10月4日、英国議会をテーマにしたバンクシーの絵がオークション・ハウス、サザビーズにおいて、約990万ポンド(約13億円)で落札された。ストリートアーティストの作品としては過去最高値だ。
世間を騒がせたのは、値段だけではない。その作品が、今の英国議会の様子を見事に映し出しているからだ。
絵の中に登場する議員たちは、なんとチンパンジーだ。与野党が向かい合う議員席には、牙をむき出しにして、野次を飛ばすチンパンジー、顎に手をあてて、考え込んでいるもの、口を突き出して揶揄するのもの、前列で背中を丸めて眠っている猿議員、後列には空き瓶で遊んでいるチンパンジーもいる。表情たっぷりの様子は、今の英国議会の議員たちの似姿だ。
EU離脱期限を目前に、今や英国議会はてんやわんやの大騒ぎ。離脱派の旗振り役のジョンソン首相は、英国議会を一時閉鎖し、力づくで合意なき離脱に持ち込もうとしたが、イギリス最高裁によって、閉会は非合法であると判決され、急遽国会が再開された。それが一週間前のビッグニュースだ。
開かれるやいなや、国会は大騒動となった。与野党議員の言葉はいつにも増して刺々しく、ジョンソン首相自身が野党議員を「裏切り者」と強い言葉で非難し、合意なき離脱を阻止する目的で制定されたばかりの法律に対し、戦争を彷彿させる「降伏法」という言葉で呼ぶなど、暴力的で扇動的な言葉を使ったため、大変なブーイングを受けた。
その様子について、バーコウ国会議長は「国会で働いてきた22年の間で最悪の雰囲気だった」と酷評するほどの状況で、政治に距離をおく英国教会すら議会としてあるまじき状況だと公式に非難した。
《Devolved Parliament (退化した議会)》と題されたこの作品が公開されたのは、そんなタイミングだった。
10年前に描かれた油彩画が現イギリス議会を予言
ところで、当作品はバンクシーが本領とするストリートアートと違い、油彩画という伝統的な表現形態だ。10年も前に描かれたこの作品が、初めて公開されたのは、ブリストル市博物館・美術館で開かれたバンクシー自身が企画した特別展覧会だった。
この展覧会でバンクシーは、路上での活動と同じように、さまざまな既存の権力、たとえば警察、軍隊、王室、大企業、ミュージアム、美術界などを揶揄する額入りの一点ものを発表したが、《Devolved Parliament》 もそのひとつである。
しかし、本人が自分のインスタグラムで公言したように、まさかこの作品が10年後の議会の様子を予言した絵になるとは思いもよらなかっただろう。
絵を見るわたしたちもまた作品の一部
オークション前の短期間、《Devolved Parliament》がサザビーズで一般公開されるというので、わたしも会場に足を運んだ。
他には、バスキア、アンゼルム・キーファー、ダミアン・ハーストなど、世界的に著名なアーティストたちの作品が複数の部屋に並べられていた。
しかし、《Devolved Parliament》だけは特別扱いで、セキュリティーチェックのある別室に設置されていたのである。照明が落とされた部屋の奥に、件の作品が架かっていた。横幅4メートルはあるであろう。作品の前には長椅子がふたつ設置され、訪問者が腰掛けて見ている。
わたしもそこに座ったり、作品に近づいたり、個々のチンパンジーの顔をみて、笑いをこらえたりしていた。
だが、離れて部屋全体を眺めた時、あることに気づいた。
実は、その絵の前に置かれた長椅子は、国会で議員たちが座る緑色の椅子にそっくりなのだ。
もちろん、絵の中のチンパンジー議員たちが座っているのも同じ椅子だ。
つまり、この作品は2次元の絵の中だけで完結するのではなく、3次元空間にも反映されており、緑の長椅子に座ることで、見る者もまた作品の中に入り込むことになる。
よく考えれば、議員たちはわれわれ選挙民が選んだ人々であり、われわれの代表者だ。
この作品は、単に権力をもつ議会を小馬鹿にしているだけではなく、彼らに対する批判は彼らを選んだわれわれ国民に跳ね返ってくることを示唆しているのかもしれない。
今の議会における状況は英国社会全体の分断の象徴だと警告しているのかもしれない。今、起こっている問題は額の中の笑い話ではなく、われわれみんなが真剣に考えるべき問題ではないかと。
正直、バンクシー自身が展示室のセッティングをあらかじめ指示したのかどうか、知る由もない。
だが逆に、オークション・ハウスであるサザビーズが、制作者に無断で、そのような演出をするとも思えない。
あくまでも推測の域を出ないことを承知で書くならば、この展示室全体のあり方は、「ディスマランド」や「ウォールド・オフ・ホテル」など、これまでのバンクシーの活動の延長上にしっくりと収まる。
彼のアートが単に鑑賞の対象だけに終わらず、そこに見る者をエンゲージさせること、それによって見る者がさまざまな社会問題を主体的に考えるよう手引きすることは、バンクシーが表現者として一貫して目指していることだからだ。
《Devolved Parliament》は、落札された人の所有物になる。それが個人ならば、しばらくは、多くの人々と経験を共有することもないだろう。今回の内覧会はその意味で貴重な時間だった。
しかし、少なくとも、絵についた値段だけではなく、絵の中身だけではなく、それが展示されたセッティングについても書き残しておきたいと思った次第である。
吉荒夕記(よしあら・ゆうき)
ロンドン大学SOAS美学部にて博士号取得、在学中に大英博物館アジア部門にてアシスタントキューレターを務める。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。9月には著書『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』(美術出版社)を出版した。
(編集:毛谷村真木 @sou0126)