8歳の息子が経験した人種差別 。当事者として感じた、差別されるということ。

頭では差別発言や暴力を振るう方が間違っているとわかっているのに、母である私の属性が彼を苦しめていると思うと悔しく、申し訳なかった。
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vector illustration of a lonely and sad man and woman(イメージ写真)
kulinci via Getty Images

26歳でOLを辞める時、寿退社でもないのに当時の上司から、あんたは家庭に入る方が向いてるかもなと言われたことがあった。

同じ頃、暗くて人通りの少ない駅の階段を上っていた時、若い男の子が降りしなにわたしの胸に手をのばし、わしづかみして走り去って行った。

普段、自分が意識して生きているつもりはなくても、突然、自分が女であることを突きつけられることがある。それは、息の根を止められるかのような衝撃。しばらく呆然として、あとから、自分ではどうしようもできなかったことにショックと理不尽さで立ち尽くしてしまう。

女であることがしんどいと感じる経験は、ここで暮らし始めてからはほとんどなくなっていたけれど、別の属性がわたしに加わったことに気付く。


娘がまだ幼かった頃、電車に乗っていると物乞いをする男性が入ってきた。うつむき気味に何気なく首を降って、渡す現金がないことを合図したところ、突然罵声が飛んできた。お前なんかに恵んでもらおうと思ってるわけないだろうと、その男性は大きな声で叫んでわたしを睨んだ。その罵声が、その視線が、なぜわたしに向けられたのか、正直最初はわからなかった。しばらくして、わたしの容姿、東アジア人の女から施しをもらうほど自分は落ちぶれてはないと、彼は言いたかったのだと気づいた。あまりの罵声が怖くて、思わずすみませんと言ってしまい、でも彼が去ったあと、なんでわたしが謝ってるんだろうと思うと涙がでてきた。あとからあとから、恐れや悲しみが波のようにやってきたけれど、一人でそれをやり過ごすのが精一杯だった。ベビーカーに乗っていた娘は、涙をためた目を必死に拭うわたしを心配そうに見つめていた。


「おかあさん、日本人だってことで嫌なこと言われたら悲しいよね?」ある日、息子にたずねられた。どうやら、学校で一学年上の男の子たちから、自分が日本人だということをからかわれているらしい。おまえ日本人だろうと言ってきた子たちは、息子に、目がつり上がっているとか、寿司を食べたことがあるけど激マズだったと言いがかりを付けてきたらしい。

外国に住んでる東アジア人ならたいていは自分の外見についてからかわれたり、心無いことを言われたことはあると思う。わたしもそんな経験は何度かあるし、ニーハオと声をかけられ、両手をいただきますのように合わせて挨拶されたこともある。長く暮らしているうちに、その程度のことについてはなんとも思わなくなった。

それでも、息子はまだ8歳で、自分の人種についてからかわれるのは酷だ。それに、子どもの頃に人の容姿や人種について差別的な発言をすることを、仕方のないことだと思って欲しくない。だから息子には、わたしも言われたことはあるよ、もう気にしなくなったけどね。でもそんなこと言うのは間違ってるし、わたしたちが日本人だってことには何にも問題はないからね。それからちなみに、不味いお寿司しか食べたことがないのは、正直かわいそうだなぁって思うよ、と言った。少し安心した息子は、僕はデンマーク人でもあるけど、おかあさんは日本人なのに、その全てをバカにされるのはあまりにもかわいそうだと思ったから心配になった、おかあさんが悲しまないってわかって良かったと言った。

それから数ヶ月後。また同じ子たちが息子に、目がつり上がっているといって声をかけてきた。今回は息子も負けておらず、そんな言い方は酷いから止めてと受けてたったらしい。すると男子たちは息子に近づいてきて、頭を抑えたり、首を絞めたりしたという。あまりのショックに息子は友人たちと急いでその場を去った。

わたしがそれを知ったのは、仕事から帰宅した時、娘が一部始終を話してくれたからだった。ショックでうつむいて歩いていた息子を校庭で見かけた娘は、何が起きたかたずねたと言う。そして、言いがかりをつけてきた男子たちの所へ向かって行き、その子たちに「あんたら、わたしの弟に何した?!次何かしたらタダじゃ済まないから覚えとけよ」と言ったらしい。娘がその話をしている間、ニヤニヤして聞いていた息子だったが、首を絞められた様子を再現された時に、目に涙があふれそうになっていたのをわたしは見逃さなかった。

その日の夕飯は息子とわたしの2人だったこともあり、わたしは息子をあれこれと質問攻めにした。そして、息子の首を絞めた子たちが、数ヶ月前と同じ男子たちだったことを知った。子どもというのは残酷なもので、大人や年上の子どもから聞きかじったことを自分で判断せずに言ったりやったりすることがある。時には自分がされて嫌だったことさえも。そうして、相手の反応を見る。相手を負かしたいという気持ちがあるなら尚更、酷い言葉だとわかっていても、自分の立場が強いと示すためにわざとそんな言葉を吐くこともある。学校で働いていると、そういう場面を見ることもある。

男子たちがどんな意図で息子に心無い言葉をかけたにせよ、それが数回に及んでいること、そしてその子たちが今回は息子に手をかけたこともあり、これはこのままではいけないかもしれないと思った。ところが詳しく状況を聞こうとすればするほど、息子は少し困ったような表情をして、おかあさん、もうこの話は止めよう。ぼく、もうこのことはあまり思い出したくないのと言う。怖い思いをしたできごとを思い出したくないのは当然のことで、その詳細を聞き出すことばかりに気を取られていたわたしは、はっとした。

 

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Child's hands holding a globe, space for copy.(イメージ写真)
Catherine Falls Commercial via Getty Images

その夜、遅くに帰宅した夫に一部始終を話そうと、わたしは大切な話があると切り出した。すると、息子と話していた時には冷静に聞けたし話せたのに、夫に話し出すと、なぜか突然涙が出てきた。その時のことを今でもよく覚えている。それは、息子が向き合うことになった差別の原因が、自分にあると、話しながら感じてしまったからだった。わたしが東アジア人だから、息子はこんな差別にあっている。もし白人であれば、ここではそんな目に合わなかっただろうと思ってしまったからだった。たった8歳で人種差別に立ち向かわなくてはいけなかった、その原因はわたしにあると。頭では、差別発言や暴力を振るう方が間違っているとわかっているのに、子どものことを思うと、自分のバックグラウンドが彼を守るどころかむしろ辛い状況にさらしているように思えてきて、そしてそれが悔しくて、申し訳なくて、話しながらぐちゃぐちゃな気分になってしまったのだった。

そして昔、駅の階段で突然胸をつかまれたことを思い出した。電車の中で物乞いの男性に罵声を飛ばされたことも。こんな風に突然突きつけられる自分の属性。わたしのそれが、相手にとってはその存在自体を踏みにじったり、バカにして良いものだと思わせるもの。自分がそんな風に扱われるものだと知らされる体験。

それを何とか言葉にしようと試みたけれど、聞いていた夫にはうまく理解できないようだった。尊厳を踏みにじられるというのは、突然自分が自分でいることを否定される体験で、でももし、一度もそれを経験せずに生きてきたのなら(そしてそれは理想なのだけれど)、想像にさえ及ばないのかもしれない。

それでも夫と意見が合ったのは幸いだった。息子の担任にわたしたちは学校内のイントラネットからメールを書いた。当日あったこととこれまでのできごと、親子での話し合いなどを逐一書いたわたしのメールに、夫はひとつだけ文章を付け足した。「今回は娘がその男子たちに注意はしたようですが、こういった差別的な行為は他の子ども達にもあってはならないことだと思いますので、その子たちに注意をしていただけますか。」

翌朝すぐに、息子の担任から連絡が来た。すぐに対処するという内容だった。そしてそのまた翌日には、男子たちの担任が直接その子どもたちに注意するとともに、保護者にも連絡を入れるとのことだった。素早く対応してもらえたことが、今回のできごとを重く受け止めてもらえたようで、そして自分の尊厳も守られたような気持ちにもなって嬉しかった。

息子はその後も、同じ男子たちと校庭で顔を合わせることはあるけれど、もう何も言ってこないし、してこないと言っている。嬉しそうにそういう息子の顔を見ながら、誰もが同じように尊い人間で、誰もが自分のままで存在していて良いということを、わたしたちは何度も確認して生きていかなくてはいけないのかもしれないと思う。誰もが尊い存在だと知ること。こんな当たり前のことを、何度も言葉にして、子どもたちにも、大人たちとも、ずっとともに語り継いでいかなければいけないのかもしれない。ある日突然、自分の存在が、どう扱われても良いものになる、そんな経験は誰にも絶対にしてほしくない。

(2019年09月09日のnote掲載記事「当事者であること」より転載)