「あなたは結婚しないほうがいい」 母の言葉に縛られていた私が、Twitterで出会った夫と別居婚して分かったこと

「結婚」の意味も責任も考えずに入籍し、今まで続く別居婚生活を、私は気に入っている。
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ハノイのカフェで「結婚」を題材としたこの原稿を書き始めた。だけどパソコンを開き、真っ白の画面を眺めながら、書こうとしても何も言葉が出てこなかった。書きたいことは決まっているのに。口をまだつけていないコーヒーが冷めきって、お客さんもすっかり入れ替わり。こりゃダメだと思い、カフェを出た。 

それからハノイから飛行機に乗って2時間。私はベトナムの地を南下し、ホーチミンにやってきた。そこでも私は、書けずにいた。2週間ただの一言も書き進めることができなかった。

そしてとうとう先週末、私はついにバンコクまで来た。日本からじわじわと遠ざかるように、ホーチミンから西へ1時間半スライドした。タイの熱気に負けまいとクーラーをガンガンにかけながらも、部屋の窓を全部開け、パソコンを開いた。そうしてもうここまで来てしまったのだから、と。諦めて、どんな言葉が出てきても、それを真っ白な原稿に置いていこうと、身体と心を椅子に縛り付けた。

 

この2ヶ月ずっとずっと、書こうと試みた「結婚」について。思い出したくないことも、傷ついた言葉もここに出してしまおうと思う。

 

新しいですね!と褒め称えられる、私たちの結婚

私は結婚して1年と7ヶ月ほどになる。世間からみると、新婚の範疇にまだ入るらしい。でも私は、京都にいる夫と一緒に暮らしていない。結婚当初から去年の暮れまでは台湾に、今年に入ってからはずっとハノイに住んでいて、今はバンコクにいるのだから。

国を跨いで別居婚をしていることを話すと人はみな、すごいですね! 新しいですね!

と私たちの結婚を褒め称える。

 

褒められて調子づくと、私はいつも夫との結婚の馴れ初め話を始める。当時台湾に住んでいた私が、一時帰国していた際にたまたまTwitter経由で知り合って、会って4回目で勢いのまま結婚したんです。というお話。

海外と日本で別居婚をしているだけでも、驚いてくださった方たちは、馴れ初め話を聞いてさらに目を大きく開ける。

超電撃婚! ってやつですね、と。令和っぽい! だなんて。

 

人と同じ事をすることが、ずっとずっとイヤだった。そんな私にとって、新しいとか個性的とかそういう褒め言葉は、にやにやするほど嬉しい。でもこんな人を驚かせるような結婚生活を、私は決して自ら選んだわけではないのだ。なんていうのか、逃げるように思考回路を止めて、立ち止まっていたら、いつの間にか結婚していただけなのだ。

 

17歳の私は「結婚をしない」覚悟をした

あなたは結婚しないほうがいい。

と昔、母に言われた。将来の夢はおよめさんになること、女の子なら誰でもひらひらの真っ白いドレスを夢見る小さなころに。

 

中学生になると

あなたは結婚には向かないタイプね

と母に言われ始めた。部屋はいつも散らかっていたし、忘れ物も多くて、おしとやかでもなく自分の考えを通してしまう。そんな私は、結婚には向かないのだそうだ。妻業と母親業を10年以上こなし、産まれたときから私を見ている彼女がそう言うんだから、そうなんだろうとその頃の私は思った。

 

高校生になり、進路を本格的に決めなければいけない時期になった。本当は高校卒業したら、大学進学も、就職もせずその頃大好きだった人と一緒に暮らしたいと思っていたけど、こっぴどく振られた私は進路を変更せざるを得なくなった。

母に聞く。私どうしたらいいのかな?

そうね。もう結婚をせずに、バリバリ仕事をして生きていきなさい

と両手で肩をつかまれた。私は公務員になろうと思って、実家から近い大学の法学部に進学した。 

母に肩をつかまれたこの瞬間、カチッとロック音が聞こえた気がした。きっと誰とも私は結婚をせずに生きていくのだろう、と確信を持った。

 

結婚の足音が聞こえると、逃げるしかできなかった

それから大学を卒業して、小さな出版社に就職した。結果が伴っていたとは言い難いけれど、それなりにバリバリ働いたと思う。なぜなら、怖かったから。だって、このさきずっと一人で生きていかなければいけない、と思い込んでいたから。この「一人で生きていかなければいけない」と言う思い込みは、私の中で次第に「誰にも頼ってはいけない」という呪縛に変わっていったんだけど。

恋愛は人並み以上にしたと思う。結婚というゴールを持っていなかった分、先を見据えない、「今」を燃やし尽くす、恋愛らしい恋愛をしていたと思う。ただ付き合った相手が結婚を匂わすと、怖くなって逃げたり。一緒にいる時間が愛おしくて、この人とこのままずっと…なんて思い始めると、「あぁ、だめだ、私は結婚をしないのだから」と、仕事に打ち込んだ。しまいには、「俺と仕事とどちらが大事なの?」 と恋人から聞かれ振られることもよくあった。 

 

そうやって「結婚」の中身も知らないまま、それはとても恐ろしくて、私の手に負えるものではないと必死に逃げた。「誰にも頼ってはダメ、私は一人で生きていくんだから」と、頑張ってきた。そう、私はとても頑張っていたんだ。

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私を縛っていた母の言葉に隠された願い

ある時、母は私に言った。「私は見栄っ張りで打算的な女だわ」と。「お父さんを選んだのも、田舎の出自にしてはそこそこの大学に行って、そこそこの仕事をしているからだ」と。

しかし、経歴はあくまでも経歴にしか過ぎず、その後の人生を保証するものでは全く無い。

 

その後、父は母が太鼓判を押した安定した仕事を、金にまみれた仕事は向かないと勝手に辞めた。そして「やりたいことがある!」 と家を飛び出して暮らし始め、収入がガクンと減った我が家は、母親のやりくりでなんとか回っていた時期もあった。

 

誰よりも「家族がみな一緒に穏やかに、不自由なく暮らす」ことを夢見ていた母は、その願いが叶わなかったことに失望していたんだと思う。そして理想の家族を作るために、いろんなことを犠牲にしたのに、うまくできなかった事実を見るとたまらなく虚しくなったんだと思う。だから家庭に自分を縛り付けてしまったことを後悔し、私には自分の代わりに母がやりたかったことを叶えて欲しいと思ったのだろう。

そう、母は本当は結婚せずにバリバリと働きたかったのだ。成績優秀だったのに母は、志望していた理系の大学に進学することができなかった。都会で働くことができなかった。なぜなら、親の都合でお見合いをしなければいけなかったから。そして、自分と夫の親族から30歳までに子供を作らなければね、とプレッシャーをずっと受けてきたから。一人で旅行をすることも、好きな服を買うことも我慢して、毎日フルタイムで働きながら、家族の食事を作って散らかった部屋に掃除機をかけ、洗濯をしてきたのだ。

娘に「結婚なんてロクなもんじゃない」と言い切る母を見て、人生失敗した哀れな女だと思ってしまったことがある。実際に結婚した今になってみれば、彼女も今を生きる私と同じようにただ自由が欲しかっただけだ、とおぼろげに理解できるようになった。

自由を手に入れられなかった悔しさと、結婚生活の不満と、それをまた私へと引き継がせたくないというある種の愛情。どろどろとしたネガティブな気持ちと、そして自由への切望、私への希望が「あなたは結婚しないほうがいい」に込められていたのだ。

 

「家族のあり方」にいいも悪いも新しいも古いもない

私と夫はネット上で出会い、一生ともに暮らせるのか熟考したわけでもなく、大恋愛を経たわけでもない。ただ出会って4回目の夜、なんとなく気が合うから結婚しませんか? と彼に言われたので、結婚の意味も責任も考えず入籍しちゃったのだ。色々考えてしまうと、また呪縛にとらわれてしまう。あの夜、「結婚」と面と向かい合ってしまったら、きっと母の言葉から逃げられなかったと思う。

 

結果、そんな経緯で結婚に至った私は、今の自分の生活を気に入っている。

夫も私も自営業だ。それぞれの国でお互い何をして暮らしているのか50%くらいの理解度で、数ヶ月に一度久しぶり! と満面の笑みで再会して、しばらく一緒に過ごしてまた離れる。もちろん離れて暮らすことで起きる問題もたくさんあるけれど、今この瞬間2人がそれぞれ自分らしくいられるスタイルが「別居婚」なのだ。

 

だから、そうね。母が言っていた「相手をよく見定めて、我慢をしながらも、家族のために生きていく“結婚”」、私は確かにしなかった、と言える。彼女のアドバイスどおりに。

 

母親が叶えられなかった理想の家庭生活を私が叶える。そんな風に考えたことは一度もないけれど。ただ自分が海外に単身で暮らし、型にはまらない結婚生活を送っているからこそ、「家族や結婚」の呪縛ってとても苦しいものと改めて思う。自分の大切にしている何かを犠牲にしなければ、結婚はうまくいかないという思い込みから来る、とてつもない苦しみ。

もちろんバックグラウンドが異なる2人が、「家族」を作るのであるから、全てが思い通りになるわけではない。唯一無二の存在同士の2人の人間が作り上げる「家族」は、唯一無二であって然るべきなのにね。すべてのカップルが違って当たり前なんだから、「家族のあり方」にいいも悪いも新しいも古いもない。

 

もし今の私が、若い頃の母に会えるとしたら、なんて言うだろう。

もっと自由にって? 人の目を気にせず生きてって?

ううん、たぶんそうじゃなくて。

やっぱり苦しみながら、娘に葛藤をぶつけながらも、岸本家(私の旧姓)を作って守ってくれてありがとうと伝えたい。母のおかげで今の私があるのだ。そして、私はあなたの言葉の呪縛に負けなかったよと、ちょっとドヤ顔をして言ってみたいと思う。

 

(編集:榊原すずみ @_suzumi_s

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