愛くるしい姿とシニカルなユーモアで誰もを魅了するスヌーピー。
この世界一有名なビーグル犬と、仲間たちを描いた作品「PEANUTS」が日本に上陸して50年が経つ。
節目を迎えたこの秋、すべてのPEANUTS作品を日本語に翻訳した「完全版ピーナッツ全集」の刊行が始まった。ページを開けば、めくるめくスヌーピーとの冒険が待っているはずだ。
初収録となる作品は約2000本にも及ぶ。もちろん翻訳を担当したのは、詩人の谷川俊太郎さんだ。
PEANUTSの仲間たちと歩んで50年。「もう、自分もキャラクターの1人になってしまったみたいだ」と柔らかい笑顔を向ける谷川さんに、PEANUTS作品の魅力を聞いた。
“漫画家”のイメージとは違った原作者チャールズMシュルツ氏
アメリカで生まれ、アメリカの子どもたちの日常に、気の効いたセリフをまぶせてクスッと笑わせてくれるスヌーピーと、ちょっとさえない飼い主チャーリーブラウン、そして仲間たち。
谷川さんはこの作品を「偉大なるマンネリズム」と表現する。その通り、キャラクターたちはいつもお決まりのパターンを持ち、草野球に燃え、ハロウィンやクリスマスを楽しむ。
凧あげをすればうまく風に乗らずに木に“食べられちゃう”し、いつまで経ってもルーシーが置いたフットボールを上手に蹴ることができない主人公チャーリーブラウン。
仲間たちも、それぞれの特徴を持ちつつ、チョコチップクッキーやピザ、アイスクリームをこよなく愛する“普通の”子ども達だ。
時には変装が趣味のスヌーピーに合わせて、第一次世界大戦の撃墜王(フライングエース)が恋するカフェバーのフランス娘や、売れない小説家になったスヌーピーにアドバイスを送ることもある。
谷川さんは原作者のチャールズMシュルツ氏に会うまで、知り合いだった手塚治虫さんなど、これまでに仕事を共にした漫画家のような人物だと思い描いていたという。
旅行嫌いで、ついぞ来日が実現しなかったシュルツ氏。谷川さんの出会いは、一生で一度きりのものだった。出版関係者の手配で、アメリカまで行き、直接話すことができたのだ。
「ずいぶん昔だからねえ」と、首をかしげる谷川さん。色褪せた記憶の中でも、シュルツ氏の第一印象は強かったようで、次のように語った。
「全然、漫画家のイメージじゃないんですよ。僕の彼に対する第一印象は哲学者だった。物静かな学者、本当にそんな感じでしたね」
頭の中のシュルツ氏のイメージを辿りながら「話したことは全然哲学的じゃなかったんだけどね。残念ながら、今もうどんな話だったか、覚えていないんだよなあ」と笑った。
明るい太陽と乾いた風が心地よい、カリフォルニア州サンタローザ。
シュルツ氏は、引退するまでの30年間、創作活動のほとんどをここサンタローザでしていた。
今は「チャールズMシュルツ ミュージアム」となっている建物の隣にあるスケートリンクのカフェで、シュルツ氏は谷川さんにハンバーガーをごちそうしたという。
イヤだイヤだと言いながら50年も続いた翻訳の秘訣
ところで、PEANUTSが世界的に有名になった背景には、各国の翻訳者の存在が欠かせない。
歴史ミステリー小説「薔薇の名前」で知られる記号論者のウンベルト・エーコ氏など、高名な文化人からもこよなく愛されたのが特徴で、多くの人がスヌーピーたちの魅力を自国に紹介した。
世界を見渡してみても、50年間続けて翻訳を担当したのはおそらく谷川さんだけだろうと、アメリカのチャールズMシュルツミュージアムの館員も話すように、1人で一貫して翻訳を続けた例はごく稀だ。
谷川さんは「50年というのは結果的にね。嫌だ、嫌だって思いながら」といたずらっぽくニコッと口角をあげた。
ちなみに、私は、スヌーピーの大ファン。インタビュー前の「新作を翻訳をするのが楽しみだったに違いない」という予想は大きく外れ、「喜んでやっちゃいませんよ」とあっけらかんと谷川さんは、笑った。
PEANUTSの人気が高まり始めた1970年代には、月間雑誌「スヌーピー」上で翻訳からの「引退」まで宣言していた谷川さん。
その後、PEANUTS作品を読める雑誌の出版社が倒産するなどしたが、出版社が変わっても、引き続き谷川さんが翻訳を続ける。編集者や読者も、ますますスヌーピーを好きになる。谷川さんは、「引退」をさせてもらえなかったのかもしれない。
「結局この50年間、訳してきたことになりますね。僕が好きなキャラクターはウッドストックなんです。セリフを訳さないで良いから」
スヌーピーたちをめぐる作品では、ほかの日本語訳もある。漫画家のさくらももこさんや、小説家の鷺沢萠さんも手掛けたことがあったが、谷川さんの訳が定着している。
50年間続き、また新たに2000本ものコミックストリップを訳す原動力は、シュルツ氏の持つ言葉の魅力だった。
「漫画がすごく面白くて、読むのが楽しいから続いてしまった」と目を細める谷川さん。
続けて「やっぱり、シュルツさんの描いたものの魅力ですね。絵と同時に、セリフがシュルツさんって面白い。4つのコマだけではなくて、結構ちゃんとしたドラマになっているものもある」と語る。
さらに谷川さんが気に入ったのは、スヌーピーの犬らしからぬ犬らしさ。
「(スヌーピーは自分を)誇りに思っているけど、犬なんてつまんないって言うじゃない。僕、あの時のスヌーピーで、スヌーピーのキャラクターっていうのが決定したと思うんだ。犬なんか飼うもんかってセリフが、ギョッとして、ショックだったね。ある種の哲学を感じたんです」
スヌーピーは犬だけどなんにでもなれる。でも近所の猫が怖い。「そんな弱点がいいんです」と谷川さんは手元の原稿に触れながらそう語った。
変装王スヌーピーと時代の移り変わり
PEANUTS作品は、1950年代の開始から、だんだんとキャラクターの絵柄も変化していった。
変わっていくもの、変わり映えのない幸せな光景。すべての作品に目を通す谷川さんは「シュルツさんっていうのは、時代によって変わらないものを芯に持っている人なんだけれども、時代にかなり敏感に沿って描いているなって気がしますね」と分析する。
いじわるなルーシーが独断と偏見でカウンセリングのアドバイスを送る5セントの“心の相談室”、ヴェートーベンをこよなく愛しおもちゃのピアノを弾き続けるシュローダー。そして、ライナスは今年のハロウィンも、かぼちゃ大王の出現を信じてやまない。
そしてスヌーピーは宇宙飛行士になったり、撃墜王になったり、時には「暗い嵐の夜だった」で始まる物語を紡ぐ小説家、外科医、クールなサングラスで登場する大学生――スヌーピーは自身の白昼夢の中で、様々なキャラクターに身を変える。
谷川さんは、その変装の源には、1947年にアメリカで公開した映画「虹を掴む男」にあると感じているという。
原作は、ジェームス・サーバー。主人公ウォルター・ミティは冴えない出版社の校正係。しかし、彼は道端の看板を見ては、そこに描かれた暴風雨の中の帆船の船長になったり、社長が病院ロマンス雑誌の企画を説明すれば、ゴッドハンドの医者に成り代わる妄想に囚われたりする。
谷川さんも「ウォルターをダニー・ケイという俳優が演じているんですが、色んなものになれちゃうんですよ。すごく印象に残る映画でした」と昂ぶりを隠さない。
日本では、1950年10月に公開された。
今回の全集を編む河出書房新社の編集者も、1950年代から90年代にかけてのスヌーピーの変遷に着目する。
お決まりのパターンを描きながらも、ベトナム戦争や当時の流行など、時の流れに常に敏感に反応していた。
初期のスヌーピーは、物静かで「どうして僕って犬に生まれたんだろう」「僕ってダメなんだ」などのセリフにあるように、あまり自信が無いように見える。
だが、撃墜王フライングエースなど、空想の世界での活躍が増えるほど、まるで相関するようにスヌーピーは自信家になっていく。
1960年代、人気を博した「フライングエース」は第一次世界大戦で活躍した飛行機乗りがモデルになっている。コミックでも、初期は愛機「ソッピース キャメル」に乗り込み、砲弾を撃ち込んでいく。
だが、これも時代を追って描かれ方が変化する。
「完全版ピーナッツ全集」担当編集者の伊藤靖さんは「フライングエースはスヌーピー人気が爆発的に飛躍する1つのきっかけでもあったそうですが、ベトナム戦争の戦況が激しくなり、シュルツ氏が封印したと言われています」と話す。
のちにフライングエースが復活するが、かつてのような撃ち合いではなく、戦地からふと立ち寄るフランスの田舎町にあるバーで、フライングエースがルートビアを片手に人生を語ったり疲れを癒したりするなどの描写に重点が置かれていた。
伊藤さんは「哀愁を感じさせるような、戦いを中心にしたものではない方向にスライドした。そういうところから、時代を感じ取っているんでしょうね」と話した。
ただ、谷川さんに言わせれば想像力というものは「わいせつ」だという。
「想像はどんどん増殖していく。わいせつなもの。だから僕はあんまり肯定的には捉えられていないの。それよりも日常的な事実のほうが大事だった。毎日がいつも通りに進んでいく。それが安心感につながる。マンネリを面白く見せるっていうのは、すごい才能だなって思うんですよね」
全集を手にしたら、その時代の変遷と共に、キャラクターたちの変わらないところ、そして変わっていった場面を探していくのも一つの楽しみかもしれない。
スヌーピーの本質は「明るいさみしさ」
英語については、実は高校で習った程度で、あまり詳しくなかったという谷川さん。初期はアメリカにいる日系人の方に下訳を頼み、そこから訳を変えるなどしていたが、手間がかかるため下訳をやめ、自ら俗語辞典を引きながら、セリフと格闘していった。
時にはアメリカに住む自分の娘に聞いたり、トラックドライバーの流行り言葉が分からなければ現地から専門雑誌を取り寄せたり。
谷川さんは翻訳者として「やっぱり、原文を一番大切にしたいと思っている」という。
なかには、うまく翻訳がはまらないこともあり「漫画の中で、感じが移っていくんですよね。言葉が、動く。日本語にする時には、一人称も僕、私、俺、吾輩……なんてあって、ひらがなもカタカナも漢字もある。4コマのなかで、どれを使うかでニュアンスも変わるので、今回はできるだけ過去の作品も統一するように変え、変化する日本語に対応しました」と苦労を語る。
しかし、シュルツ氏の魅力と詩を書く自身を投影して、次のようにも話した。
「僕、詩を書く人間だから、物語に弱いんですよ。物語は作れない。その点、俳句のように“何も言わない”で読んだ人に考えさせるみたいな、アンダーステートメントのようなものが、シュルツさんにはあると思うの」
その中で気が付いた、PEANUTS作品の本質は「明るいさみしさ」だった。
「明るいさみしさっていうのは、割と人間の本質として誰でも持っているんじゃないかなと思うんです」
「シュルツさんも、コミックを描きながら、どこかに孤独感とか、さみしさとか、なにか不足な感じとか、そういうものを持っている。だから、深い世界が出るんだなって」
谷川さんに「寂しさがあると、深い世界に行けるんですか」と聞くと、大きくうなずいて、こう言った。
「もちろん、そうですよ。違う?」
さらに「寂しいと悲しくなってしまうのかなって思うんです」と聞くと、少し考え、また頷いて話した。
「悲しくなるのが、深い世界に行く道だもん。よく、四六時中はしゃいでいる人っているけど、疲れちゃうでしょう。それは、自分とか、他人とかの深いところに触らないように、はしゃいでいるのかもしれない。そんな感じがします」
スヌーピーたちの日常には、誰かと誰かがつながりを持つときの深い心情のやり取りや、変わらないでいてくれる安心感が漂っている。
「PEANUTSは、時代によって変わる部分っていうのは割と少ないけど、確かにある。だけど、ほとんどがアメリカとか日本とか、他の国とかを問わず、地球上の人間全体の、普遍的な在り方みたいなものが基本にあるから、いつまで経っても古くならない」とゆっくり目線をあげた。
PEANUTS誕生70周年、そして日本には1969年の初版から50年。目まぐるしく変わる時代のなかで、様々な世代をとりこにしていくスヌーピーとその仲間たち。
古本の香しいにおいにつつまれ、中庭から木漏れ日が入る仕事場で、ふと時代の流れを感じながら谷川さんは言った。
「僕にとって、PEANUTSのみんなは親友というより、身内みたいな存在になった」
「久しぶりの翻訳で、改めてキャラクターに再会してどう思いましたか」と聞くと、谷川さんはまた笑いながら「手元にいつもあるから、久しぶりじゃないもの」と言った。
PEANUTS作品と歩み続け、いまは作品をどう見ているのか。
「嫌だって言いながら、途中から他の人の訳を見ると、何か腹立たしくくなったり、俺もやらなきゃなんて思ったり。最後は自分のものであってほしい、なんて取られそうな気がして。だから、個人全集みたいになるのが申し訳ないし、途中で嫌になったりしているのに、いいのかなって思いながらーー今度の全集がうれしいんですよ、僕は」と頬を紅潮させた。
50年分のすべてのPEANUTS作品が納められた全集の出版は、日本語版では初めての試みだ。全集は全25巻で、2019年10月から毎月2冊ずつ発行される。2020年3月末までに、全巻予約をすると、スペシャルポスターや、1コマ作品、広告用作品など、 通常の連載作品以外の『ピーナッツ』を収集した貴重な「別冊」などの特典もついてくる。
問い合わせは近くの書店か河出書房新社(03-3404-1201)へ。