならトランペットのような音色だなと思って演じています。クラリネットやホルンほど柔らかくはなく、どちらかといえば人の気持ちを鼓舞するような話し方ですね。
もちろん扇情的なトランペットの音色にも緩急が必要です。多くの場合はフォルテなんですが、心情を表す大切な場面ではピアニッシモで伝えたい言葉が静かに効いてくるようなセリフの言い回しができるといいな、と思って演じています」
女性が職業を持ち続けることの大切さ
トランペットのような明るさで、「強く正しく」働く晴の姿に、勇気づけられる女性は少なくないだろう。一方で、たとえ問題意識を抱えていたとしても、いつも正論ばかり主張し続けるのはとても難しい。
「晴」として、現代社会を生きる一人の女性として、中谷さんはこうしたジレンマとどのように向き合っているのか。
「女性をめぐる問題は本当に難しく、デリケートで、私自身、語る際に言葉を選ぶ必要があります。
ただ、まずは、私という個人が、女性でありながら職業を持ち続けるということが大切なのかなと思っています。果たして、これが社会全体の男女平等というものに直結するかはわかりませんが、少なくとも我が家においては、当たり前のように男女平等がなりたっています。
夫は、料理は苦手ですのでやりませんが、それ以外の家事は頼まなくてもやっていますし、むしろ彼の方が得意なこともあります。私が忙しい時には、家に帰ったら洗濯物が干してあったりすることも。夫はやらなくていいと言いますが、逆に私も、力仕事といった類のことであっても、できる範囲でやりたいと思っています。こうしたことをお互い何の違和感もなくやっています」
オーストリアに居を構える中谷さんの日常は、先陣を切って社会を動かすことが難しくとも、家庭からジェンダー間の距離を縮めていけると教えてくれる。
また、グローバルなパートナーシップだからこそ、お互いを尊重することにも重きをおいている。
「(彼との生活においては)嘘も方便、というのが本当に通用しないんです。嫌なものは嫌、好きじゃないものは好きじゃない、そういう風に伝えることが求められているので、いつも本当のことを言うようにしています」
ある人にとっての正義が、別のある人にとっては正義ではない
ところでいま日本では、公権力とアートや映画などの関係がクローズアップされ、「表現の自由」についていま一度考える時機を迎えている。
オーストリアと日本を行き来しながら、ドラマや映画などの作品づくりに携わっている中谷さん。今回のように社会派ドラマへの出演を含め、表現活動にかかわるなかで、何か感じることはあるのだろうか。
「日本ではこうした問題について、そもそも議論をする場がなかなか設けられていないですよね。ある人にとっての正義が、別のある人にとっては正義ではない、ということが認められづらい国なのかなと感じますね。
以前、インドを旅した際に驚いたのは、キリスト教徒も仏教徒もヒンドゥー教徒もイスラム教徒も、ジャイナ教徒もゾロアスター教徒も、その他諸々様々な宗教の人々が同じ国で共存している姿でした。
日本は、移民の方ももちろんいらっしゃいますが、ほぼ単一民族国家に等しく、同じ価値観を共有しなければならないという同調圧力というのは、他の国に比べても非常に強いと感じます。自分はずっとそういうところにいたんだな、ということにも気づかされました」
ジェンダーの問題も、表現の自由の問題も、自分の視点で的確、かつ丁寧に言葉にしていく中谷さん。日本と世界、女優としての非日常と一人の女性としての日常を、自由に、しかし、しっかりと地に足をつけながら行き来するからこそ、たどり着ける場所だ。
自分がいる世界だけでなく、そうではない世界にも、真摯な眼差しを向けることのできる中谷さんのインタビューは、こんな言葉で締めくくられた。
「日本人には他人を慮(おもんばか)る気持ちというものがあります。人が不快に思うことをしないとか、自己を主張する前に全体ついて考えるなど、です。それは美徳である一方で、個人が苦しむこともあるため難しい部分もありますが、自分ではない誰かを自然と思いやれる心というのは、やはり私たちが誇るべきところではないでしょうか」